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The musician to the musician vol.4 MARIE UEDA

アーティストやミュージシャンが影響を受けた音楽、気に入っている音楽やアーティストを紹介するThe musician to the musician。
今回紹介するのは、シンガーソングライター・植田真梨恵。自ら作詞作曲をし、歌い、ギターを弾き、時には弾き語りで、また時にはバンドを従えてパフォーマンスを行い、さらにステージでの服装や舞台、ジャケットのアイデアや物販のデザインなど、多岐にわたってアーティスティックな活動を続けている。そんな彼女のお眼鏡にかなったアーティストや映像作家たちの数々は超個性的かつ独創的、アーティスト植田真梨恵をより深く知る上でも参考になる興味深い話をしてくれた。     (聞き手:音楽評論家・斉田才)

        
すごく悩みました。もともと90年代のJ-POPがルーツっていうところが大きいので、今日は洋楽をチョイスするのがすごく難しかったんです。
                                 植田真梨恵

■THE YELLOW MONKEY

斉田:ザ・イエロー・モンキーは90年代ですが、どの辺から聴き始めたんですか?
 
植田:はじめて聴いたのはたぶん小学生の時ですね。私の家は、流行のJ-POPをひたすら聴いてカラオケで歌うみたいな家族だったので、ザ・イエロー・モンキーの流行っている曲、当時で言うと「バラ色の日々」とか「LOVE LOVE SHOW」とか、そういう曲は小学校の時から知ってました。
 
斉田:多分植田さんは、「LOVE LOVE SHOW」とか一番ザ・イエロー・モンキーがヒットしている頃の最も美味しいところを聴いてるんですね。
 
植田:最初はそうですね。その後、15歳の時に大阪に出てきてからヴォーカルの吉井和哉さんの自伝を読んだのをきっかけにソロアルバムを聴いていくんですけど、私が一人暮らしをしている中でものすごく支えられたというか、興味深かったんです。それで大好きになりました。
 
斉田: 特に吉井さんに影響を受けたわけですね。
 
植田:はい。日本語の歌詞で普段使うような言葉なのに、すごく描写が面白いから。自分で作詞作曲を始めるっていう時に、「あー、そっか。こういう書き方があるんだ」と教えてもらったというか、抽象的なワードが並んでいるのに、同じ風景を浮かべるような、そういうことが面白くて。なんでしょう?  “こうでなければならない” とか気にせずに、“当たり障りのない言葉を選ばないで自由に曲を作っていいんだ” って思えて。半径の狭いプライベートな部分を感じる曲っていいなと、そういう曲を書きたいなと思ったのは吉井さんの歌詞に影響を受けたからだと思います。
 
斉田:歌詞に影響を受けたということですが、特に好きな作品はありますか?
 
植田:バンドが解散になってから追い始めたので、私が聴き始めた時には吉井さんはソロ活動をされていて。YOSHII LOVINSON時代の『at the BLACK HOLE』っていうアルバムがあるんですけど、十曲ずっと同じテンションで、暗~くて、ポップな要素が少ないんですよ。バンドとのギャップもあって、しかも言葉のチョイスが「こんな言葉を歌ってたの?」っていう歌詞だらけで、すごく面白くて。その一枚が不思議ととても私の生活に馴染んだんです。一人で家に帰ってきて、コンポで曲を聴く時に生活のテンションにフィットしてくれるから、毎日ずっと聴いていました。面白くて夢中になっていたんだと思います。だからこのアルバムを聴くと 15歳当時の秋とか、あの頃を濃密に思い出しますね。かなり私の日々を支えてもらいました。だから私も、皆さんの日常にキュッとフィットするみたいな曲をずっと作りたいなと思っています。引っ張り上げるというよりは、ピタッとそばにいる感じですね。
 
斉田:でも、ザ・イエロー・モンキーも吉井さんも派手な曲もありますよね。
 
植田:そうですね。どっちの側面もあるじゃないですか。ザ・イエロー・モンキーの「LOVE LOVE SHOW」みたいな「イエ~イ、元気だそう!」って曲もあれば、暗い曲もある。そこがすごいところだなって。私もどっちかっていうと暗いタイプのようなので、曲を書いていると内にこもってそっちの方向に行ってしまいがちですけど、ライブではバーンって躍動したり、人に面白い!と思われるようなキャッチーな部分もちゃんと合わせ持っていたい。吉井さんはそのバランスが本当に凄いから 、私もそうなりたいって憧れます。

