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2005年12月20日。8時間にも及ぶ手術で望む性を手に入れた。

SRSの旅の日程は以下の通り。(記憶が曖昧なため詳細な日程に間違いの可能性)

2005年12月19日 成田 → バンコクに渡航 前日説明

2005年12月20日 SRS当日 午前中病院に移動、午後手術開始

2005年12月21日~24日頃 入院

2005年12月25日頃 退院 ルンピニレジデンスでの生活

2005年12月28日頃 抜糸

2005年12月30日 バンコク → 成田に帰国


SRS後の入院生活

SRS後、一瞬目を覚ましたものの、「プリンが食べたい」と言い残し、8時間も待ち続けた彼を置いて再び深い眠りに落ちた。

翌朝目が覚めると室内にあるソファで横になっている彼のいつもの寝顔。病室の窓から空に目をやると、昨日までと変わらない空や彼と、新しい自分を比較して「もう元には戻れないんだ」と性別を越境した事を強く実感した。

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痛み止めの点滴のせいで痛みは全くなかったが、術後の患部がどのようになっているのかが気になり、シーツをめくると包帯でぐるぐる巻きになった下半身。そこからドレーンとカテーテルがのびており、自動的に排泄できる状態。説明時に見たグロい映像が蘇り怖くなった。

しばらく窓から外を眺めて過ごしていると、看護婦が入ってきて、彼も起床「あー大奈、起きてたの?大丈夫かい?痛くないかい?」心配そうに気遣う彼の言葉。

3食のオーダーを取りに来たという看護婦に渡されたメニューには、日本の感覚では考えられないメニューで、タイ料理もしくはアメリカ料理と書かれていた。

「えええ??タイでは大手術の後すぐに、こんな普通のごはん食べるの??」

術後食べるものとしてはどれも豪華で、お味の濃そうな、スパイシーで、脂っこそうなものばかりだった。聞いたところ、病院1Fのレストランで作ったものを配膳してくれるスタイルという。

術後で食欲のない私は驚いたが、内臓を手術したわけではない。栄養を付けて体力回復が先という事なのだ。

そんな私をよそに「病院食って味気ないものばかりだとおもってたから、本場のタイ料理を個室で食べられるの、すげー嬉しい!」と大喜びの彼は、毎食毎に異なるタイ料理を(しかも、とてつもなく辛い)オーダーしてはタイの生活を満喫していた。

衝撃だったのは、入院食だけではなかった。術後ブリーチャー先生が回診してきた時の事、術後間もない私に「ベッドからでて歩く練習をしなさい」とリハビリを促してきた。

「え・・・産後休ませてはもらえず家事を強要される昭和初期?の嫁の気分はこんな感じだったのかな」と術後翌日の午後、泣く泣くベッドから降りて院内を歩く練習を開始。痛みは日に日に癒えていったが、最初のうちは夜中も眠られないほどの痛みだった。

「夜痛みが我慢できなかったらナースコールをしてください」と言われていたが、"眠れないが、我慢ができる"と一晩中一睡もできなかった私

「眠れないほどの痛み = 我慢できない痛み! 無理しないでナースコールして」と痛み止めを少し増やしてもらい、熟睡できるようになった。

途中、カテーテルも外れて自力でトイレにも行けるようになり、6日間の入院生活はあっという間だった。



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