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「遺作」~ジョン・ウェイン、大林宣彦、市川雷蔵~

勉強不足な私の狭い見識から徒然なるままに書いた、独り言のような駄文です。長いですけど(^_^😉。


ジョン・ウェインと『ラスト・シューティスト』(※ネタバレあり)

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今日6月11日は、アメリカを代表するスター、ジョン・ウェインの命日。1979年に胃ガンで亡くなった。
彼の遺作となった『ラスト・シューティスト』は、彼が亡くなる3年前に公開されたものだが、カリスマ的人気を誇っていた映画スターの遺作としては「出来過ぎ」な作りだ。
監督は『ダーティハリー』などのアクション映画の巨匠ドン・シーゲル。結果的にウェインとシーゲルの唯一のコラボ作になったが、ウェインは『ダーティハリー』への出演のオファーを断ったものの、完成した作品の出来の良さに断ったことを後悔したという。

1901年、ネバダ州カーソンシティ。かつての名うてのガンマンで今は年老いたブックス(ウェイン)がやってくる。彼は旧知の医師ホステトラー(ジェームズ・スチュアート)から末期ガンの宣告を受けると、未亡人のロジャース夫人(ローレン・バコール)が経営する下宿屋に偽名を使って逗留する。
だが、夫人の息子ギロム(ロン・ハワード)は偶然にも彼が伝説のガンマンであることを知る。この噂はすぐにあちこちに広がり、命を狙われることに。
ガンマンに憧れるギロムを諭しながらも銃の撃ち方を指南したり、夫人と馬車で遠乗りに出かけるなどして1週間を過ごしたブックスは、最後に彼の宿敵や街に巣食う悪党ら3人と酒場で決闘をして倒すが、自分もバーテンダーに背後から撃たれる。ギロムはバーテンダーを射殺するが、銃を使うことの空しさを実感した彼は銃を投げ捨てる。それを見たブックスは満足した表情でこと切れる…。

ガンに侵されたガンマンという設定だけでも、まんまウェインと重なる(ただし、この映画の撮影時には一旦治っていた)。タイトルバックには、ブックスの過去という設定で、ウェインが主演した『赤い河』、『リオ・ブラボー』、『エル・ドラド』などの名シーンの映像が使われている。そして、共演者にはバコールやスチュアートをはじめ、ウェインの出世作『駅馬車』以来ジョン・フォード作品を中心にたびたび共演したジョン・キャラダイン、リチャード・ブーンなど、ウェインと縁がある顔触れが揃う。そしてその結末…。まさに「ウェインの遺作」になることを前提として作られたような作品である。もちろん、ウェインもシーゲルも最初からそんなつもりで作ったわけではなかったとは思うのだが、一方でウェインは「これが遺作になってもいいように」という心づもりで出演したのではないかという気がしてならない。
そもそもこの映画、シーゲルの作品としてはかなり“静か‘と言っていい。死への覚悟を決めたブックスは、そのための身辺整理を始める。そして映画は、その姿を淡々と綴っていく。まさに「終活西部劇」である。年老いて時代の流れに乗れない老ガンマンが「自分たちのやり方」で人生に決着を付けようとする展開は、シーゲルの助手をたびたび務めたサム・ペキンパーの初期の傑作『昼下りの決斗』も彷彿とさせるが、この映画はむしろ黒澤明の名作『生きる』にかなり近いのではないか。ガンに侵された主人公が最後に目的を見出して、それを実現させる。ブランコに乗って『ゴンドラの唄』を歌う代わりに、酒場で決闘する。まさにウェイン版『生きる』なのだ。

ギロム役のハワードは、もちろん『ダ・ヴィンチ・コード』などの監督として活躍している、あのロン・ハワードである。子役としてデビューし、成長しても『アメリカン・グラフィティ』などで俳優としてキャリアを積む一方で監督業にも意欲を示し、本作の翌年に『バニシング in TURBO』で監督デビュー(兼主演)。本作は彼のキャリアにとって俳優専業としては末期の作品と言える。
彼が「西部の伝説の最期」を看取るギロムの役を演じたことが、結果的に「ハリウッドの伝説」の最後の仕事を間近で見守ることになった。その感慨はハワードにとってかなり大きかったのだろう。2018年に彼が『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』のキャンペーンで来日した際、あるインタビュアー氏が「『ハン・ソロ』を観て『ラスト・シューティスト』を思い出した」と言ったところ、ハワード自らインタビューの時間の延長を申し出て、本作にまつわる話を熱く語ったという。
確かに、『ハン・ソロ』には、ハリウッド黄金期の西部劇などの冒険活劇の香りがかすかに漂っている。ハワードは自作のどこかで「ハリウッドの伝統」を活かし続けたいのだろう。そのきっかけを作ったのが『ラスト・シューティスト』だったのかも知れない。彼の監督作品の一本である『コクーン』は、フロリダの老人ホームに入所している老人たちが友好的なエイリアンによって若さを取り戻すというファンタジーだが、この老人たちの役で往年のハリウッド映画で活躍したベテランたちを多数キャスティングしていることも、ハワードと『ラスト・シューティスト』との関係を考えると興味深い事実だ(特に主人公を演じた往年の二枚目ドン・アメチーは、ウェインとほぼ同い年である)。


