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ガス室から死体を搬送する際に、タバコを吸ったり食べ物を食べたりしたって?〜フォーリソンのアホ話。

フォーリソンは2018年10月21日に亡くなったので、これを書いている現時点で4年半程度経ちましたが、それくらいで信者がいなくなるわけでもないでしょう。というか、ほんとにフォーリソンの信者は多いようで、日本でもその人気はずば抜けているところがあります(ような気がするという程度ですが)。

ゲルマー・ルドルフをホロコースト否定の化学・出版物担当とすればフォーリソンは紛れもなくホロコースト否定教の教祖(開祖ではない)です。1970年代から修正主義者として活動していたそうですが、フォーリソンの母国フランスは紛れもなくホロコースト否定の中心地でした。その証拠に、明示的なホロコースト否定禁止法であるゲソ法が最初にできたのがフランスでした。

フォーリソンが集中的に攻撃対象としたのが殺人ガス室でした。中でもアウシュヴィッツのガス室に対する攻撃には並々ならぬ執着を示したのです。フォーリソンは、青酸ガスのような危険極まりない毒ガスでの集団処刑などあり得ない与太話であるかのように批判しまくったのです。

さて、フォーリソンはアウシュヴィッツのガス室否定に多くのアイデアを提供しましたが、その一つにこの記事の冒頭で示した画像の主張があります。もう一度しめすと、

1986年のビデオだそうですが、なぜこの動画が撮られたのかなどの経緯はよく知りません。上は動画からのスクショですが、Youtubeには既に当然の如く存在しません(たまにアップロードするバカはいます)。ニコニコ動画にはまだあります。フランス語なんてほんとによくわからないので訳して字幕つけた人がいることには感謝したいところです。つまりは、どこかの日本人によって字幕付き動画まで作ってくれるほどには、日本にもフォーリソン信者はいるということを示しているのです。

さてその主張、

「彼はポーランド人に、特別攻撃隊員がガスマスクをつけず、タバコを吸ったり物を食べたりしながら死体でいっぱいのこの部屋へ入り死体を引き出したと言いました」

これを少し解説してみましょう。

  • この話は、推測だが、アウシュヴィッツ収容所司令官を最初に務め、かつ最も長く務めた親衛隊中佐だったルドルフ・フェルディナンド・ヘスが、ポーランドのクラクフにあったとされる拘置所の中で、ポーランドの地元法廷で死刑を宣告されて処刑されるまでの間に書いたものとされるいわゆる「回想録(自叙伝)」の中にだけ記述されている話だと思われる。日本語版としては講談社学術文庫から『アウシュヴィッツ収容所』のタイトルで購入可能である。

  • 従って「彼」とはヘスのことである。

  • 「特別攻撃隊員」とは、主にアウシュヴィッツの火葬場で働かされていたユダヤ人囚人のことであり、一般的には「ゾンダーコマンド(Sonderkommand)」と呼ぶ。おそらく日本語に訳した人はあまり知識のない人なのだろう。

  • フォーリソンが「ポーランド人」と書いている対象が誰のことなのかははっきりしないが、回想録を書いたらどうかとヘスに勧めたのは、ポーランドの法廷で審査判事を務めたヤン・セーンであり、そのことではないかと思われる。

では、その話についてフォーリソンが疑惑を投げかけている点は何か? 要はこの二点だけです。

ガス処刑を行ったら、青酸ガスはガス室に充満しているはずである。なのに、

  • タバコを吸ったり食べ物を食べるなど、ガスマスクをつけていないということであり、そんな行為をしたら死んでしまうではないか!

  • 青酸ガスは引火性があるのだから、タバコの火があったら爆発してしまうor火事になってしまうに違いない!

