ありがとうを見える化するお手伝いをした

お久しぶりです。みりんです。

忙しい日々を過ごしていました。
荒々しい日々の中ですが、ひとつだけ思い通りに出来たことがあったので言葉にしておきます。

先日、『日々のありがとうを詰め込んだ大切な一日』という日記を書いたのですが、
私は感謝だろうがなんだろうが、想いは口にしないと伝わらないと思うし、そして想いは人と心を動かす力があるとも思っています。

今年も、日記に少し書いた、恒例イベントの時期が巡ってきて、人と誰かの気持ちを結びつける手助けができないかなあって自分なりにいろいろ考えました。


結局、自分のちょっぴりな技術力とアイディアで、そんなに大層なものではないけど、みんなのありがとうを目に見える形にしてプレゼントしました。


自分にとって気に入らないところも、手がまわらずで悔しいところもいくつかあったけど、みんなの喜んでいる顔や、サプライズ演出でびっくりしてる人、自分の頑張りを評価してくれている人がいることを知って、感動して涙を溢していた人もいて、企画としては大成功だったかなと思います。 

めちゃくちゃ忙しい時期で大変だったけど、ほんとうにやってよかったなー。
(これまでにないくらい、いろんな人に褒められた笑)

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自分ががんばっているところを誰かが意外と見てくれていたり、助けてくれたり、たったひとこと『がんばってるね』って言われるだけで、心がスッとすることって、結構あると思うのです。
まっ暗で苦しかったあの日が、辛くてしんどいあの時が、誰かのひとことで一気に報われることが。

でも、伝える側の場合、日々忙しくしていると、その『ありがとう』の一言を発するハードルが上がってしまう。そもそも他人のことだし、自分のことでいっぱいいっぱいで、他人を思いやるどころではない場面なんて普通にあると思う。自分を守るのは自分しかいないから、どうしても自分や身内を優先させてしまう。

伝えられる側だって、頑張っているところを人に見せつけたいわけじゃない。頑張っても上手くできない姿、見られて悔しい、恥ずかしいことだってある。


でも、『ありがとう』や『がんばってるね』から一緒に伝わってくる人のぬくもりって、思っている以上に大きくて、そして勇気になるんだなあって再確認。

毎日じゃなくていい。
一年に一回なんて、数にしたら少ないと思うけど、それでもやっぱり感謝する日は明示的にあったほうがいいと思う。
労働の対価や評価として、お金の増減はあっても、自分はそれだけではやっていけない。
人間なんだから、心も満たされたい。
私はよくばりなのかしら。

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今回、みんなへのありがとうの見える化にはもう1つ良いところがあって、それは他の人が頑張っている姿も見ることができるところ。普段関わらない人の頑張りを他の人から教えてもらうことで、その人を知ることができるし、自分も頑張ろうと思える。これもきっと、かけがえのない大切な気持ちときっかけの芽生えだと思う。


私には、たくさんの人に支えられて今も続けられていることがたくさんある。一人だったら絶対に続いていない。
出会ったひとりひとりが作用して、今の自分が作り上げられている。大好きな人も、もちろん大嫌いな人も。
ほんとうにありがとうございます。

いろんな人に感謝して、そして感謝される人生を過ごしていきたいな。

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