●THE YELLOW MONKEY
吉井和哉、菊地英昭、廣瀬洋一、菊地英二のラインナップで1989年12月から活動。
グラムロックをルーツに持つ独自のグラマラスなスタイルで人気を博し、1992年5月メジャーデビュー。
ライブの動員、CD売上ともに90年代の日本の音楽シーンを代表するロックバンドとなるも、2001年1月8日東京ドームでの公演終了後、活動を休止。
その後も休止状態のまま、2004年に解散。
2016年1月8日、再集結を発表。
22万人を動員した全国アリーナツアーを皮切りに、フェスへの参加や全国ホールツアー、15年ぶりの新曲リリースなど精力的に活動し、大晦日にはNHK紅白歌合戦への初出場を果たす。
2017年にはベストアルバムの新録盤や3ヶ月連続配信リリース、再集結の一年間を追ったドキュメンタリー映画『オトトキ』の公開などを経て、17年ぶりとなる東京ドーム公演を開催。2018年、全シングル・アルバムの全世界配信を開始。
2019年4月、19年ぶり9枚目となるオリジナル・アルバム『9999』をリリースし、同作を携えた全国アリーナツアーは大成功を収める。
2022年、デビュー30周年を迎える。

■hide

斉田: hideさんはX JAPAN からじゃなくて?
 
植田:hideさんのソロからです。こちらも後追いになります。結局、私がずっと好きでいるものってみんな後追いになっていますね。今回挙げてる皆さんそうかもしれない。
 
斉田: hideさんは「ROCKET DIVE」とか、あの辺?
 
植田:「ROCKET DIVE」は小学校の頃、そういう意味ではザ・イエロー・モンキーとも近いです。流行ってた曲は小学生の頃に聴いていたけど、高校生になって15歳からソロアルバムを熱心に聴くようになりました。色んなビジュアルのプロデュースにおいて、写真一枚、ライブ一本、ものすごいアイデア満載で手作りされているから、そこにとても興味を惹かれました。
 
斉田:でも植田さんはビジュアル系には流れていかなかったんだ。ダークな音楽とか。
 
植田:Xも、X JAPANも聴いたんですけど、hideさんのプロデュースされているものが面白くて。ビジュアル系の黒い感じからソロは逸脱していて、当時のhideさんってずっとカジュアルで、カラフルで、ポップで、テンションが上がるような物をずっと作られているから、そこも大好きですね。色んなジャンルレスなものとコラボレーションしたりとか、そのスタイルがこの人ならではだなって生き様を感じるので、こうでありたい、こうなりたいっていう憧れでもあります。

●hide
1987年から1997年までX JAPAN(旧名:X)のギタリストとしてHIDE名義で活動。
1993年より、hide名義でソロ活動も開始し、1996年には自らのレコードレーベル「LEMONed」(レモネード)を立ち上げる。「LEMON(不良品)」に過去形の「ed」をつけた「不良品だった」という意味の言葉。大量生産されるこの時代で、僅かな確率で生産された「不良品」が異色を放った時、「僕たちはかつて不良品でした」と笑えるようにという想いが込められたhideが生み出した造語。「LEMONed(le’mene’id=元不良品」は音楽のみならず、アートやファッション、ヘアメイク、ショップなどコレクターhideがカッコイイ!と思ったものを発信するレーベルとして展開した。
1997年のX JAPAN解散後はhide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始するも、1998年5月2日(享年33才)不慮の事故により、永眠。

■QUEEN

植田:クイーンに関しては私が17歳くらいの頃、斉田さんに紹介してもらったんです。2019年年始のhillsパン工場ライブ(斉田が店主を務める大阪北堀江のライブハウス)で「WE WILL ROCK YOU」をカバーしました。hillsパン工場はカバー箱っていうイメージがあるんですよね。カバーって結構ハードルが高くて、プロのミュージシャンになるとなかなかやらなくなってしまうんですけど、本気のコピーを今やるとどうなるのか?っていう気持ちでやらせていただきました。ところで、斉田さんはどうして私にクイーンをオススメしてくださったんですか?
 