と言っていたようです。うち、前者は換気の話になり、アウシュヴィッツには合計で七ヶ所のガス室があり、それぞれ構造が異なってしまうため、説明がややこしくなるので割愛します。しかし後者は、お仲間の化学専門家であるゲルマー・ルドルフにも否定されています。

[爆発する混合気を生成するには、空気中に60000ppm(6%)のHCNが必要であるが、処刑に必要な濃度はそのような数値に達することはほとんどないために、また、炉はガス室からかなり離れたところにある(とくに、焼却棟Ⅱ-Ⅴ)ために、爆発の危険はまったくない。このような危険が生じるとすれば、それはチクロンBの媒体の近くで、室内において火花が散る場合、例えば、倒れ掛かる犠牲者の指輪が壁を引っかく場合、もしくは、抗爆発処理をなされていない電気スイッチや証明から火花が散る場合だけであろう]

http://revisionist.jp/leuchter_01.htmより

私は、これはもう無知のせいだとしか思えません。フォーリソンは大学教授だった!だなんて肩書きで攻めてくるネット否定派もいますが、フォーリソンは文学教授でしかありませんでした。流石に少なくとも化学者の端くれではあるルドルフもその誤りを見過ごせないわけです。日本の厚生労働省によるページでも以下のとおりです。(ちなみにロイヒターは、シアン化水素の発生源近くでは100%近い濃度になるから爆発性があって危険だ、のような説明をしていますが、下記の通り上限値もあります。理屈的には「酸素」がなければ燃焼し得ないからです)

https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/0027.htmlより

引火性があっても、引火点濃度下限(爆発範囲下限)があるので、その範囲内の濃度でないと引火しないのです。そのわかりやすい例が粉塵爆発です。簡単に理解できると思いますが、小麦粉の粉が舞っただけで爆発する危険があるから小麦粉なんか使えるわけがない!だなんて、それなら世界中の人が飢え死にしてしまいます(笑)

要するにフォーリソンは言ってることが無茶苦茶なだけなのです。

ところで、その話が書いてある自叙伝の記述を、真面目に読んだ人っているのでしょうか? 上記のような反論は目にしたことはあるのですが、自叙伝の記述それ自体にあたった人って、実は見たことなかったのです。で、当然持ってますから、読んでみたのですが・・・唖然でした。以下にそれを長々と引用します。該当箇所のみ強調します。

