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働けずともなお食う生き方

収入に繋がらない…いわゆる賃労働をしていない私ですが、最近やっと、自分なりの答えが見えてきた気がします。
若い頃、それこそ養護学校を出たばかりの頃は、勤め人になろうとしたこともありました。
しかし、頑張ろうとすればするだけ、沢山消耗してしまい、休養も多く必要になります。
いつしか、回復のために休養している時間の方が長くなっていき…
「このまま職場に入っても、たくさんの人に心配をかけるだけだ」と判断し、実習が終わったところで、「働いて金を稼ぐ」という生き方を諦めました。
「働かざる者食うべからず」という言葉に縛られていた当時は、働けない自分を認めるのが、とても苦しかったです。

しかし、一方、障害年金や各種手当を組み合わせれば、なんとか食べていくことはできる。親元を離れても暮らしていける。と分かった時の安堵感も、大きなものがありました。
そこからは何年も何年も、自問の日々が続きました。
「働かない。働けない自分は、なにをして過ごせばいいんだろう」
私の頭は決していいほうでは無いし、器用でもない。没頭できることと言えば、ひたすら本を読むくらい。
そんな私に、「障害のある人が考えていることを、みんなに伝えて欲しい」と提案して下さった友人、知人には今でも感謝しています。
「障害者って言ってもいろんな人がいる。私よりも適任な人が沢山いる」と戸惑う私でしたが、逆に「じゃあmituguくんは、ずっと障害者として生きてきて、世の中に言っておきたいことは無いの?」と問われました。
もちろん言いたいこと、外に出したい言葉はたくさんありましたが…自分の愚痴なんか人に聞かせるのはみっともない。という気持ちがありました。
「じゃあ、愚痴じゃないやり方で、誰かに気持ちを伝えていこうよ」
と言われたものの…社会に適合出来なかったという辛さ。自分が頑張るだけでなく、自分の周りの環境にも歩み寄って欲しかった。という悔しさがなかなか取りされず、ここでも苦しみました。
愚痴や恨みでなく、自分の考えを伝えるきっかけを探していた時…ファミレスの店員さん、コンビニの店員さん。いわゆる「接客業」の人達に、きつく当たる年長者の方を多く目にしました。
「一生懸命働いてくれる人がいるから、店で買い物や食事ができるんだろうに…オレなんか、障害者なんだから周りに感謝して生きろ!出しゃばるな!って、どんだけ言われてきたことか…」
と、つい愚痴りそうになって、はたと気が付きました。
この世に、他人の助けを借りずに生きられる人なんかいない!障害者だけがいじけて生きる必要もない!…今から思えばすっごい当たり前なことですが、目からウロコが落ちた気になりました。
それから後は、小さなことにも感謝しながら、自信を持って生きてこられた気がします。 そしてその考えを、子どもさんたちに伝えています。
働けなかった悔しさも、今はもうありません。働けなくても、別の形で人の役にたてばいい。なんなら何もしなくても、息さえしていればいい。外をプラプラするだけでもいい。
一人ひとり、自分がその時にできることを、精一杯やればいい。
息するだけしかできないなら呼吸を、外に出るだけで精一杯なら、日々の外出を。
目の前にあることを、ひたすら本気になってやればいい。それは怠けているのとは確実に違う。

そうすれば後のことは、自然に付いてくる。応援してくれる人も増える。今はそう思います。

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