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RSGT2020 Kyonさんの講演を聞いて考えたこと

3分でチケットが完売したRegional Scrum Gathering Tokyo 2020のなかでも、Kyonさんの講演は入場規制が行われるほどの満員となりました。

運良く拝聴することができてほくほくしていたら次のような投稿が。

コメント 2020-01-20 145933

おぼろげな記憶とメモから考えたことを書いてみました。

勘違いして理解しているところや、自分の考えの至らなさによる間違いも多くあると思います。また、kyonさんへの感想というよりも、kyonさんの発表を刺激として私が考えたことが中心となります。

RSGT2020でのスライドは現時点(2020/1/20)では公開されていないようですが、以前のスライドはこちらで解説と共に紹介されています。
http://kyon-mm.hatenablog.com/entry/2020/01/06/101552

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kyonさんの発表は他の講演者にはない特徴があります。多くの講演者の発表はスクラムの基本をベースとした発表が多く、使われる言葉もよく聞く言葉になります。

一方でkyonさんの発表はフラクタル超個体など他の分野のアイデアを用いて、スクラムやソフトウェア開発を前進させようとしているように見えます。

今回は下記についてkyonさんの話から私が考えたところを書きました。

・工学の歴史に1ページ加える
・フラクタル
・超個体
・進化心理学

工学の歴史に1ページ加える

「工学の歴史に1ページ加える」という目標を話されていました。ページを加える方法としては、実証することと、展望を示すことの2つがあると思います。

展望を示す例はアラン・ケイのダイナブックです。60年前の展望は50年たってiPadによって実現されました(多くの子ども達が当たり前のようにタブレットでコンピュータに接し、子ども同士でリモートコミュニケーションしています)。

実証と展望はどちらも発展には欠かせないことだと思いますが、今私が世界に足りていないと思うのは展望が示されることだと考えています。

ソフトウェア開発以外の分野からも貪欲にアイデアを活用し、ソフトウェア開発のあり方を広げるkyonさんの活動をみていると、勝手ではありますが将来の展望を示されることを期待しています。

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アラン・ケイによるDynabook構想

日本語訳されたもの
あらゆる年齢の「子供たち」のためのパーソナルコンピュータ
アラン・ケイ ゼロックス パロアルト リサーチセンター
 https://swikis.ddo.jp/abee/74


フラクタル

コンピューターグラフィックスをやっていましたのでマンデルブロの発明したフラクタルにはすこし馴染みがあります。ただ、マンデルブロの思想まで踏み込んでいるわけではないので浅い理解です。

今のフラクタルの理解を私なりに言葉にすると下記となります。

・外部から介入せずに構造を拡縮できる幅
・有限の内で圧縮された構造(制約に沿って圧縮された構造)

フラクタルを再確認しましょう。フラクタルは現象です。

川沿いを眺めているとしますしょう。
川の形を注視しながら空に昇っていきます。

より広い河流の地形が視野に入りますが、どんどん上っても凹凸の形状は似ています。これがフラクタルの自己相似性という性質です。

コメント 2020-01-20 150404

出典:http://paulbourke.net/fractals/googleearth/

しかし、さらに昇っていきましょう。更に地球から離れて、月から眺めてみます。フラクタルは消えてしまいました。

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次に、ビーカーの中で育つ結晶をイメージしてみましょう。
ビーカーの中で結晶がぐんぐん成長していきます。
そしてビーカーの大きさまで大きくなると成長が止まってしまいます。

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出典: https://kidukilife.net/chemicallife/alumcrystal/


今度はコンピューター上ので演算されるフラクタル図形があります。
これも成長の途中で止まってしまいます。
計算力だったりメモリに大きさが制約されているわけです。

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出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD%E9%9B%86%E5%90%88

これが冒頭の理解の理由です。

・外部から介入せずに構造を拡縮できる幅
・有限の内で圧縮された構造(制約に沿って圧縮された構造)


