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#8 今週の「名言とことば」

 今週、10月10日~14日までの「名言とことば」です。
 今週は現代人のことばが(広辞苑に載っていない方のことばが)2つと、いつもより多かったですね。
 ではどうぞ。

#35「道徳は常に古着である」―芥川龍之介

あくたがわ-りゅうのすけ【芥川竜之介】小説家。別号、我鬼・澄江堂主人。東京生れ。東大卒。夏目漱石門下。菊池寛・久米正雄らと第三次・第四次「新思潮」を刊行。「鼻」「芋粥」で注目された。大正文学の中心作家の一人。作「羅生門」「地獄変」「偸盗」「河童」「歯車」「或阿呆の一生」など。自殺。(一八九二~一九二七)

『広辞苑 第七版』

 これの投稿時、何を最後に記そうか迷いました。勿論、上がこのことばを正しく説明できていないことは分かっています。でも、自分がこれを受けて思ったことを書こうと思ったら、文字数が足りないんです…。
 という事で、ここに自分が思ったことを完全に記しておきます。といっても、自分には正しく理解しきれないようなことばに感じましたのでネットで多少意味を調べてしまったりしましたが…。

 きっと、このことばは簡単に言えば、「道徳なんてくそくらえだ!」ということじゃありません?
 それが何故かは、自分にはもはや芥川さんに聞かなければわかりません。

 ちなみに一方で、芥川さんは「良心が道徳を作ることはあっても、道徳が良心を作ったことはない」とも記しているそう。
 彼にとっての「道徳」と「良心」についてを考えてみると、また違った人生観を持てるのかもしれません。

#36「多くの愚者を友とするより、一人の知者を友とするべきである」―Démocrites

デモクリトス【Dêmokritos】古代ギリシアの哲学者。レウキッポスを師として、空虚における原子の運動を唱え、原子論に基づいた唯物論的な世界体系を主張した。(前四六〇頃~前三七〇頃)

『広辞苑 第七版』

 なぜかわかりませんけど、このデモクリトスさん、Wikipediaなどに紹介される綴りと広辞苑に記されている綴りとで違いがありました。何故でしょう?分かる方、いらっしゃいます?

 さて、このことば。まぁでも、これについては説明するまでも無く分りますよね。そりゃそうじゃないですか。
 自分が言いたいことはツイートしたことで全てです。

#37「細かいことが気になってしまうのが、僕の悪い癖」―杉下右京

杉下 右京(すぎしたうきょう)は、ドラマ、「相棒」に登場する、架空の警察官である。

「Weblio辞書」より、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 07:22 UTC 版)

 ご存じの通り、杉下右京さんはテレ朝系の人気ドラマ「相棒」の主人公でらっしゃいます。
 この投稿日は「相棒 season21」のシリーズ初回放送日でしたから、これに因んで取り上げてみました。

 このことばは、「相棒」を観ているなら知らない人はいない名文句ですよね。杉下さんの口癖です。

 「癖」は大抵、悪い意味でつかわれることが多い。しかし杉下さんの場合、この「癖」によって発見された極細かい不自然な点から数々の難事件を解決してきました。

 つまり、「癖」は悪い物ばかりではない。いい方向に活かすことができる「癖」があれば、それをどんどん伸ばして行く事です。

#38「危険を伴わずに、偉大なことは何も成し遂げられなかった」―Niccolò Machiavelli

マキアヴェリ【Niccolō Machiavelli】イタリアの政治思想家・歴史家。フィレンツェの人。政治を倫理や宗教から分離して考察、近代政治学の基礎を築く。著「君主論」「ローマ史論」「フィレンツェ史」など。(一四六九~一五二七)

『広辞苑 第七版』

 偉大な事というのは、今まで他の誰もが成し遂げられなかったことです。誰もできなかったから、それを初めてできた人は偉大と崇められる。

 ここでは、その「偉大な事」をするためには危険を伴わねばならぬと言っています。考えれば当然ですよね。

 きっと、危険を伴わずに成せることは既に他の人が成し遂げています。つまり、危険を伴わずに成したことは「偉大」なことではなくなっているのです。

 偉大なことを成すために危険を冒すかどうかは、あなた次第。

#39「費やされた時間は建築物の筋交いのように見えないところで文章を強靭にする」―牟田都子

1977年、東京都生まれ。校正エッセイ集『文にあたる』(亜紀書房)を8月に上梓しました。共著『あんぱん ジャムパン クリームパン 女三人モヤモヤ日記』『本を贈る』。まことに勝手ながら校正の新規ご依頼は辞退申し上げております。アイコンの花入

Twitter「牟田都子 『文にあたる』発売中」@s_mogura プロフィールより(2022/10/16 23:20 UTC閲覧)

 こちらは校正者のプロ意識を感じさせられることばです。

 朝日新聞「折々のことば」より拝借しました。またあの、鷲田さんの解説文がよくて。朝日新聞をご購読の方、ぜひご覧になってみてください。2022年10月9日のものです。

 さて、これは校正をする方のことばですが、同じことは素人の我々にも言えるでしょう。
 「間違いを正してやろう」とか思わずとも、自分が書いた文をとりあえず一回でも読み返してみれば、誤字脱字、おかしな言葉遣いに気付く事もあります。
 この執筆時にも気を付けたいものですが…今も(日曜投稿の)締め切りに追われてしまっていて難しいかな…いや、でもできればしようと思います。

 その時間は絶対に必要な物ではないかも知れません。でも、時間をかける価値は十分にある。なぜなら、その時間が文章という建物の筋交いとなって、その信頼性を陰から支えてくれるから。


 さて、今週もお疲れさまでした。
 このシリーズももう2カ月目かと驚いています。
 これからも精進していきますので、どうぞよろしくお付き合いください。

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