「正解」とは

事故から5日。
生まれて初めての交通事故による頭痛は大分引いてきた。これが痛み止めによるものなのか、良くなっているのかは現状不明で。
早く良くなるように通院をしないとなぁと思いながら夜更かしをしてしまっている今。

昨年末から、完全に自分を見失っている。
そう感じる。

訳もわからず走り抜こうとしてもがいた12月。
走り抜いた結果、
ゴールを見失った1月。
歩みが完全に止まってしまった2月。

俺は真面目だなぁと思う。
何事も、正解を探してしまう。
より点数の良い方に。
より正しい方に。
そしてそれは判断基準が「他者」である。
つまり、俺は何も決断していない。
そう思っている。

火が消えている。

火種があれば、いつの日か火は大きくなる。
俺はずっーーと風を吹かしていたつもりだけど、
いつの日から、そこにあったのは灰だった。
そんな事を思ってしまう。

とある人に言われた。
「目の前の事を目一杯やりなさい。
今は、それだけでいい。」と。

気がついたら、
目の前の事に一生懸命にすらなれなくなっている自分がいた事に気がつく。
そしてそこで更に気付かされる。
己をどこまで見失っていたか。

ならば、己とはなんなんだろうか。
今、この瞬間に俺自身が定義できる
「己」とは何なんだろう。

それがわからない。

いつの日か、自主性の無い自分が嫌いだった。

それは今も変わってないのかもしれない。

人に言われたことがある。
「お前自分無いよなぁ…」
「人にばっか任せてないでさ、
お前はどう思うんだよ?」

今も。変わらない。
何も変われていなかった。

変われた気でいた。
変わっていく人を見て気付かないふりをしていた
成長していく自分を見て、
変わった気でいた。
本質は、何も変わっていなかった。

今。何も見えない。
日々を漠然と過ごし。
時間を浪費し。
体力を持て余し。
それをぶつける先が見つからない。

信じていたものが信じられなくなり。
自分への自信と信頼は、どこかへ消え去った。

こんな事を思うのは、
身体が弱っているからだろうか。

それとも。

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