チームの活動におけるフラクタルとはなにかを考えるのは面白い試みです。フラクタルは現れるものです。どこに現れるでしょうか。kyonさんのRSGT2019での発表では時間の使い方に現れていたように聞こえました。


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Extreme Programmingの構造

チーム活動では、どこかしらの境界で何かしら摩擦がおこります。時間や、受発注の力関係が境界を作ることがあります。そのどこかでいくつかの種類のフラクタルが現れるかもしれません。

フラクタルの成長が止まる境界には、フラクタルの構造に作用する上位の秩序が作用しています。

ここからは構造の制御について異なる文脈から考えてみたいと思います。

上位の秩序による下位構造の制御

フラクタルにも当てはまるのかは分かりませんが、下位構造に上位の秩序が作用することを明らかにしたのがマイケル・ポランニーです。境界制御の理論という表現をしていました。

その例は言語です。言語は多段階の異なる秩序によって制御された多重創発です。ここからは『暗黙知の次元』から該当箇所を引用します。

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チェスのプレイは諸原理によって制御される存在であり、その諸原理はチェスのルールの遵守に依拠している。しかし勝負をコントロールする諸原理が、チェスのルールに由来するものなんてことはあり得ない。このように、暗黙知の二条件、すなわち諸要素から成る近位項と、諸要素が包括された意味から成る遠位項は、実在(リアリティ)の二つのレベルとして現れる。しかもこの二つのレベルは、それぞれ特有の原理を持っているのだ。
煉瓦焼きの技術を考えてみよう。その技術は、それより下位層にある原料に依拠している。しかし煉瓦焼き職人の上位層には建築家がいて、煉瓦焼き職人の仕事に依拠して、働いている。さらに、今度は建築家がその上位層にいる都市設計家に仕えなければならない。これら四つの連続したレベルに対応するものとして、四つの連続した規則が存在する。物理学と化学の規則が煉瓦の原料を統治する。工業技術(テクノロジー)が煉瓦焼きの技術を規定する。建築術が建築業者に教えを施す。そして、都市設計の規則が都市設計家を制御する。

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機械はその作動原理によって規定され、それは機械がどのように作動するのか教えてくれる。この作動原理は機械を構成する部品をも規定しており、機械が作動しているときの諸部品の機能について語ってくれる。さらにそれは、機械が果たそうとしている目的についても語ってくれる。機械がちゃんと作動するためには、部品が物理学的属性と化学的属性を持たねばならず、部品の共同作業に関係して一定の物理—化学的作用が必要である。この点では、機械の材質が堅牢で、力学(メカニクス)の法則に支配されていれば、それで十分なのだ。>工学(エンジニアリング)と物理学は二つの異なる科学である。工学には、機械の作動原理とその原理に関係する幾ばくかの物理学の知識が含まれる。他方、物理学と化学には、機械の作動原理の知識はまったく含まれない。したがって、ある物体の物理学的・科学的な構造の輪郭(トポログラフィ)が完全に描かれたとしても、果たしてそれが機械であるのかないのか判断することは不可能なのであり、それがたとえ機械だと判明しても、それがどのように動き、その目的がなんなのかを知ることはできないのだ。すでに立証済みの機械の作動原理ら関連づけて行うのでなければ、機械を物理学や化学を用いて精査しても無意味なのである。
>しかし、機械には、作動原理では分からない重要な特徴がある。つまり作動原理は、機械の故障や破損を決して説明できないのだ。そして、ここで物をいうのが物理学と化学である。機械の物理—科学的構造だけが機械の故障を説明できるのだ。故障しやすさは、いわば、材料の法則が機械の作動原理とは相いれないものなのに、その材料のうちに作動原理を具現化してしまった代償なのである。こうした材料は、最終的には、そうした異質な原理の束縛を脱しようとするものなのだ。
>かし、非生命体として物理学と化学の法則に従っているはずの機械が、どうすればそうした法則の支配を免れることができるのだろう? 機械は、どのようにして自然の法則にも従い、同時に、機械としての自らの作動原理にも従うことが可能なのだろう? 非生命的な物質から機械が形成されると、どうして機械は順調に作動することもあれば故障することもあるようになるのだろう?
その答は「形成(Shaping)」するという言葉の中にある。自然の法則は非生命的な物質を、たとえば月や太陽の球体のような独自の形に、また太陽系のような形態に、拵え上げることがある。人間の手が物質に他のさまざまな形を与えることもあるが、その場合でも自然の法則が破られることはない。機械の作動原理は、そうした人為的な形成作用によって、物質内に形象化されるものだ。その際、境界上には、明らかに自然の法則によっては定まらない一連の条件が存在する。機械の作動原理は、そうした非生命的システムの境界条件を制御するものだと言えるだろう。
この境界条件を決定するのは工学(エンジニアリング)なのである。そしてこれこそ、非生命的系(システム)が二つのレベルで二重の支配を受ける理由なのだ。つまり、上位レベル(=機械)の作動は、下位レベル(=物資)の境界上に人為的に形象化されるのだが、このとき下位レベルに依拠して非生命的性質、すなわち物理学と科学の法則に従うことになるのだ。
上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされる制御(コントロール)を、「境界制御の原理」(the principle of marginal control)と読んでもよかろう。