斉田:そりゃもう、「狂気とイノセンス」ですよ(笑)。今でもブレていないと思うんです。植田さんは成人もし、なんとなく社会で生きていける大人なんだけど、いけなさそうなところも、はい。
 
植田:ギリギリ生きていけない人です。
 
斉田:いや、生きていけないんじゃなくて(汗)、何ですかね。そこに行けるっていうか、ギリギリPOP MUSICの世界と芸術的な狂気の世界みたいな。どっかに行ってしまった芸術家とも違うし、芸能系のそれとも全然違うっていう、そこですよね。ギリギリのところの。
 
植田:ギリギリ生きていけないんですよ。やっぱり歌を歌って作ってライブで歌わせてもらわないと、私はもう全然だめになってしまうので。
 
斉田:対リスナーがいたりとか、お客さんがいたりとか、そこの支え合う関係っていうんですかね。
 
植田:支え合う! そうですね。
 
斉田:そこに行けてる芸術家っていうのは良いですよね。
 
植田:それでクイーンをオススメしてくださったんですか?
 
斉田:だってクイーンって無茶苦茶じゃないですか。曲にしても。名曲だし。売れることとか、自分が最高だっていうのも自分で言っちゃうし。なんかね、ビジネスのバランスが分かってるような分かっていないような、そこがポピュラー・ミュージックの面白いところでもあったり。やっぱり相手を喜ばせよう楽しませようっていう部分がちょっとでもあった方がいいよね。
 
植田:最高ですね。そのバランスがずっと、それをやり続けること自体がもう作品ですよね。
 
斉田:語ってしまいますが(笑)。デヴィッド・ボウイやクイーンは、自分の死ぬ姿まで作品にしてしまっている。そのすごさっていうんですかね。
 
植田:そうですよね。私自身はこの2、3年はそんなに赤裸々になれていないのかもしれない。インディーズの頃の私は、「私一人こういう風に生きてるよ、日々生きてるよ」みたいな、秘密を明かすように歌詞を書いていたところがありますけど、最近はあんまり秘密を書けていないのかもしれないです。生きている感じを作品に残したいと、ずっと思っていますね。
 
斉田:難しいところです。平穏無事な方がね、あんまり色々起こってしまうとそれはそれでまたすごい世界に行っちゃうんで、結構バランスが難しいんですよね。「狂気」でもそっちに本当に行っちゃって戻ってこれない人もいるじゃないですか。それはそれで困っちゃうわけで。
 
植田:でも、もう一歩行っちゃわないとなって思います。やっぱり今日話していて。

●QUEEN
フレディ・マーキュリー(Vo&Piano)、ブライアン・メイ(G)、ジョン・ディーコン(B)、ロジャー・テイラー(Dr)による、イギリスのロックバンド。1971年結成。
ロック、ポップス、クラシック、ジャズ、R&B、オペラなど多彩なエッセンスを取り入れ、メンバー全員が作詞作曲をこなす。「ボヘミアン・ラプソディ」をはじめ、「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」など数々の世界的ヒットを生み出した伝説的ロックバンドである。
1991年11月、フレディ・マーキュリーの逝去も、バンドは断続的に活動を続けている。2018年11月、クイーンを題材にした映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開され、日本、全米、英国、韓国など世界で大ヒット、“クイーンブーム”が起きた。

■ABBA

斉田:アバはちょうど40年ぶりに復活しました。そういうのもあって今回選考に入ってる部分もあるんですか?
 
植田:それもあります。父も音楽が好きでJ-POPの流行歌のCDを色々持っていたんですけど、その中に『80’S HIT』が一枚、ビートルズの『1』が一枚、アバが一枚、洋楽はそれだけだったんです。
 
斉田:それね、1992年発売のアバの『ゴールド・グレイティスト・ヒット』って世界中で大ヒットしたアルバムですね。アバは1982年には解散してたんですけどね。
 
植田:私が小さい頃、アバの曲がドラマの主題歌になっていて耳馴染みもありましたし、ずっと好きですね。このあいだ、カラオケでアバの「チキチータ」を歌ってみたんですけど、アバの曲ってそれこそ色んな音が入っていてコーラスもたくさん入っているからすっごい難しい。でも、だからカラオケで歌うと楽しいんです。アバはカラオケで歌うと映えますね。どの曲も空で歌えるくらい好き! ドラマティックな構成やメロディが、音楽でしかないっていうか。これぞ音楽というか。そこがやっぱり好きです。
 
斉田:曲調が好きなんですか?
 
