オタクは現代の傾奇者

傾奇者とは、歌舞伎者とも書き戦国時代の江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。(Wikipediaより引用)

元の意味は風変わりなもの異質なものを好む数寄屋者という人々の中で、度を越して好む人のことを強調の意味を込めて「傾」をつけて読み始めたものが語源らしい。

最近となってはオタクという言葉が一般人にも使われる様になったので若干ズレるかもしれないが、一般人から侮蔑される様な趣味に傾倒する人というのは現代においては傾奇者というカテゴリーと同等の意味を持つのではないかと思っている。

有名な傾奇者と言えば、戦国武将の前田慶次郎利益(以後、前田慶次と略す)だろう。漫画「花の慶次」として描かれるており、最近でも漫画を原作としたパチンコ等画作り続けられ、戦国モノのゲームでもよく登場する人気武将だ。

漫画「花の慶次」を読んだことのある人は知ってると思うが、前田慶次という人は派手な身なりで戦闘能力が高いだけでなく、知性もあり趣味人としての教養を持ち合わせており、更には人を惹きつける人間的な魅力を備えていたらしい。その魅力を示す数々のエピソードが現代においても人気キャラクター足り得るのだろう。

僕自身も漫画「花の慶次」は昔読破して以来ファンになり、墓前に参ったこともある。


冒頭の傾奇者の説明の通り、重度のオタクは傾奇者と言って過言ではないと思う。具体的な候補がとしては、ライブ中に一般人には理解できない意味不明な言葉を叫び、CD(または特典券等)を一般人に理解できないほどの量を購入し、一般人には理解できないほどアニメやゲームに時間とお金をかける。全て一般人からは常軌を逸した行動だ。

ここまでの共通点では一般的な傾奇者である。だが、傾奇者であったとしても、戦国時代のチンピラの様な傾奇者が居たらのと同時に前田慶次の様な傾奇者も居たらしい。現代で例えると、オタクに特化し過ぎて日常生活においては限界生活のオタク(チンピラ傾奇者)と、オタクではあるが日常生活においては有能な社会人を全うしてるオタク(前田慶次タイプ)だと思う。

自分の前田慶次という人物への知識は「花の慶次」が基本となっているのでフィクションも含んでると思われるが、「こういう漢でありたい」という概念としての前田慶次になりたい。

前田慶次の魅力のひとつはまず、「粋であることを良しとして行動すること」である。合理的な考え方が良しとされる現代社会において「粋である」ということは逆の様な状況もあるだろう。だが、人々の心情としてはいつの時代も「粋である」行動の方が支持されるだろうし、精神衛生上いいだろう。

「粋である」という言葉にも沢山の意味が有るが一部抜粋すると、洒落ていて、人に気を使えて、人を喜ばせることが好きな人だ。要は良い奴である。僕の知ってる優良なアイドルオタクというのはこの辺を持ち合わせる人が多いと思う。

また、前田慶次という人は「風情を楽しむ人」であったらしい。風情は儚いものに趣きを見出すことである。アイドルオタクという存在は、その儚く短い雅やかなアイドルという存在に趣きを見出しているからある意味風流人であり、風情を楽しむ人であるだろう。

個人的な解釈と見解ですが、「風情」を感じ楽しむためには心に余裕があることが必要だと思う。心の余裕とは、精神的な安定も必要だが、金銭的余裕、時間的余裕、等も無いと意外と成り立たないもの立と思う。だが、そもそもそんな余裕あるひとがオタクしてるのか?と問われると…という感じなのですが、余裕有る人にしか感じられないものはあると思っているし余裕ある人でありたいと思う。


とはいえ、傾奇者にもチンピラの様な存在が居るようにオタクにも風情を楽しめず粋ではない行動をとるピンチケがいる。

例えば、「イエッタイガー」や「マサイ」についてもベイビーレイズJAPANの夜明けBRAND NEW DAYSの落ちサビで叫ぶ「イエッタイガー」と「イエッタイガー」の後の「マサイ」は最高の曲で最高に高まった状態で叫んで飛ぶから風情が有るのである。お馴染みの曲中において、1番2番それぞれイエッタイガーを入れれる尺の空白が有るのに「フッフフー」と叫んでいるとこにもタメが効いてると思う。

一方、本来「曲に合わないから好まれないアニソン」においてイエッタイガーを入れるのは風情が無い。

また、最前管理君達にありがちな、なんでも推しパート来たらマサイ(柵ジャン)というのも風情が無い。この曲が来たら!このパートは!みたいなとこでやるから盛り上がりを共有できるのだ。

コロナ渦になってから禁止されてるリフトやサーフもそうだ。なんでもかんでも上がる、転がるのが盛り上がってると勘違いしてるオタクはリフトやサーフが解禁されても是非自粛しててもらいたい。

盛り上げたい気持ちとは別に、この曲はコールを控えるどころかサイリウムすら消灯して観て聴いて楽しむ、くらいの姿勢を見せれるくらいの余裕を持ちたい。

コロナ禍以前の我儘ラキアさんの現場は自由に遊んでいいと言われていたが、現場のオタク(ラキアクルー)達の粋な行動の積み重ねにより守られていた現場だった。どんどん新しいお客さんが増える過程で自由を履き違えた粋ではない人も中には居たし、増えてきていた。

我儘ラキアさんに限らず今は制限されているものの、元々は自由に遊ぶことを許してくれていた現場において、制限がいつか解禁されたときに、粋な先人達が作り上げた現場へリスペクトを持って粋な行動をするオタクが増えてるといいなと願います。

前田慶次の様なオタクが沢山いるアイドルグループは破竹の勢いでライブシーンを盛り上げて、一気にアイドル戦国時代の天下を取れる位置へ登れるだろうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?