ポランニーの洞察眼に惚れ惚れしますね!

話を戻すとkyonさんはフラクタルという概念によって開発をより効果的になるよう工夫されましたが、その上位にはどのような概念があるのかが気になりました。

スケールとパタン・ランゲージ、アレグザンダーとコプリエン

パタンランゲージの話になりますが、クリストファー・アレグザンダーとジム・コプリエンは異なる世界観をもっている気がします。

異なるスケール間での相互作用ではアレグザンダーの前期にパタン・ランゲージ、後期には全体性の本質があるかと思います。一方、コプリエンのパターンには巨大さという何かが薄い気がします。

地球環境の一部である都市や何万人ものステークホルダーや、自然災害といったコントロールしきれないもののなかで美しさを育もうとしたアレグザンダーの準制御系の体系と、ソフトウェアという世界からコントロールできる部分を構築する制御系の思考の違いがあるかもしれません。

アレグザンダーの異なるスケールの相互作用を見てみましょう。

『パターン・ランゲージ』の相互作用
(1977) アレグザンダー 41歳
・都市やコミュニティのスケール
・建物のスケール
・建物の細部のスケール

『パタン・ランゲージ』から各スケールに関する記述を引用します。

都市やコミュニティのスケール p.xiv
 パタン・ランゲージのうち、まず、待ちやコミュニティを定義する部分からはじめる。これらのパタンは、決して一度に全部を「設計」したり、「建設することはできないーーだが、1つ1つの行為の積み重ねが、つねにこれらの包括的なパタンの創造や生成につながるようにすれば、息の長い漸進的な成長により、これらのパタンを備えたコミュニティが、何年もかかかって、徐々に、しかも確実に生まれてくるであろう。

何年もかけて徐々にというところが、現代のプロジェクト型の仕事の枠組みと異なるところが面白いです。企業に当てはめるならばプロジェクト型の仕事というよりも、組織文化の醸成に近いように思います。

建物のスケール p.xvii
次に、一群の建物や個々の建物を、地上の立体的な形にするパタンに着手する。これらは、「設計」や「建築」が可能なパタンであるーーつまり個々の建物や建物間の空間を定義するパタンで有り、やっと個人や小集団でも手に負え、一度に建築できるパタンになる。

ここで制御に関するアレグザンダーの能動的な考えが出てきています。

建物の細部のスケール p.xix
次に、パタン・ランゲージの最後の部分で、大まかな空間計画から、じかに実際の建物や建物細部をつくる方法が得られる。

小さなスケールでの空間分割的な考えが垣間見れます。


全体性の本質の相互作用

次に全体性の本質における異なるスケールの相互作用を見てみましょう。
『まちづくりの新しい理論』で紹介されています。アレグザンダー51歳の仕事で、1987年のものです。抽象度が高くなっています。