ユダヤ人の不可解さ
 すでに、荷役ホームで選別が行なわれる時に、たくさんのゴタゴタがおこった。引き裂かれる家族たち、妻や子供と引きはなされる男たち。それだけでもすでに、全部隊が大へんな興奮と動揺だった。しかも、作業能力ある者が分離されるに及んで、その騒ぎはいよいよ高まった。
 家族たちは、いつも必ず、一緒に残ろうとする。選り分けられた者は、また家族たちのところにもどろうとする。そして、子供をつれた母親は、その夫や、労働用に選ばれた年かさの子供たちのところに帰ろうと必死になる。こうして、大へんな混乱が おこり、またもう一度、選び分けねばならなくなる。
 使えるのは限られた狭い場所なので、適切な区分を設けることもできない。どんなに押え鎮めても、興奮した群衆には効き目もない。そのため、しばしば、力ずくで、秩序を回復しなければならなかった。
 それに、すでに別の所でもいったことだが、ユダヤ人には、一つの強い家族感情がある。彼らは、互いに、一本の鎖のようにつながりあっている。それでいて、私の見たところ、彼らには、互いの間の連帯感が欠けている。
 こういう状況では、互いにかばい合わずにいられまいと思うのが人情の自然であ る。ところがどうして、ユダヤ人はとくに西欧出のまだかくされている仲間のアドレスを吐き出しさえもしたのをしばしば耳にしているし、私自身も経験した。
 一度など、ある女は、ガス室の中からあるユダヤ人家族のアドレスを、下級隊長に教えさえした。また、その身なりや態度からして賤しからぬ暮しをしていると思われる男の一人は、服を脱ぐ時、私に一冊の手帳を渡したが、それには、ユダヤ人をかくまっているオランダ人の家族のアドレスが、ずらっと書きとめてあった。
 何がユダヤ人をして、かかる暴露に駆り立てるのか、そのきっかけは何か、ということは、私には説明のしようもない。個人的復讐からか、他人が生きのびるのを喜ばぬ嫉みの気持からか。
 その点では、特殊部隊の態度もまた、全く異様だった。彼らは、その作戦行動が終るときには、すすんでその虐殺を助けた何千というその同胞と同じ運命に、自分も見舞われるのだということを、もちろん十分に承知していた。にもかかわらず、彼らは熱心に協力して、いつも私をおどろかせたものだった。
 もちろん、彼らは、犠牲者たちに待ちうける運命を一言も告げなかったばかりでなく、脱衣の時はせっせと手助けをし、逆らう者たちは力ずくでも服を脱がせた。また、動揺する者を連れ去り、射殺の際には、しっかりと押えることまでやった。さら に、彼らは、銃をかまえる下級隊長たちが目に入らないように、犠牲者たちを連れてきたので、その下級隊長は、人目につかずに、頸筋に銃をあてることができた。ま た、彼らは、ガス室の中へ運びこめないような病人や衰弱した者たちにも、同じよう処理の仕方をした。まるで、自分自身が殺す側に属しているかのような自然さだった。
 つづいて、部屋から屍体を引き出す、金歯を取去る、髪の毛を切る、墓穴または焼却炉へ引きずってゆく。それから、穴のそばで火の調整をする。集めてある油を注ぎかける、燃えさかる屍体の山に風通しを良くするために火を掻きたてる。
 こうした作業全部を、彼らは、まるで何か日々のありきたりのことのように、陰鬱な無表情さでやってのけるのだ。屍体を引きずっている最中でさえ彼らは、何かを食べたりタバコをふかしたりする。すでに長時間、大きな穴に転がされて腐臭を発する屍体を焼くという、陰惨な作業の時にさえ、食べるのをやめないのだ。

 さらに、特殊部隊のユダヤ人が、屍体の中に自分の身近な者を発見したり、それど ころか、ガス室へ向う人間の中に見つけることさえもよくおこった。たしかに、彼ら にそれとわかるほど近くにいても、彼らは決してゴタゴタを起こしたりしなかった。 私自身も、一度、その例を経験した。
 施設の部屋から屍体を引き出している最中、特殊部隊の一人が、突然ぎょっとした ようにとびさがって、一瞬身じろぎもせず立ちすくんだが、また仲間たちと屍体を引っぱりはじめた。私はキャップに、どうしたのか、と訊ねてみた。彼は、あのとび さがったユダヤ人は、屍体の中に自分の妻の姿を発見したのだ、といった。
 私はなおしばらく、彼を観察していたが、別に変ったようすも見られなかった。 彼は、前と同じようにして、屍体を引っぱっていった。それから少しして、またその部隊の所にもどってみると、彼は、他の連中の間にまじって、何事もなかったように、 食事をしていた。彼は、自分の興奮をかくしていたのだろうか、それとも、もうそうした体験に磨してしまったのだろうか。
 特殊部隊のユダヤ人に、この身の毛もよだつ仕事を夜に日についで行なわせるだけの力をあたえたのは、そもそも何であろうか。彼らは、わずかに死を免れさせてくれかもしれぬ特別の偶然を当てにしていたのだろうか。それとも彼らは、あまりに陰 惨な出来事の数々のために、弱り果て、無感覚になって、自らに決着をつけ、自らのこうした「在り方」に決着をつけることもできなくなってしまったのだろうか。
 私は、彼らを十分に観察する機会をもったが、本当の所、彼らの態度の理由をきわ めることはできなかった。ユダヤ人の生と死は、私にはついに解くことのできない謎であった。こうした体験のすべて、私がここに述べた、そして、なお無数に加えられ これらの出来事は、虐殺の全過程のほんの一部、わずかにそれを一瞥したものでしかない。

