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ホロコーストを疑っている人のために

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かつてナチスドイツが行ったホロコーストを「なかった」という人たちがいます。それらの主張の代表的なものを、ある海外サイトを参考に論破する試みです。
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2020年11月の記事一覧

ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(2)

ロイヒター・レポートの発表以来、多くの正史派・アンチ修正主義派側の人たちは、レポートの内容について批判してきました。中でももっとも反論の対象となったのは、害虫駆除室と殺人ガス室跡におけるシアン化物残留濃度の大幅な差について、です。 ロイヒターレポートでは、害虫駆除室のシアン化物残留濃度の検出値は約1,000mg/kg(採取試料1kg換算あたり約1,000mg)だったのに対し、殺人ガス室では0〜10mg/kg程度とあまりにも大きな濃度差があったのです。これにより、確実にシアン

ゲルマー・ルドルフ宣誓供述書への反論(3)

ルドルフは色々と誤っていますが、それまでの修正主義説への反論が誤っているものも多くありました。 例えば、2000年前後頃に日本でホロコースト否定論が盛んに議論になった時に、肯定派側からよく持ち出された、ティル・バスティアン著、石田勇治ら訳、『アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘〉』(1995、白水社)があります。この中から、少々長くなりますが、ロイヒターレポートに関する批判箇所を以下に引用します。 この引用部分の強調してある部分についてが誤りなのです。ほぼ反論論拠の大

ルドルフ・ヘス自身による証言・回想録の疑惑問題、及びヘスによる犠牲者数証言の変化について。

註:この記事は2020年11月30日に公開したものですが、2023年7月に翻訳を含めて記事を大幅に改訂しています。 アウシュヴィッツ収容所の初代所長(司令官)であり、かつ最もアウシュヴィッツ収容所長を長く勤めたルドルフ・フェルディナンド・ヘスは、戦後、一旦イギリス軍の捕虜になりましたが、その時は海軍に紛れ込んで逃亡中だったので元アウシュヴィッツ収容所長だったとは気づかれず、すぐに釈放されて、とある農家の雇われ農夫として働いていたところを、1946年3月11日深夜(あるいは1

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(14):殺人ガス処理と思われる動画に関すること。

今回のトプ画写真は、少年の裸が写ってますが、ギリギリ大丈夫かなと思って、掲載しました。これはAmazonプライムにあるBBC制作の『アウシュビッツ ナチスとホロコースト』第1話からのスクショです。約半年くらい前に見たのが最初だと思いますが、「へー、まさに今からガス殺するという動画が残ってるんだ」と驚いたものです。 しかし、この動画は情報を全く表示してはくれないので、一体、いつ撮られたのかも場所も、何の動画かも全然分かりません。映像から、精神障害者をどこかから連れてきて害虫駆

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(13):アインザッツグルッペンDと裁判

トプ画写真にアインザッツグルッペンの写真を貼っとこうと思って今回の写真を貼っただけですが、最近は、ネットでも死体写真(グロ写真)をあげると自動なのか手動なのか知らないけど、サイト・サービスによってはすぐに投稿削除されてしまうところもあるようでして、下手にアインザッツグルッペンのものとされている写真をあげるのは考えものだったりします。 それくらい、アインザッツグルッペンの写真というのはかなり多くて、現地虐殺部隊が殺しまわってたこと自体は、あれはパルチザンを殺していたんだ、とい

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(12):戦後のナチス犯罪裁判でのアインザッツコマンドの証言。

延々と、このシリーズでは戦後のナチス犯罪裁判の証言が登場するのですが、一体どの裁判なのでしょうね? この辺の事情、ちっとも知りませんので、勉強しないといけないかなぁ、と思っていますが、第二次世界大戦後の連合国によるニュルンベルク裁判を別として、各地で多くのいわゆるナチス関連裁判が延々と行われており、もしかすると、今もやってるかも知れません。 有名なのは、イスラエルのアイヒマン裁判ですし、アイヒマン裁判に刺激されて始まったとされる西ドイツにおけるアウシュヴィッツ裁判(トプ画写

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(11):ヘウムノ絶滅収容所とガス車の改修。

トプ画写真は、ガス車のペーパークラフトだそうです。こちらで紹介されていますが、印刷用のダウンロードデータは既にありませんでした。プラモデルでもないのかなと思って探したのですけど、ネット上には見当たりませんでした。実車がないのなら模型でもないのかな? と思ったんですけど、ないんですよね、今のところ。これだけ知られているのに、映画などの映像作品でもほとんど出てこないのです。最近見たのはNetflixにある『マウトハウゼンの写真家』のラストにちょっとだけ出てくるだけです。意外や意外