大林宣彦の“遺言” (※小ネタバレあり)

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©2020「海辺の映画館 キネマの玉手箱」製作委員会/PSC

ウェインと『ラスト・シューティスト』の関係とそっくりな事態が、今年起こってしまった。4月10日、日本を代表する名監督・大林宣彦が逝ってしまった。まさにその日に公開される予定だったのが、彼の遺作となってしまった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』だ。
尾道唯一の映画館の最終日、日本の戦争映画のオールナイト上映を観ていた3人の青年たちがスクリーンの中に入り込んでしまい、明治維新から第二次世界大戦までさまざまな時代を行き来して不思議な冒険を体験する。
全体的な作りは、『キネマの玉手箱』という副題がピッタリな、初期の作品に多く見られたような、ちょっとポップな遊びの要素に満ちている。しかし同時に、反戦や反原爆といったテーマを剛速球でぶつけてくる。尾道、広島、幼少時代に自作した手描きアニメ『マヌケ先生』、小津安二郎や山中貞雄からジョン・フォードやフランク・キャプラ、大林が『HOUSE ハウス』で商業映画デビューを果たす際に陰で尽力した岡本喜八の『独立愚連隊』や『肉弾』…。脇役の出演者も、常盤貴子ら近年の作品の主要キャストから『転校生』の主演の尾美としのりまで、大林作品に縁の深いキャストを中心に豪華キャストが集結…と、大林作品に関係する要素を大量投入。まさに「大林宣彦全集」と言える作品に仕上がった。
この作品、もともとは大林の病気療養も兼ねて「尾道を舞台にした小規模な作品」として企画がスタートしたが、大林のさまざまな思いを込めた結果、上映時間3時間弱の超大作になってしまった。これも、そうした作りから「遺作前提」のようにも感じられるが、次回作に決定していた梶尾真治原作の『つばき、時跳び』の企画も同時に進めていたので、最初から遺作にするつもりはなかったのだろう(もっとも『つばき、時跳び』は、やはり体調がすぐれなかった上に全編を舞台である熊本でのロケで撮影するということもあり、早い段階で監督を降板し、監督補に指名していた熊本出身の行定勲が後任に決まっていた)。とは言え、やはり心のどこかで「これが遺作になってもいいように…」と考えていたとしても不思議ではない。ましてや、大林の体調は『ラスト・シューティスト』の時のウェインよりも切迫していたようだし、大林自身にもその自覚があったのではなかろうか。
大林の人生の歩みと嗜好とメッセージが詰まった、彼の世界の集大成とも言える『海辺の映画館』が予定通り彼が旅立つ日に公開されていたら、一つの“伝説”が誕生していたかも知れない。新型コロナウイルスの影響で延期されていた本作の公開は、広島の原爆記念日を翌週に控えた7月31日に公開されることが決まった。

ちなみに、1980年代中頃、『ビデオコレクション』という雑誌で、大林がウェインについてディープに語ったことがある(特に劇中でのウェインの死にざまについて)。その大林が40年近く経って、遺作に関してウェインと似たような運命をたどることになるとは…。不思議な因縁である。


市川雷蔵と『ひとり狼』(※ネタバレあり)

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ここまで、映画人にとって「遺作らしい遺作」について考えてみたのだが、ここで私が思い出したのが市川雷蔵である。旧大映のトップスターとして、『眠狂四郎』『陸軍中野学校』『忍びの者』『若親分』などの人気シリーズから、『炎上』『ぼんち』などの文芸作品まで大活躍したが、1969年に37歳の若さで亡くなった。