植田:はい。あと、アレンジとコーラスもすごく好きですね。ハモリのラインが入ってきて、歌で構成されているところとか、あと今自分でアレンジやレコーディングをするようになって思うんですけど、ここでこういうアプローチでアウトロが入ってくるんだとか、楽器の使い方が目から鱗状態になりますね。だから、どんどん凝り固まってフォーマット化されていく「Aメロ〜Bメロ〜サビ」っていうペタッとした音楽になりがちなところを、今アバを聴くと「こうでいい、もっと自由でいい」っていう、羽が生えたみたいなメロディに本当に勇気をもらいます。
 
斉田:40年振りの復活はどう思われます? 全員70代ですよ!
 
植田:やっぱり、健康であるべきですね。

●ABBA
スウェーデンの4人組ポップグループ。ベニー・アンダーソンとビョルン・ウルヴァースの男性2人が作詞作曲&プロデュースを手掛け、アグネタ・フォルツコグとアンニ=フリッド・リングスタッドの女性2人がヴォーカルを務める。
1974年に「恋のウォータールー」でブレイク。これまでに全世界で約4億枚のアルバムを売り上げ、17曲のNo.1ヒット・シングルと、1,600万回以上の世界週間ストリーミング再生回数を誇る。1987年に解散するも、2010年にロックの殿堂入り、2015年には「ダンシング・クイーン」がグラミー賞の殿堂入りを果たすなど、今日も尚世界の音楽作品の中で重要な位置を占めている。2021年11月5日には40年ぶりのオリジナルアルバム『ヴォヤージ』を世界同時にリリースした。

■アレハンドロ・ホドロフスキー

斉田:映画の話を聞きたいんですけれども、ものすごく勉強してますよね。
 
植田:映画が面白くて! 映像作品や PVなどもアイデアを出させてもらっているので、なるべく映画を観るようにしているんですけど、その中でもやっぱり監督の想いと作品性みたいなものが、がっつり公私混同している作品が最高だなと思っていて。自分の生き様や、トラウマや、生まれ落ちた「血」とか、そういうものが作品に残っていて、それを壮大な映画というものにしちゃった。あんなにお金をかけて、時間をかけて作って。で、私たちも2時間かけてその映画を観るわけじゃないですか。それがね、面白いし感動するし、私もこうでありたいなって思うんです。最近一番面白かったのはアレハンドロ・ホドロフスキー監督の「ホーリー・マウンテン」という作品。
 
斉田:それ観たいな~(笑)。今公開中だと「DUNE 砂の惑星」という超大作を作るはずだったんだけど、ハリウッドに降ろされちゃった監督さんですよね。あまりにもお金かかり過ぎるとかで。
 
植田:ドキュメント見ました? 今それも話題になっているんですよね。監督はもう90歳くらいなんですけど、チャーミングですごく元気 。それこそ彼が撮ろうとしていた「DUNE」にはミック・ジャガーやダリがキャスティングされていて、OKが出ていたのに結局撮ることができなかった。その情熱とか作品づくりに対する姿勢をみてるとすごく興味深いですね。あと当時のアイデアとか実験的なものがいっぱい見せてもらえるんでそこも面白いですね。
 
斉田:こういう人たちは、才能が作品に残ってるっていうか、すごいカルトなファンじゃないけど、公開はされずともものすごい作品が作れてるっていうところがミソですよね。
 
植田:本当にそうなんです。音楽にも近いですよね。ずっと自分の音楽を届け続けるロックバンド的と言うか。人々に深く刺さる作品。例えばハリウッドのエンターテインメントみたいな広い人に向けた映画とはちょっと違うんだけど、深く刺さる作品。これはこれでなくてはならないもので、ずっと残り続ける。私はそういう音楽を作りたいです。そういう人ばっかり今回は挙げてるんで、話はすべてそこに帰結しちゃうんですけどね。
 
斉田:特に映像作家なんかそういう人ばかりですけど。それぞれの作品で特に好きなものはあるんですか?
 
