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【テニス】サーブ&ボレーは消えたか!?

2023年、4月のテニススクール

コーチ「練習したいショットはありますか?」
私「バックハンドを両手打ちに変えようかと思って…」
「え、ネットプレー中心だったら片手バックのままでいいんじゃない」
「ベースラインでもっと粘れるようにしたいんです、だから両手に…」
「だったらバックでスライスを磨いたほうがいいですよ」
「じゃ、やっぱり片手でいきますw」

1988年〜始まりは両手打ちバックハンド

私が14歳のとき、両親の勧めでテニスを始めた。中学ではバレーボール部だったが、ひとりで勝手気ままにプレーできるテニスも面白いと感じた。その頃、目薬のテレビCMでマレットの後ろ髪をなびかせた男性がテニスをしていた。アガシという名前だった。近所の薬局に行って、アイリスの目薬と一緒にポーズするアガシのポスターをもらって部屋に貼った。夏に、アガシが来日してANAカップというエキシビジョンの大会で、エドバーグとレンドルを破って優勝した。アガシのバックハンドをマネして、両手で打つようになった。フォロースルーでラケットを肩に担ぐだけでシンプル、簡単にできた。

1990年〜やっぱりサーブ&ボレーしたい

高校ではテニス部に入った。アガシと同じ、ドネーの黄色いラケットを持っていた。仮入部のときに、先輩とラリーをさせてもらい初めてトップスピンのボールを受けた。それまで私のテニス相手だった家族にはトップスピンを打てる人がいなかったから。テレビで観られるテニスの試合はほとんど観ていたが、エドバーグの試合をよく観ていた。そのせいか、ネットプレーヤーになりたいと思った。いろいろ雑誌などで調べたら、バックハンドスライスを打てることがネットプレーヤーになる前提条件のようだった。それには片手打ちバックハンドが必須であることを確信して、片手打ちに変えた。グリップはエドバーグ(コンチネンタル)とサバティーニ(ウェスタン)の中間に落ち着いた。たぶんテニスクラシックという雑誌の特集で、ラケットをなるべく体から離してテイクバックすることを読んでコツを掴んだ。スライスは全米オープンのハイライトで見たヤニック・ノアのものを参考にした。サーブはベッカーやキャッシュの右足着地に憧れて自然と同じかたちに。1990年の全米オープン男子決勝は、高校に登校する朝、生中継でアガシがサンプラスと対戦するのをテレビで見た。サンプラスのサーブ&ボレーだけでなく、ストロークにもなす術もなくやられるアガシを見るのはショックだった。翌年、シュティッヒという選手が現れてウィンブルドンで優勝した。バックハンドのお手本はシュティッヒに変わった。技術の習得は練習時間に比類するので、バックハンドとボレーは比較的できるようになった。顧問の先生に「ハッタリのネットプレー」と褒められる?までに。

1993年〜テニスはほぼ観るだけ

高校を卒業してからはテニスをする機会がぐっと減った。1993年にたまたまロンドンに行く機会があったので、ウィンブルドンに寄った。ミュージアムみたいのがあって、クリス・エバートの肖像画が飾ってあって、お土産で前年に男子シングルスで優勝したアガシの絵葉書を買ってきた。大学ではサッカーをちょこっとやった。また父、母、姉と一緒にテニスもやった。1997年頃にヒンギスが頭角を現して、そのsmart & effortlessなテニスに影響を受けた。ラケットを立ててテイクバックするフォアハンドをお手本にした。同じ頃、ラフターが強かった。豪速サーブのルゼドスキーが好きだった。21世紀になって、たまたま見たウィンブルドンの試合で、ポニーテールだったフェデラーのことをサーブ&ボレーヤーだと思っていた。だいぶ後になってから、フォアハンドがめっちゃすごいことを知った。

2021年〜テニス再び

時は経ち、夏に母が逝き、たまたま娘を高校に送る際にテニススクールの横を通った。テニススクールに入れば、テニスをする相手を探す必要がないことにこのとき初めて気づいた。体験レッスンに行く前は、90分体力が持つか不安だった。体験当日は、おへそで打つ?アガシのフォアハンドをイメージしたが、苦手だったフォアハンドはそのままだった。ラケットは1997年頃に買ったPro Staffのまま。2021年10月にレッスン開始。まずは時代にあったラケットを買った。年が明けて2月の市民大会シングルスにエントリーした。何十年ぶりの試合は、高校の部活のときと同じイメージでサーブ&ボレーを試みて0-6で負けた。ハッタリが通用する相手じゃなかったが、ベースラインにいるよりもネット際にいるほうが落ち着くのは変わってなかった。

「サーブ&ボレーはなぜ消えたのか」

表題の本、武田薫著、ベースボールマガジン社(2007年)を読んだ。テニス発祥からの歴史をひもとき、商業的観点から1980年代にサーブ&ボレーが隆起したことが書かれていた。期待していたような、技術的側面や環境的側面(ラケットの進化やコートの低速化)には特に触れていなかったが、次の言葉を見つけてこのブログを書く気になった。

サーブ&ボレーヤーが長命だというのは、打ちのめすパワーやネットに飛び出す脚に頼っていないからである。彼らは、繊細なタッチでボールを操ることができる有能な職人なのだ。肉体は衰えても感覚と技術は衰えない…。

「サーブ&ボレーはなぜ消えたのか」p.140

しかもこれ、Amazonで買った古本なのだが、まさにこの言葉のところに黄色の丸いシールが貼ってあった。ここを読めとばかりに。冒頭のコーチの言葉にも励まされ、サーブ&ボレーをやってきて間違いじゃなかった、というかこれからその真価を発揮するんじゃないか、とがぜん楽しみになってきた。