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『かづゑ的』/熊谷博子(2023)

ハンセン病(らい病)者の宮崎かづゑさんのドキュメンタリー。
ここには何が映っていたのか。 
自分をすべて見せなければならないという切迫した覚悟だ。ぜんぶそのまままるっとさらけ出した生き様だ。 

生き様とは何か。
それは、今は視力も弱くなりPCでの執筆は難しいため、レコーダーに声を吹き込んで「執筆」している、その声を吹き込む様のことだ。
それは、著書にサインをするときのあの線を引く様のことだ。
これらすべてのことだ。

「ちょっと自惚れさせてもらうと、ちゃんと生きたと思う。 どうでしょうか?」
かづゑさんは現在96歳、今は水彩画に挑んでいるという。(今回の上映のポ
ストカードにもなっていて、とてもいい猫の絵である)

我々は、みんな、何かの人生を生きているんですけども、自分の人生を考えてみても、自分の人生の実質が、この時現れた!というふうな感じのある時っていうのは決して多くないと思うんですよ。[•••]自分にとって自分の人生に目を開かせてくれる人たちがいる。そういうきっかけを提供してくれる人たちがいる。そういう人たちと共に生きる。ということが、我々にとって重大なんだと思うんです。

鶴見俊輔『内にある声と遠い声』

障害者を「かわいそうな人」と哀れむのではなく、共にいるのにはどうすればいいのか、どうあればいいのか。この映画は考えさせてくれ、今も考えている。
パレスチナについても同様である。人道的な意識からパレスチナの人たちに連帯するのではないありかたで、共にいること。



「発生法ーーー天地左右の裏表」/豊嶋康子(東京都現代美術館)

終始あっけにとられ、かつ笑いがとまらない展覧会だった。
表と裏、上と下、地と図、物事の「規準」、こうしたものを反転させるーーーこう書くと小難しそうな「現代アート」であるように思われるが、実際の作品を目の前にするとそうした小難しさはいっさいなく、あっけらかんとしたユーモアにあふれている。
たとえば、道で見つけたかけらからその実際の姿を再現する(が、絶対違う!と突っ込みたくなる)<<復元>>。
たとえば、千円で銀行口座を開設し、カードが送られてきたらその千円を引き出し、また別の銀行口座を開設していく<<口座開設>>。

近くにいた中年の夫婦が、「何言ってるのかさっぱりわからない」「(くすだまを)もっとしっかり閉じなきゃダメじゃないねえ」など言っていて、その通りだ、と思いもした。
「ユーモア」と「意味不明」のこのほんのわずかな「差」。しかしとても大きい「差」である。