最後の学園祭が終わった。vol.1 ”チームで動くことの思わぬすごさ”
大学5年目にして、3回目の学園祭が終わった。
(留学していた年と、休学していた年には、会場にはいなかったから。)
最後の学園祭は、結果的になんだか自分の大学でやってきたことの集大成みたいになった気がしています。
前日の準備の時、気がついたらものすごく嬉しい気持ちに包まれていた事、当日を終えた今、5年間分の自分の行動の意義を、またひとつ自分の中で認識できるようになった事、
最後の学園祭を経て確信したことについて、今回は書こうと思います。
そう思って書き始めたのだけど、前置きから長くなるし別の話にもなってきたので、2回に分けて書きます。
大体私が大学でやってきた事を知っている方は、②から読んでもらえたら。
今回は①について。
① 大学でのアクションと、“チームで動く事“の思わぬすごさ
② 難しい問いほど、行動し続けることが答えへの最短ルートだと思う
■ 大学でのアクション
大学3年生の年に、食事を通して難民問題を考えるきっかけを提供する、というプロジェクトを学食で始めました。
全国の大学の学食での導入が拡大していた頃で、私の地元山梨県の大学では初めての動きでした。
留学や海外研修を経て、「海外にいるときにしか、国際社会と接点がないように感じるのが、寂しい。」「もっと身近な環境で、人の意識を変えるようなアクションをしよう。」そう思って、大学の頼れる先生に相談したのが始まりで、
親しい友人と後輩に声をかけ、そのプロジェクトを一緒に実施しました。
当時自分でも少しは自覚していたけど、今振り返っても、1人難しく考え込むとても頼りないリーダーでした。
それでも、無事にプロジェクトは始まり、初めての試みを教職員の方々や友人たちが応援してくれ、最後には学園の大きな評価までいただきました。
あの時有志で集い、一緒にやり遂げてくれた仲間にはとても感謝しています。ありがとう。
その後すぐ、自分は休学し地元を離れました。
大学を離れている間、有志で集まった中のある後輩が、このプロジェクトを引き継ぎたいと伝えてきてくれました。そしてその子は、自分より上の学年の先輩も下の学年も巻き込みながら、第二回、第三回と、活動を実施してきました。(←学年を超えて率いるって想像以上に難しい挑戦に臨んだ彼女を、尊敬します。)
正直、その間私は彼女へ何もアドバイスをしてあげられなかったし、悩みや困難を逐一聞いてあげられることもできなかった。
後から、周りの大人や彼女本人から色んなハードルがあったことを聞いたけど、耳で聞くよりも実際はもっともっときつかったと思います。
無力でごめん。
そんな全く頼りない私であったのに、
4年時復学後、彼女の率いるチームは、私に講演の機会をくれました。
休学中に、NPO法人コンフロントワールドのスタッフとしてウガンダで難民居住区へ入ったり、留学中に出会った難民というバックグラウンドを持った友人との友情関係だったりを、是非聞きたいと言ってくれました。
すごく自分勝手な解釈かもしれないけれど、
今年4月に復学した時、そのチームには
自分よりもチームの“人”を知っていて気遣えるメンバーがいて
自分よりも斬新なアイディアの引き出しを沢山持っているメンバーがいて
デザインのセンスが優れたメンバーがいて
他に語れない経験を語れる私、を再び迎えてくれる人たちがいた。
専門知識や長期の経験があるわけではなく、ただただ偶然が重なって、チャンスに恵まれたというだけの私なのだけど、
それでも「今の私にしかできない事で、チャンスをくれた人たちへ、小さくてもいいから還元したい。」
そう思ってもちろん引き受けました。
初めて学食でアクションを起こしたあの日から2年間で、チームにいるメンバーにそれぞれの強みができていました。
そうなると、小さなことの“質“を少しずつ上げて、実現できるようになった気がします。
例えば、
チラシを作るのが得意な後輩にその仕事を渡した結果、丁寧なチラシが出来上がる一方、でこれまでの経験がある先輩は別のイベントの企画に集中でき、新しい切り口の企画が生まれた。
自分が過去と違う側面で生かせる素材を身につけた事で、「イベントの独自性」が上がった(と思う。ある意味)。
■チームの思わぬすごさ
そして今回学園祭で、「思わぬすごさ」を最初に感じたのは、前日の準備のときです。
この日までワークショップの内容を何度も試行錯誤して、やっと一通りの流れが決まった後、初めて道具などが全て揃ったのがこの日でした。
正直、当日の流れや担当に関して混乱したままのメンバーもいたと思います。
それを解消しきれていないまま前日を迎えた事に、またもや自分の無力さをずっしり胸に刻みながら、遅れて入った会場は、
私が思い描いていた以上にポップに、意味のこもった装飾がされ、何よりメンバーがすごく楽しそうに作業を進めていました。
私、何であんなに心配していたんだろう。
彼ら、こんなに楽しそうにしてるじゃん。
「ていうか待って。これワークショップで使うメッセージカードを入れる封筒?つる下がっている中から自分で選んで取るの?楽しすぎ、最高じゃん!!」
気がついたら後輩たちの笑顔につられて、ずっとにやにやしていました。
これも見てください。
色画用紙で作ったメンバーの顔。器用すぎません?!愛情こもりまくりなんだけど!
若干親バカっぽくなってきたので、話を戻します。
企画の原案を作ったのは私だけど、
試行錯誤の過程で、色んな意見が飛び交って、最終的には原案は30%くらいしか残っていません。
そしてその企画を、装飾と小道具で、現実の会場に落とし込んでいったのは、チームのメンバーたちです。
その時のその空間は、
色とりどりの装飾たちと、
“得意“と“好き“を発揮して笑顔で作業するメンバーたちで、
文字通り“colorful カラフル“でした。
そして当日、参加者を迎えたその部屋は、さらに色んな笑顔と声でいっぱいの空間になりました。
参加してくれた学生、先生、
ゲストの方々、
それぞれから、「初めての経験で楽しかった。」という声を聞くことができた。
あの空間は、絶対に1人では創り出せませんでした。
このメンバーのチームが創り出した時間でした。
うまく言語化できた自信がないのですが、
3年前抱いた「身近な人を動かしたい」という想いが、ここでこうしてやっとカタチになりました。
チームで創ったから、できた。
1人だったら、提供できる体験の質が間違えなくもっともっと低かった。
だって、始まった当時は、こんな光景を自分がつくれると想像すらしていなかったから。
チームで動くって、想像以上に面白い。尊い。
自分の想像を超えた、思わぬ光景が出来上がることがある。
それを地元のこの環境で実感できたということに、嬉しさで胸がいっぱいになった事を、今後も絶対忘れません。
最後に、3年前からこの日まで一緒に取り組んできた全ての仲間へ、
本当にありがとう。
私の想いはこうしてカタチになることができたな、と思えるのは、みんなのおかげです。
心から、ありがとう。
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