1.全体性やまとまり*は、空間の具体的な形として表れる。多い少ないといった量で示せる。
2.全体性を生む構造はその状況にふさわしい性質を持っている。だから厳密に同じ形は生まれない。
3.全体性のある状態は、常に同じプロセスによって生まれる。
4.いくつかの中心が徐々に生まれることで中心の場が形成される。ひとつひとつが、それぞれ独自の条件の下で。

ひとつの中心Xが生み出されるとき、同時に三つの異なるレベルで、複数の中心が生み出される。

1.Bより大きなレベルが生み出される。少なくとも一つはBより大きな中心Aとして生み出される。Bは、その中心Aの一部となり、Aを支えるものとなる。
2.Bと同じ大きさのレベルが、Bに隣接するようにまわりに生み出される。だからBの周りにネガティブな空間は生まれない。
3.Bより小さなレベルCが生み出される。いくつかの中心はBより小さな中心として生み出され、Bを支える中心となる。

上記の言葉を元に図にしてみたものが下記になります。アレグザンダーと仕事をなさってきた中埜博先生に伺ったことがありますが「そうだよ」というような明解な返事ではありませんでした。そのため怪しい理解の可能性が高いです。

全体性の本質の上面図と断面図

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自己触媒系による累積的な制御

kyonさんのフラクタルの話に戻ると、実際の働かれている現場を見ていないので分からないところが多々あります。

話を聞いていると自己触媒系の構造に関するテーマで話しているようにも思います。日々の活動を土台として、次の段階へ進むというところですね。

自己触媒系はBZ反応や結晶に現れます。例えば結晶で言えば、結晶の核となる種晶に分子が結合し、その結合の形状が新たなる反応を引き起こして結晶が成長していきます。結果、ミクロではシンプルな反応の連続が巨視的には結晶というマクロな現象を引き起こします。

生物を考えてみましょう。生物はごく少数の元素を元にして、元素同士の多段階の化学反応によって生み出された多種多様な物質から構成されています。

下記の図は中心にあるAとBという分子が、21個のより複雑な分子を自己触媒的に生み出しているモデルです。

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出典:スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理』より


超個体と差異、組織の合意と多義性

講演では攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX がメタファーとして紹介されていたように聞こえました。

蟻であれば、超個体は差異の無い構成要素の相互作用活動によって創発される現象です。作品内でいえば並列化されたタチコマになるでしょうか。攻殻機動隊の作品では並列化していても機体のキズや摩耗、機体内部の付着物などによって個性が固着していく様が描かれました。

生物は脳だけでなく神経経路そのものも計算能力をもちます。つまり身体そのものが計算しているわけですが、脳を並列化しても、身体の変質によって計算が変わり、個性が発露されるのはおもしろい現象です。

蟻からもうすこし高度な意思決定をする人間に視点を移し、STAND ALONE COMPLEXに目を向けると、個別には異なる意思をもつ個人同士が、集団としては同じ方向に向けて協調活動を行うことが該当するでしょうか。ありふれた現象としてはロール、派閥、主義といった社会的活動が該当すると思います。

経営戦略論では重要なテーマとして不確実性が扱われますが、もう一つ、多義性というものが重要視されます。多義性とは一つの出来事に対して、メンバーが複数の解釈をすることです。複数の解釈をしてしまうと協調行動がうまく取れず、混乱してしまいかねません。そのため経営活動として組織内の多義性を減少させることが重要になってきます。

近年の組織開発やアジャイル開発でもよく聞こえてくるAlignは、まさにこの多義性の削減を指します。DDDのユビキタス言語も多義性の削減に根ざした概念だと思います。解釈の違いにあゆみよれるようになりたいものです。

ところでグレゴリー・ベイトソン、ディビット・ボームは知的生産の術を、相手との差異によって生み出すと表現しました。意見交換をして合意を重ねるほどに小さな差異が目立つようになってきます。