彼が死の前年に主演したのが、村上元三の小説を映画化した股旅ものの時代劇『ひとり狼』である。これは、雷蔵の作品の中でも特に人気が高い作品である。
「人斬り伊三」の異名を持つ追分の伊三蔵(雷蔵)は、親分も子分もいない文字通りの一匹狼。剣も博打も強く、渡世の諸々もわきまえた「本物のやくざ」。
だが、実は彼はかつてある武家の奉公人で、その家の娘・由乃(小川真由美)と恋仲になり、彼女を身籠らせた。二人は駆け落ちを決意するが、由乃の従兄・平沢(小池朝雄)が「卑しい身分」の伊三蔵を討ち取ろうとしたため、由乃は駆け落ちを諦め伊三蔵を裏切る形になってしまった。久しぶりに故郷の町に戻った伊三蔵は由乃と我が子の姿を一目見ようとするが、彼の命を狙うやくざたち、そして平沢らが彼に襲いかかる。辛うじて敵をすべて倒したものの、伊三蔵も深手を負う。彼は傷の手当てもせず、一人立ち去っていく。それ以来、彼の姿を見た者はいないと言う…。

監督の池広一夫は大映時代劇のエース監督として雷蔵とも数多くの作品で組んでいるが、現在もテレビの2時間サスペンスなどを手がけて現役で活躍している。この作品では、股旅やくざの生態を丁寧に描いていて興味深い。地元のやくざに世話になる時の仁義の切り方、食事のマナー(?)など、多くの時代劇でよく登場する場面もリアルに描かれ、「本当はくだったのか!」と感心してしまう。「リアルな」仁義を切る雷蔵は、姿も喋りも実に美しい。

映画は、不思議な縁でたびたび伊三蔵と邂逅したやくざ孫八(長門勇)の回想という形で綴られる。他者とのつながりを極力避ける伊三蔵が、頼みごとをしたりと唯一(他者と比べたら)心を許した人間であり、伊三蔵の“最後の”戦いから姿を消すまでの現場に居合わせた“証人”である。姿を消した伊三蔵はそのまま死んだかも知れないが、そこははっきりと映画では描かれない。孫八も「どこかで生きている気がする」と語り、オープニングと同様に雪山を歩いていく伊三蔵のイメージショット(?)で映画は終わる。孫八はまさに伊三蔵を“伝説”へと昇華させ、その語り部になっているのだ。ラストの孫八の言葉には、文字通り一命を取り留めたかも知れないという意味と、「実際は死んだが伝説となって永遠に生き続けている」という彼の願望も混じった意味合いのどちらにも受け取れる。
実はこういうところで、『ひとり狼』と『ラスト・シューティスト』が結び付く。孫八とギロムは共に“伝説”の目撃者であり証人である。例のタイトルバックの部分だけだが、ギロムもブックスのことについて語る。共に証人の回想という形で物語が構成されているのだ。
また『ひとり狼』でもクライマックスで、侍になりたいと言っていた我が息子に、伊三蔵は自分が斬り合う姿を見せて刀を使う空しさを身をもって教えようとする。まさにブックスとギロムの関係を連想させる。

『ひとり狼』の公開の2ヶ月後、雷蔵は『関の弥太っぺ』撮影中に下血、直腸ガンであることが判明した。手術・退院して現場に復帰したものの、体力が衰え立ち回りに吹き替えの俳優を使わなければならなくなった。それでも2本の作品に主演したが、結局69年7月に転移性肝ガンで亡くなった。
『ひとり狼』から逝去までに公開された雷蔵の主演作は3本。その他に、結局は製作が中止になった『関の弥太っぺ』や、出演を予定していたものの体調不良で実現しなかった『千羽鶴』や『あゝ海軍』などもある。
以下は私の個人的な思いであり、論考と呼べる次元のものではない。強いて言えば空想、幻想。さらに、熱心な雷蔵ファンの方からは怒られるかも知れないのだが…。
もし、『ひとり狼』が雷蔵の遺作だったら、まさにウェインにとっての『ラスト・シューティスト』や大林にとっての『海辺の映画館』と同様の「完璧な遺作」となり、雷蔵の映画人生の「伝説」もさらに強くなっていたかも知れない。別に、『ひとり狼』以後の雷蔵の作品(実現しなかったものも含めて)を否定するつもりはない。ただ、遺作となった『博徒一代 血祭り不動』が「東映の任侠映画の二番煎じ」と言って雷蔵は気乗りしないまま出演した、という逸話を聞くと、余計にそういう気がしてくる。

実際の生死は分からないがとにかく“伝説”になった伊三蔵と、亡くなってもファンの心の中に永遠に生き続ける雷蔵は、ストレートに重なる。旅を続ける“伝説”の姿を捉えた『ひとり狼』のラストこそ、すべての「雷蔵映画」の最後を飾る「究極のラストシーン」にふさわしかったような気がする。

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