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虹の橋で、お願いね。

何を書いていいか、分からない。
でも書かなければ、吐き出さなければ、いられない。

数日前に愛猫を失い、色々な感情が色々な方向から押し寄せている。
とても辛い。

20年という大往生だった。
病気もせず、良く食べ、良く飲み(牛乳を)、良く寝る子だった。
10代の頃に生まれたばかりの彼女を譲り受けた。
末っ子である私は大体において家庭内で決定権は無い。
しかし、この時は私に「好きな子を選んでいいよ。」
と決定権が与えられた。
私が選んだのは青い目が印象的だったキジ猫。
連れ帰り、その晩から一緒に寝た。
朝起きたら顔の横で丸まって寝てくれていた。
その姿が忘れられない。とても嬉しかった。

それから私と彼女はずっとパートナーだった。
何かあれば話を聞いてもらい、一緒に寝て、多くの時間を過ごした。
いつも太陽の良い匂いがしていて、彼女の体に顔をうずめては癒されていた。
私以外の家族に抱かれると嫌がるのを見るのも、すごく誇らしかった。
認めてもらえていると感じられたからだ。ふふ。

でも、今考えると彼女が生きた20年のたった最初の7年しか一緒に居られなかった。就職するために家を離れたからだ。
物理的にも精神的にもすっかり距離が出来てしまった。
たまに帰ってくる私のことを、どんな風に思っていたんだろうか。

自分の事で忙しくなってしまった私は彼女になかなか会えなかった。
ここ数年はほとんど会えておらず、数か月前久しぶりに会った時はすっかりおばあちゃんになっていた。

当たり前だけれど、猫の一生は人間のそれより圧倒的に短い。
分かっているはずなのに、とてもショックだった。
私の中に残っているのは一番元気な時の彼女だから。
それだけ彼女は私にとって特別だった。
自分の無神経さと無責任さにがっかりした。
ふっくらしていて艶々だった毛並みは無くなり、
痩せていて、触ると骨ばっていた。
離れていた十数年、着実に彼女は老いていたのだと感じた。

それから数か月で旅立ってしまった。

最期は、命の灯が消えていくという表現が本当に適当だった。
徐々に命が、吐く息と共に、少しずつ消えて行った。

亡くなる数日前に会って
「思い出沢山ありがとう、大好きだよ」
と伝えられたこと、
それで離れていた時間に対する罪悪感は埋められないけれど、
その言葉を伝えられたことは自分にとってとても大きい。

今はただ彼女への感謝の気持ち、
彼女を看病し看取ってくれた両親への感謝、
もっと会う努力をしなかった自分への怒りと後悔ばかり。

20年、幸せだった?
最期は辛くなかった?
もしできるなら、虹の橋で待っていてね。
また抱きしめて色んな話がしたいから。

愛してるよ。ありがとう。


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