植田:そうですね。特に好きな作品がある人ばかりを挙げました。( ミシェル・ゴンドリー、スタンリー・キューブリック、デヴィッド・フィンチャー、
アレハンドロ・ホドロフスキー、ウディ・アレンなど)

斉田:ミシェル・ゴンドリーとか、デヴィッド・フィンチャーとかはMVも作ってますから。まずMVやCMが認められて、その後に映画監督デビューしてたりね。僕はミシェル・ゴンドリーはMVでしか知らなくて、ビョークとかすごいのばかり作ってる人ですよね。
 
植田:もう私、ドストライクですよ!

●アレハンドロ・ホドロフスキー
チリ出身の映画監督、演出家、詩人、俳優、作家、バンド・デシネ作家、タロット占い専門家。
監督・脚本・出演・音楽をこなした『エル・トポ』(1970)がカルト的な人気を博し、続く『ホーリー・マウンテン』(1973)も米国でロングラン上映されるなど話題を呼んだ。その後、SF小説「デューン/砂の惑星」を映画化する準備を進めたが(1975製作着手)、スタジオの拒絶にあって企画が頓挫。映画3作品を監督した後、フランスのコミックの原作者に転向。マルセイユ・タロットの研究と復刻事業などに従事する。2013年、未完に終わった『デューン/砂の惑星』の顛末に迫ったドキュメンタリー映画が製作されることになり、これがきっかけで資金を手にしたことにより、23年ぶりとなる新作映画『リアリティのダンス』(2013)、『エンドレス・ポエトリー』(2016)、『ホドロフスキーのサイコマジック』(2019)を制作している。現在92歳。

■ウェス・アンダーソン

植田:ウェス・アンダーソンさんも監督で、この方もすごく素敵な映像作品を撮られている大好きな方です。私、お父さん物の話に弱くて、「お父さんがかわいそう」、「お父さんの気持ちが伝わらない」みたいな話にすごく切なさを感じてしまうんです。ウェス・アンダーソンさんの作品には「お父さん」ってキーワードがいつも深く絡んでいて、その切なさを感じてしまうんですよ。「ライフ・アクアティック」という作品があって、その映画が今年一番良かったなと思ってます。人が一人生きていく中の不器用さとか伝わらなさとか、報われるとか報われないとか、そういう作品を残すとか、そういうこと全てを皮肉って作品にされているので、私は好きなんですよね。
 
斉田:そうだよね。ちょっと真っ直ぐじゃない、ちょっと皮肉があったり、ちょっとコンプレックスみたいなのが見え隠れする作品とか、ちょっと屈折してる作品がいっぱいあるよね。屈折してなきゃアーティストなんかなりませんよね!

●ウェス・アンダーソン
アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサー、脚本家。
テキサス大学在学中にオーウェン・ウィルソンと出会い、共同で映画を制作。オーウェンとその兄ルーク・ウィルソンと作った短編『Bottle Rocket(原題)』がサンダンス映画祭で注目を浴び、それを長編にした『アンソニーのハッピー・モーテル』(1996年、日本劇場未公開)で本格的に監督デビュー。『ダージリン急行』『ファンタスティック・Mr.FOX』『グランド・ブダペスト・ホテル』など、数々のヒット作を世に送り出してきいる。

■嶽本野ばら

斉田:植田さんは久留米時代にバンドとかは誘われたりしなかったんですか?
 
