若者にとって社内の飲み会はペイ可能なものなのか

ある1件のツイートが流れて来たのでコメントを考えてみた。

なお、僕はどちらかというと若者に属する身であり、年配の方の考え方を代弁できるほど年配の方を理解してはいないので、若者の視点だけで考える。
一応前置きしておくと、僕は社内の飲み会には参加すべき(嫌忌するべきではない)という立場である。

何を考えればいいのか

このツイートの一番の趣旨は「社内の飲み会には嫌いでも参加すべきだ」であるが、これは当然「社内の飲み会は嫌いだし、参加するデメリットがメリットを上回っている」という意見が存在しているからこそ成り立つものである。ならば、社内の飲み会に参加するメリットとデメリットを考えていくべきだ。

メリット(と考えられるもの)

・他社員と親密になり、仕事が円滑に進む可能性がある
・仕事の時間中には出来ない話や意見を聞くことができる
・立場(部署・役職)の異なる者や経験のある者の意見を聞くことができる(普通に聞く場合と比べて難易度が低い)

デメリット(と考えられるもの)

・話し相手の選択権が若者側に基本無い
・面白いと思える話題になる確率が(同世代の友人との飲み会と比べ)低い
・面白くない話をされても円満な返しを要求される(喧嘩した場合上記のメリットを享受できない)
・1回あたり数時間の拘束という時間的コストと(年上が多めに払ってもらうことがあるにしろ)金銭的コストが発生し、同様のコストを支払って実行可能な他の娯楽と比較して(その場で得られる)効用は低い
・お酌や敬語といったマナーが飲み会には存在し、それが仕事と変わらず不快である。純粋に楽しむだけの上司と不均衡が生じる。特に幹事の場合はそれが著しい。

思ったよりもデメリットが多かったが・・・

書いていて「あれ?」と思った。じゃあ飲み会行くべきじゃないじゃん。
しかし一方で、メリットは細分化可能だなと感じた。例えば「他社員と親密になり、仕事が円滑に進む可能性がある」というメリットは細分化すると「普段関わっている上司と親密になることで会議や決裁で有利に立ち回れる」「関わりの薄い人を知ることで人脈と知識が広がり、縦割りを排した案を企画することや外部からの視点を得ることで自部署や会社の課題を発見することができる」といった言い方も出来る。そもそもメリットデメリットの比較は双方の総重量の比較であって数量の比較ではないのだ。

社内論理は常に合理的というわけではない

飲み会に参加して仕事が円滑になるのか?という疑問に対して。
僕は旧式の会社に勤めているので実際の社会はどうか分からないが(どんな社会人生を送っていても『実際の社会』なんて定義しようがないのだが)、「誰が言ったか」「どのように言ったか」は会社で仕事する上で重要なファクターだと思う。真に合理的な会社であれば、上記2つは全く価値はなく「どのような考えか」だけが社内の意思決定に影響を及ぼすはずであるが、人間で運営され人間が決定権を持つ会社においてはそうはいかない。

「誰が言ったか」「どのように言ったか」の重要性は日常での会話でも分かることである。肥満度を表すBMIは25以上だと肥満とされるらしいが、例えばBMIが28の人がいて(この人は自分の数値が適正か理解していないものとする)、BMIが40の超肥満な人に「君、BMIは25以上は肥満だから体重減らした方がいいよ」という「100%正しい」意見を言われた際、素直に「知らなかったです、ご指摘感謝します」とはならない。大抵「お前が言うな」となるだけだ。人間には素直に話を聞ける相手とそうではない相手がいて、社内でも同じ意見が発案者によって通り方が違うのは当たり前の話だ。飲み会で仲良くなった人の方が意見は通りやすいのは自然の流れだろう。

なお、この意見に今話題のジェンダー格差やハラスメントを賛美する意図はない。合理的判断は理性であり非合理的判断は感情である。人間から感情は無くせない以上非合理的判断は必ず残ってしまうという「事実」と、そういう現実に対してどう接するべきかを言っているだけで、非合理的判断が善か悪かについては触れていない(つもりである)。

飲み会に行ってまで仕事を円滑に進める必要があるのか

仕事は上手くいくに越したことはないだろう(ノーコストノーデメリットで上手くいく手段があるなら惜しまず採用するはずだ)。だが、飲み会という手段には上記のような様々なデメリットが生ずる。それらデメリットは「プライベートを犠牲にしている」という面があり、これらを総括すると飲み会はプライベートをコストにして仕事の円滑化を図る行為とも言える。サービス残業が悪と叫ばれている時代なのに、飲み会に参加してまで仕事上の利を取りに行くことに意味はあるのか。

様々な意見があると思うが、僕は意味はあると思う。まず、僕らが仕事をする目的の一部として「資金の獲得」「自己実現の手段」が挙げられるが、そのどちらにも仕事の成功は関係している。また、仕事外で資格の勉強など自己研鑽を励むのも仕事の成功のためであって、それ自体は飲み会に行くのと大差はない。勿論資格は転職でも使えるが、仕事の成功だって転職では大きなアピールポイントになりうる。転職をどんどんしたいと考えているか、しばらくは同じ会社で腰を据えたいかにもよるが、一概に飲み会が悪とは言えないと思う。

管理職にとっての「飲みニケーション」

また、「仕事を円滑に進める」ことは管理職にとって重要な「仕事」そのものである。チームの成否が成績に直結する管理職は、チーム内の社員のコンディション管理や社員同士の連携を高めることは重要である。それらを目的として「飲みニケーション」することは全然不思議なことではない。

「飲みに頼らずに日頃から信頼関係を構築しろよ」という意見は完全に正論だ。だが、僕らが管理職になった時に飲みなどの時間外の接触に頼らずに部下と信頼関係を構築できるのだろうか。
また、「飲みでしか仲良くなれない」欠陥を持った人間を批判して飲み会を拒絶しても、それは「飲み以外でしか仲良くできない」という自身の欠陥を晒しているとも言えるのではないだろうか。

終わりに

完全に個人的主観に基づく意見であるが、社内の飲み会は様々な発見と出会いがあって、仕事上は勿論プライベートとか個人の充実にとっても大切だと思う。飲み会に行く度になるほどと思える話があるし、飲み会がきっかけで休日に遊んでいる会社の人も出来た。
勿論、死ぬほど詰まらない話や他人のことを無視した自己満足としか思えない話ばかりする人だっている。けれども、何故そのようなことばかり言う人間になってしまったのかと考えつつ、これから上振れするか下振れするか分からない我が人生を思うと、僕はあまり無下にも出来ない。多分酔っぱらう前は仲良くなりたくて誘ってくれたんだろうとも思うわけで。まあ結局次回以降はやんわり断ってしまうのだが。

色々書いといて何だが、多分自分にとってあまり興味のない話を聞けるかどうかという点が、社内飲み会の是非を分ける大きな要因だと思っている。
僕は結構聞けるタイプで、年配にありがちな「俺の頃はなぁ~」といった発言も温故知新だな~って感じで普通に聞けるし、実際何かと他の場面で役に立っていると思っている(そもそも年配がこの話題を持ち出すのは若者と共通の話題がなくて困っているからであり、必ずしも老害したいだけではないはず)。

本や動画の方が面白いものに当たる可能性は多分高い。けれども、どこに自分にとって面白いものが埋まっているかが分からないこの世の中で、敢えて縁が無さそうな話を社内飲み会という場で聞くというのは、結構面白いと僕は思う。今は先輩が多めに払ってくれている時期だし、少なくともその間はどんどん行ったらいいんじゃないだろうか。

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