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(10):アインザッツグルッペンBとガス車。

今回は記事がそこそこ長いので、冒頭は短く。 or アインザッツグルッペンまで気にするのはやはりめんどくさすぎるので、こちらの都合でまとめてるだけだったりします。 では以下翻訳です。 ▼翻訳開始▼ ガスバンに関するアルバレスへの反論:アインザッツグルッペン Bの活動と状況報告ガスバンに関するアルバレスへの反論 第一部:ディーゼル問題がいまだに無関係な理由(更新1、2) 第二部:プロデューサーガス 第三部:フォードのガスワゴン(更新) 第四部:ベッカーレター(更新) 第

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(9):テレックス

読者の方は「テレックス」という言葉を聞いたことがあるだろうか? 今はアディダスシューズの一シューズ名にあるようだが、Fax以前にあった文書通信装置である。タイプライターさえ知らない人がいるこのご時世、私自身も見たことすらない装置・仕組みを説明するのも一苦労だが、ごくごく簡単にいうと、例えばあなたが今スマホを使って、表示される入力用キーボードから「A」という文字をタップ送信すると、LINEなどのメッセージングアプリなどの受信側で「A」が即座に出力されるのはよく知っているはずだ。

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(8):セルビアでのガスバンとユダヤ人絶滅。

たまーに、ほんとにごく稀にホロコースト否認論シンパな方が私の翻訳note記事を読まれることがあるのですが、「お前の記事は所詮、機械翻訳しているだけなのだから数分で終わる作業じゃねーかw」みたいなことをおっしゃる人がいるのですが、それはとんでもないことです。 機械翻訳にかけると、結構な頻度で「誤った・不適切な翻訳」を返してくることを学んだので、出来るだけそうならないよう、色々と工夫しているのです。その様々な工夫の一つが、出来るだけ一文ごとに訳していることです。機械翻訳をよく知

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(7):タイプライターの使い方・書式・プラデル「少佐」の階級。

さて今回も、文書資料がテーマです。否定派の文書資料のやっつけ方は、解釈によって文書を捏造されたものとはしないで「正史派」の解釈を否定するやり方では十分な否定が不可能と判断される場合(例えば直接的にガス処刑に触れているとしか読み取りようがない場合など)には、1)記述内容の意味的矛盾を追求する方法と、2)形式的矛盾を指摘する方法、の二種類によって「捏造文書」にしてしまう方法を取ります。前回は1でしたが、今回は主に2の方です。どちらの方法も、読者の無知につけ込む方法であり、知らない

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(6):ベッカーからラウフへの書簡

上の写真はバルバロッサ作戦時のものらしいですが、当時のソ連というのは道路状況は最悪でした。写真のような有り様がソ連では常態でした。これが独ソ戦の失敗の一因でもあったと言われています。問題はよく言われるように兵站にあり、ドイツは効率よく前線に物資を運べなかったのです。ソ連は極端なほど道路事情が酷かった。今のように舗装なんかあるわけありません。まともな道はほとんどなかったとさえ聞きます。 そういうところへ、ガス車を持っていくのですから、実際には結構苦労したようです。今回の記事で

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(5):フォード車はガソリンだったという話。

ナチス・ドイツが用いたいわゆる「ガス車」については、その実物が全く残っていない上に、写真すら残っておらず(例のマギルストラックの有名な写真は証拠にならないことが判明している)、絶滅収容所のガス室のように固定された場所で活動していたわけでもないので、その実像がなかなか分かりづらくなっています。特に、アウシュヴィッツ・ビルケナウの建設部に残っていた図面資料なども、ガス車には全く残っていないので、その実像に迫るには証言証拠と文書証拠に頼るしかありません。もちろん、歴史家の研究によっ

ホロコーストにおける「ディーゼルエンジン問題」について(4):プロデューサーガス車があるのにどうして使わない?という難癖。

プロデューサーガスとは聞きなれない言葉かもしれません。実は、日本語にはこれに相当する用語がありません。しかし、木炭ガスと言えば少しは聞いたことのある人もいるかもしれません。基本的には実は同じものを指すと考えても良いのですが、用語として「Producer Gas」を「木炭ガス」と翻訳していいのかどうか迷うところでして、ここではプロデューサーガスと呼ぶことにします。 第二次世界大戦中は特に日本やドイツでは資源確保が困難になったため、石油燃料を使うエンジン系を扱うことが難しくなっ