ルドルフ・ヘス著、片岡啓治役、『アウシュヴィッツ収容所』、2019年、講談社学術文庫、pp.302ff(強調は私)

このパートの「ユダヤ人の不可解さ」というタイトルは、元の編著者であるマルティン・ブローシャートが付けたものでヘスのものではありませんが、ここは、ユダヤ人囚人のゾンダーコマンドに対する不可解な感情を記述した部分なのです。従って、ヘス自身が見た光景がごちゃごちゃに混ぜられており、どこか特定の場所を示した記述には、そもそもなっていないのです。ですから、これが火葬場の話なのかそれとも野外焼却壕での話なのか区別できません。どのタイミングの話なのかすら全然わからないのです。従って、シアン化水素ガスが全く問題ない状況だって十分あり得ます。上の翻訳には「大きな穴に転がされて腐臭を発する屍体を焼くという、陰惨な作業の時にさえ、食べるのをやめない」とあり、翻訳が正しいのであれば、これは明らかに野外ピットでの話なのですから、何の問題もありません。

翻訳が正しいのかどうかという微妙な問題はないとは思いませんが、にしてもフォーリソンの読解方法はあまりにも独特・異様と言わざるを得ません。修正主義者は一般に、証言などの中に誤りを一箇所でも発見すると、たちどころに証言者の証言の全体を否定してしまう傾向があります(もちろん、否定に都合が良い場合は、どんなに間違っていてもそんな強引なことはしませんw)。

しかしフォーリソンの場合は、証言内容を読み手で補完して解釈する、ということがあまりないのです。例えば上の食べ物や喫煙の話が火葬場の中の話だったとしても、「安全な状況下での話なのだろう」と補完して読みさえすれば、特に問題のある記述ではなくなるのです。私たちは日常の会話でも実際にほとんどの場合そうしているはずです。「朝起きたら12時でさあ」「12時は朝じゃなくて昼だよ」のような。

これを、フォーリソンは「12時は朝ではない、故に君の言っていることは信用できない」としているようなものです。その上、フォーリソンは文章をちゃんと読んですらいない疑いが強い。野外の話として読めば何の問題もないからです。

そのくせ、フォーリソンは否定に都合が悪くなると途端に、自分自身の解釈で補完しようとするのです。その実例を以下に引用して終わります。

矛盾する証拠を無視するフォーリソン
 プルサックがフォーリソンの方法論に疑問を抱きはじめたのは、ストラスブルク近郊のナットツバイラー・シュトットホフ強制収容所における囚人殺害週報を、一緒に検討しているときであった。
 一九四三年八月、ガス室が稼動を開始した。ストラスブルク大学解剖学研究所の教授アウグスト・ヒルトに標本骸骨を提供するためである。もうひとりオットー・ビッケンバッハという教授 が、囚人に医学実験を行なうため、ガス室を使用した。主としてユダヤ人とジプシー(ロマ人) 約一三〇人がガス室で殺されている。プルサックとフォーリソンが収容所の記録文書を調べてい るとき、プルサックは"誠実で細心な教授に、憂うべき不審な影”を見た。
 収容所管理官は、収容人数に関する週報を作成していた。ガス室が稼動しはじめた一九四三年 八月の報告のうち二つが、重要な証拠を含んでいた。八月一四日付報告には、週のはじめの収容 ユダヤ人数を九〇名とし、うち三〇名は死亡により収容所を去る"と記録されている。次週の 報告では、週のはじめの人数六〇名、うち五七名死亡とある。異常に高い死亡率である。ガス室が稼動しはじめたのとちょうど同じ時期、二週間高い死亡率が続いている。
 ブルサックは頭をかしげた。彼はすぐに別の証拠を発見した。ほかの週報では、場合によって 死亡が反対の欄に記入され、この二つの週報ではそこがブランクのままである。ほかの死亡については、ナットッバイラー市役所に記録があるが、この二週間分の死亡に関しては、記録がない。 プルサックは、この二つの報告が、ユダヤ人の大量殺害を物語る”のっぴきならぬ証拠"と考 えた。しかしフォーリソンは、できあいの "説明"をした。八月一四日および二一日付の報告に 使われたフォームが、前のと少し違っていると(前のがローマ字体であるのに対し、この二つは ゴシック字体で印刷されていた)。
 フォーリソンは、字体の変化がSSを混乱させたのである、と説明した。〝解放〟欄に記入す べきところ、担当SSは"死亡〟欄に間違ってリストアップしたというのである。二週間続けて間違ったということらしい。この都合のいい説明は、矛盾する証拠を無視するもので、プルサックに警鐘を鳴らしたのである。フォーリソンの説明は、もはや正確かつ論理的とは思えなく なった。証拠との関係がほとんどないのである。
 (ナットツバイラー報告に関するフォーリソンの扱い方で、プルサックが疑問を感じるようにな ったのは、いささか皮肉である。当時、プルサックは知っていなかったようであるが、ガス室建設を監督した武装SS隊が、施設の使用目的を明記した文書を残している。その隊は、「ガス室 「建設」費の請求書をストラスブルク大学解剖学研究所へ提出していた。)