そして小さな差異が互いを区別してしまうことになりますが、その微細な区別ができるようになった目利きによって、今まで見分けられなかったものごとが理解できるようになります。合意を重ねることが、同質化ではなく差異を際立てるというのは面白いことです。知的生産は同質化がゴールではなく、新たな地平を開拓するという評価関数があるからかもしれません。

進化心理学、科学の危機、未検証のアイデア、誤解

進化心理学はなかなか扱いづらいものです。なぜなら進化心理学のうちの少なくない論考に反証可能性がないからです。

「○○という行動に至るように行動が進化によって得られた」というような主張があるとします。これは進化を神に言い換えても通ってしまいます。

進化心理学関連の本では教養のある人が好むような文体や表現をしている著者がいます。フロイトの臭いを感じており、そこには興味を引き立てられるが反証できないという共通性があります。

精神分析に興味が無い人でも、心理学の分野におけるフロイトという名前は聞いたことがある人は多いでしょう。ところがフロイトは科学的な功績は全く残していません。なぜこれだけ名前が残っているからというと、人の心理を興味深く解釈し、人々の興味を駆り立てたからです。血液型占いと同様のものです。真実だから広がるのではなく面白いから広がりました。ミームです。

ただ、進化心理学だけでなく、他の分野も別の意味で危険です。

2015年の事件があってから学術的に崩壊しかけている分野があります。大規模追試験の結果、認知心理学の50%、社会科学の75%が再現しなかった、または論文で書かれてよりもだいぶ小さく証明されました。

ある研究領域が無(Null Field)だったことが判明したところもあります。しかも、その無はかなり大きく、まだ広がる可能性があります。心理学の論文や社会科学の論文の半分以上は間違っていることを前提に考えなければならなくなりました。

Open Science Collaboration. (2015). Estimating the reproducibility of psychological science. Science, 349(6251), aac4716.
https://science.sciencemag.org/content/349/6251/aac4716

日本の心理学会では翌年の2016年、再現可能性危機というテーマで学会誌を出しています。
心理学評論 59 巻
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/sjpr/59/1/_contents/-char/ja


進化心理学や、危機に陥っている科学的概念のほかにも、ソフトウェア開発や製品開発には未検証の魅力的なアイデアがたくさんあります。スクラムやパターン・ランゲージも確かさという軸では数学ほどの強固ではありません。

しかし未検証であっても、科学的根拠の正当性が危ういとしても、そのアイデアが事態を好転させるきっかけになることは多々あります。

誤解という現象があります。物事を誤って理解してしまうことです。誤解は義務教育やコミュニケーションではネガティブなものとして扱われます。

ところが多くの発見は誤解によってもたらされてきました。Aであるとされてきたものを、うっかりBだと捉えてしまい、試行錯誤していたら本当にBだと証明してしまうといったことです。

例えばセラミックはコンピューターの世界では絶縁のために使う素材です。カール・アレックス・ミュラー博士はセラミックで超伝導が実現できないできないかと試みました。超伝導の世界に詳しい人であったら無意味なチャレンジと無下にするところでしたが、氏は専門家ではなかったので試行錯誤を続け、その結果、高温超伝導を発見し、ノーベル賞を受賞しました。

スクラムは優れたフレームワークでしょう。しかし2050年にもスクラムで開発していたとしたら、それはスクラム開発者の手柄かもしれませんが、同時に私たち現役世代全員の創造性の敗北であるとも思います。

思いついたアイデアにチャレンジしようとしたとき、経験を積んだ人から「そんなアイデアはやめといたほうがいい」と有り難いアドバイスが飛んでくるかもしれません。それは短期的には確かかもしれませんが、長期的には間違っているかもしれません。

スクラムを開発した人達に賞賛を送りつつも、彼らが安心して老後を過ごせるような出来事に出会えたらと日々精進していきたいと思います。


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