植田:全然。みんなヤンキーだったので。ギター触ってる子とかいなかったんですよね。洋服やファッションが好きな子が多かったですね。女子はみんなヤマネコみたいでした(笑)
 
斉田:うわ、それ怖いわ。これは嶽本野ばらさんの「下妻物語」の世界じゃないのって! でも、嶽本野ばらさんの世界観とかもお好きそうですね。

植田:そうですね。「ミシン」っていう嶽本野ばらさんの最初の作品に収録されている「世界の終わりという名の雑貨店」という小説が、いつ読んでも泣くんです。最近もコラムを書かれている中で、「このコラムの読者の中から文学賞を受賞させる」っていう企画みたいなのをやってらっしゃって、毎回それがとっても面白いんですよ。大衆性のバランスの話とか。
 
斉田:彼の私生活はボロボロやねん。でも才能はあるっていう。それが本当に、ねぇ。
 
植田:ものすごく綺麗な文章を書かれるので、私は憧れています。今日お話しさせていただいた方たちみなさんに当てはまるんですけど、例えばクイーンのフレディ・マーキュリーさんの素晴らしさってひたすら歌だと思うんです。「歌唱するパワー」と、「歌そのもの」のような存在感。嶽本野ばらさんの言葉もそうで、どちらも本物だと思うんです。
私は17歳の頃からずっと「本物になりたい」「もっとちゃんと本物になりたい」って思い続けているんですけど、今回「影響」というテーマで自分自身を振り返ってみて、本物を求めるのと同時に、実は「運命」とか「血」とか「宿命」とか「人生」とか、そういうことをテーマにずっと音楽活動をしてきたんだと気づかされました。そう思うと、「私生活的な作品」も多い作り手が並んだのは必然的ですね。

●嶽本野ばら
日本の作家、エッセイスト。京都府生まれ。
1992~97年まで、関西のフリーペーパーにエッセイ「それいぬーー正しい乙女になるために」を連載し、これが人気となり単行本化された。以降雑誌などにエッセイを執筆し、少女たちの高い支持を集める。
2000年「ミシン」で小説家デビュー。「ミシン」に収録された「世界の終わりという名の雑貨店」が映画化された。その後、「エミリー」(2003)と「ロリヰタ。」(2004)が、三島由紀夫賞候補に。また2004年には「下妻物語」が映画化され、大きな話題となった。著書に「シシリエンヌ」「タイマ」「傲慢な婚活」「落花生」などがある。

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<INFORMATION>

2022年、2年振りのラズワルドピアノツアー開催決定!

指の先まで音楽になる―――
植田真梨恵のアコギと歌、西村広文のピアノから生まれるラズワルドピアノ。
極寒の冬を彩る待望のツアーが決定!
2022年の舞台は教会、ツアー初日を飾る大阪公演では、「heartbreaker」MV撮影地でもある川口基督教会での公演が実現! その他も故郷福岡、ツアーとしてはじめて訪れる愛媛、そして教会ではないものの歴史的建造物であり、重要文化財でもある札幌の時計台ホール、ツアーファイナルは木とガラスとコンクリートが調和し、天井高11mを有する美しいキリスト品川教会礼拝堂での2DAYS。どの公演も見逃せないスペシャルなツアーをお楽しみに!

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『live of LAZWARD piano “blue morning, blues”』スケジュール
■2022.2.15(火) 大阪 川口基督教会

<昼公演> OPEN 15:00 / START 15:30
<夜公演> OPEN 18:30 / START 19:00
(問) サウンドクリエーター 06-6357-4400

■2022.2.18(金) 福岡 九州キリスト教会館 礼拝堂
OPEN 18:30 / START 19:00
(問) キョードー西日本 0570-09-2424

■2022.2.23(水・祝) 愛媛 松山教会
OPEN 16:30 / START 17:00
(問) デューク松山 089-947-3535

■2022.3.1(火) 北海道 時計台ホール
OPEN 18:30 / START 19:00
(問) マウントアライブ 011-623-5555

■2022.3.3(木) 東京 キリスト品川教会 礼拝堂
 2022.3.4(金) 東京 キリスト品川教会 礼拝堂

OPEN 18:30 / START 19:00
(問) H.I.P. 03-3475-9999

TICKET
北海道 ¥4,500(税込)
愛媛・福岡 ¥5,000(税込)
東京・大阪 ¥5,500(税込)
※札幌公演は施設利用時間の都合により、90分公演を予定しております。

チケット一般発売日 2022年1月22日(土)AM10:00

†全席指定
†3歳以下入場不可、4歳以上チケット必要。

その他最新情報は植田真梨恵オフィシャルサイトまで



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