デボラ・リップシュタット、『ホロコーストの真実(下)』、1995年、恒友出版、pp.104ff(強調は私)

プレサックの『技術』からの直接引用も以下に示します。

私は、1979年2月15日にフォーリソンがLICRA(反人種主義・反ユダヤ主義国際連盟) の告発に答えるために裁判所に出頭する召喚状を受け取っていたことを知らなかった。その他、ANFROMF(フランスのために命を落としたレジスタンス戦士と人質の全国遺族会)、UNADIF(全国強制退去者・抑留者・行方不明者家族会連合会)、FNDIR(レジスタンス強制退去者・抑留者全国連合会)、CAR(レジスタンス行動委員会)、l'Amicale des deportes d'Auschwitz et des camps en Haute Silésie(アウシュビッツ・上シレジア収容所収容者協会)、MRAP(反人種主義・国際親善運動)、les Fils et Filles des Déportés Juifs de France(フランス国外追放されたユダヤ人の息子と娘たち)などが原告に加わり、UNDIVG(国内戦災者・被害者連合会)も登場する予定であった。私は、彼を阻む法的な足かせを徐々に見つけ出していっただけなのだ。彼の目下の関心は、自分の身を守ることであった。裁判については、ストリュートフ(ナッツバイラー)のガス室の問題が当面の課題であった。私は講習を受け、パリのパレ・ド・ジャスティスでストリュートフ裁判の公文書を調べるのに同行した。それが、「誠実で几帳面」な先生をより心配にさせるエピソードにつながったのである。86人のユダヤ人犠牲者がストリュートフのガス室で死を迎えた(アウシュビッツから送られた女性30人と男性57人のうち、1人は銃殺、残りはガス処刑)。管理上の痕跡を残していたのである。囚人の数に関する週報によると、1943年8月14日には90名のユダヤ人がおり、そのうち30名が死亡して「去った」、1943年8月21日には、残った60名のうち、さらに57名が死亡していることが示されている。死因は(不確かでも)通常、報告の反対側に記入されていた。しかし、この87人のユダヤ人に関する報告の反対側には何も書かれていなかった。しかも、収容所での死亡は、ナッツヴァイラーの市役所に報告され、記録された。この死んだユダヤ人のことは一切書かれていない。この2つの文書が決定的な証拠となる。フォーリソンは、保存されているすべての週報を調べた結果、1943年8月14日と21日の週報は、それまでローマ字で書かれていたものがゴシック体で印刷されている、という説明をした。この書式の変更に戸惑ったSSは、「Entlassung / 解放」と書かれた行に87人を記すのではなく、誤って「Todesfalle / 死」と書かれた行に記入してしまったのだ、と。彼の稚拙な言い分が、警鐘のように私の耳に響いた

『技術』より(強調は私)


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