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FIELD OF VIEW 20年ぶりの新作「きっと」リリースを祝して、デビュー当時の貴重なインタビューを公開!

全国CD SHOPで10万部配布していた音楽フリーペーパー「music freak magazine」で、FIELD OF VIEWが初表紙を飾った1995年9月号(VOL.10)掲載の、初期メンバーそれぞれの音楽的バックボーンやパーソナリティー、FIELD OF VIEWとは一体どんなバンドなのか? その実態と魅力を探った初インタビュー、そして1995年8月号(VOL.9)掲載のヴォーカル・浅岡雄也に音楽ルーツを語ってもらった『The musician to the musician』を振り返る!

※なお、最後までお読みいただいた方に抽選で2名様に、FIELD OF VIEWが表紙を飾った「music freak magazine vol.10、19、23、30」を4冊を1セットにしてプレゼントいたします。
詳細は特集の最後をご参照ください。

2022年9月28日に20年ぶりのシングル「きっと」をリリースするFIELD OF VIEW。
今回ご紹介するのは、1995年デビュー当時に初期メンバー4人に行った初インタビューより、現在FIELD OF VIEWの活動を継続しているヴォーカルの浅岡雄也、ドラムの小橋琢人の言葉を中心に抜粋。
“2022年の現在のFIELD OF VIEWに繋がる貴重な過去の証言を紹介する!”

music freak magazine VOL.10(1995年9月号)

■浅岡雄也というヴォーカリストについて
このバンドの顔でもあるヴォーカリストの浅岡雄也。浅岡は、バンドのフロントマンらしく最も快活で何事にもおじけない性格のようだ。質問に対するレスポンスは早く、多くのことを語るし、語ろうと努力する。特にイギリス系の音楽やシンセサイザーなどの機材の話になると饒舌なくらい、興味深い話が尽きない。また、他のメンバーとのインタビュー間でも、彼だけは抑えきれない好奇心が尽きぬかのように、自らインタビュアーの如く、矢継ぎ早にメンバーに質問を浴びせかけていた。
屈託のない笑顔を見せてインタビューに応える浅岡は、音楽漬けのミュージシャン生活を自らも楽しんでいるようだ。

“歌うベーシスト”という異名をとっていた頃もありますね。(浅岡)

●出身地は?
浅岡:
東京生まれ、東京育ち、父親の仕事の関係で都内を転々としていました。
●音楽に目覚めたきっかけは?
浅岡:
小学校の頃、友達に聞かせてもらったYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の「ライディーン」という曲からですね。なんだこれは?という感じで。それからYMOばかり聞くようになって、YMOのアルバムからその周辺のファミリー的なアルバムから全て集めて聞きました。そして、最終的には高橋幸宏さんに行き着きました。
●仲間内では浅岡さんはテクノ・フリークで有名だとか。
浅岡:
そうですね。学生時代にはその手の音楽ばかり聞いていました。中学2年性の頃からシンセサイザーに凝って多重録音したりとか、友達のやっていたミニFM局のDJをしてYMOばかりかけていた時期もありました。
●どの位アルバムを所有していたんですか?
浅岡:
僕はCDよりアナログ世代なんですが、アナログ盤とCDを合わせたらテクノ関係だけでもゆうに300〜400枚はあったんじゃないかな。
●バンドを組んだのはいつ頃ですか?
浅岡:
中学3年性の時に、デュラン・デュランのコピーバンドを先輩と組んで、その時はベーシストをやっていました。高校1〜2年の頃はヘビーメタル系のバンドでベースとヴォーカルをやっていた事もあります。“歌うベーシスト”という異名をとっていた頃もありますね(笑)」
●その当時は、今のFIELD OF VIEWのイメージとはかなりかけ離れたルックスをしていたのですか?
浅岡:
そうですね。中学3年の時にアメリカ帰りの結構トンガっている先輩の真似をしてニューウエーヴの化粧をしてイヤリング付けて歩いていた事もありました。そうしたら親父に見つかってぶっ飛ばされて(笑)。あの時、ぶっ飛ばされていなかったら今ごろすごくチャラチャラしていたかもしれませんね。
●ヴォーカルを本格的に始めたのはいつ頃ですか?

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