熱視線
ちょっとした用事を済ませに、いつものように自宅最寄りの駅から電車に乗った時のこと。
たまたま、よくお会いする駅員さんにスロープを出してもらい『行ってらっしゃい』『ありがとうございます。行ってきます』という挨拶を交わして乗車。
すごいエネルギーで、こちらを見ている視線に気が付きます。
ああ、お子さまの視線はわかりやすい…
『mitsuguさん。あの子めっちゃ見てます』
脇に付いてくれているヘルパーが小声で知らせてくれました。
『うん。あれだけはっきり見られてればすぐ分かるね…いいんだよ。見たいなら見てもらおう』
今は、車いすに乗った人が街に出たとしても、昔ほどあからさまにジロジロと見られることは少なくなりました。
障害のある人だけでなく、高齢で車いすに乗る人なども増えたために、車いすが風景の一部になってきた。ということでしょうか。
それでも、介護体験のイベントなどで、車いすに座ったことの無い一般の人と街に出ると…
『なんだかすごく見られてる』という感想を持つ方もいますね。
そんな時…私は『見ている人は見ているでしょうが、この場の全員がこっちを見てる、という訳じゃありません。私たちをじっとみていられるほど暇じゃない人がほとんどですし、みんな自分の用事の方が大事です。気にしたって意味ないですよ』
というのですが…
電車の中のその子、その男の子は…気にするなという方が無理なほど、強烈な視線をこっちに向けてきます。一緒にいるお母さんも、恥ずかしいやら申し訳ないやら…という感じで、目線でこちらに謝って来ます。
うーん、気まずい…
『よし!!こっちから近寄ろう』
と私がいうと、
え、行くんですか?と、驚くヘルパー。
『別にとって食われるわけでなし。いっそ話しかけてみた方がいい時もある。じっと見られるだけだとこっちもしんどいから』
私が子どもだった頃は、車いすで外出しようとする人もまだ少なく、もっとたくさんの人からあからさまにジロジロと見られていました。
悪意、敵意に満ちた視線。
哀れみのこもった視線。
頑張れよ…とか、心配だな、という励ましや気遣いの視線。
まだまだ多感で未熟だった昔の私は、そうした視線にどう向き合うか、どう受け止めるか、えらく悩んだものでした。
結果…今では《気にしなけりゃこっちの勝ち》という結論に達したのでした。
ジロジロ見ないようにしようとしても、一旦気になってしまえば目をそらすのは難しいでしょうし、
こっちから見ないでくれと頼んでも、ギクシャクした変な雰囲気になります。
相手が…こちらをどんな風に見ていようと相手の自由。それをどう受け止めるかは私の自由です。
私の長年に渡る
『人からジロジロ見られ歴』
から分析するに、妙な確信がありました。その子の目には悪意がない…。ただこちらが珍しいだけだ…
『こんにちはー!おじさんに、なにかご用ですか?』
いきなり私が接近してきて、ちょっとビビるお母さん。
やはり相変わらず、身体に穴でも開きそうなほど、私を見ているお子さん。ゆっくり口を開きます。
『それは…』
失敬、男の子だと思ったけど、声聞いたら女の子だった。
『電動車いすというものでしょうか?』
背丈や身体付きを見る限り、小学校三年生くらいかと思います。
『そうだよ。電動車いすだね。さっきからこっち見てたよね。機械に興味があるのかな?』
『そうじゃないけど…』
『んー?何かな』
私も、完全に講師スイッチが入ります。
『わざわざそんな道具まで使って、お出かけするのは、大変じゃないんですか?』
青くなるお母さんの顔面…私の傍にいるヘルパーも怪訝な顔になりました。
つまり『この子は、なんて失礼なことを!!』という顔ですね。
もちろん私も人間ですから…やっぱり腹も立ちます。
このガキ…ケンカ売ってんのか?と思わなくもなかったのですが、その子のお母さんの真っ青な顔や、ヘルパーの顔を見て、なんだか面白くなってしまい…むしろ冷静になりました。
いつも思うことですが、子どもはわりと残酷なものです。必ずしも、大人が見て聞いて喜ぶような反応ばかり返してくれるわけではありません。
そういう時、その場の会話をどう成立させるかが…大人の力量、喋り手としての腕の見せどころだと思っています。
『なるほどーつまりあなたは…自分が車いすになったら、イヤだなあ、と思ったんだね?』
『うん』
『自分の力で動けなくなって…それでも機械に頼るのが、みっともなく見えたかな?』
おじさんが、みっともないわけじゃなくて
と、その子。
『自分だったら、生きていけない』
ということなのだそうです。
自分の身体が動がなくなれば、今まで自力で自由に出来ていた事が、全て出来なくなる。そうなった時、生きる価値があるか、機械の力や人の手を借りて、生きていていいんだろうか?
あれが自分だったら、どうしよう。
それをずーっと考えて…私のことを見ていたようです。
失礼どころか…なんて賢い子でしょうか。
すごく想像力豊かではありませんか。
『あのね…おじさんはね。自分で生きているんじゃないんだよ』
私も、彼女の真剣さに応えるべく、真剣に答えることにしました。
『死なないでください。生きててくださいって言ってくれて、車いすを作ってくれたり、身の回りでお世話をしてくれる人がいるから、頑張って生きようという気持ちになるんだよ』
私の言葉が、どれだけ彼女に通じるかは分かりません。しかし、言わなきゃいけない気がしました。
『自分では、自分が生きてていいかどうかなんてよく分からない。死んじゃおうかなって考えたこともあるよ』
彼女が、すごく真剣に聞いてくれているのがわかりました。
『でもさ。死ぬのだって誰かに手伝ってもらわなきゃならないよね。誰かの死ぬ手伝いをするのって、すごくイヤだろうし、死んだあとのお片付けだって大変。自分ために、誰かにそんな悲しいお手伝いをさせるなんて、自分が死ぬよりずっとイヤだ。
だから生きてる。
どうせ誰かに手伝ってもらうなら、死ぬ手伝いより生きる手伝いをした方が周りの人も楽しいよね』
なんかよく分かりませんが、お母さんがボロボロに泣いてました。
その子…ポカンとしてました。さすがに難しかったかな…
いずれにせよ、話してみないと分からない。聞いてみないと分からない。
話したところで伝わらないかもしれないけど、黙っていては、もっと伝わらない。
つくづく、人に伝えるって、難しいもんですね。
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