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もっと贅沢においしいところだけ食べるような読書をしたい

壁一面を本棚にしてでっかいクッションの上でお気に入りの本をパラパラめくって、「あーこのシーンいいよねえ」とか思いながらながら寝落ちしたい、それが私の夢だ。

今は壁一面を本棚にできる素敵なおうちはほぼ遠いが、6.5畳ワンルームで昔読んだ本の好きなシーン見つけて読み返しながらウトウトするのは最高の幸せだ。

私の読書の仕方は貪るというように豪快な味わい方ではなく、ケーキ食べながら1番美味しい部分探して、そこを残しといて最後の一口として食べた後、お皿についたクリームも取って食べる、なんならフィルムのクリームも全部取って食べる、みたいな読み方な気がする。
ショートケーキでイチゴを最後に残しがちな人はイメージいただけるのではないだろうか、、

こんな読み方なので読むのは遅い。
その分大好きなシーンはずっと覚えていて、特に登場人物の心理描写やセリフは心にグッとくることが多く、その味わいを求めて何度も読み返す。

キングコング西野さんがYouTubeで「CDをお金出して買うと噛めば噛むほど味が出る"スルメ曲"に出会える」という話をされていたが、
私にはたくさんの"スルメセリフ"はたくさん持っている。
いつか誰かに言ってみたいセリフ、主人公の気持ちがひしひしと伝わってくるセリフ、誰かに言われてみたいセリフ、、定期的に見たくなる。

そんなセリフに最初に出会ったのが、高校2年生の頃、村上春樹著『ノルウェイの森』だった。
『ノルウェイの森』を読んだ時の読書方法は未だに私のこれまでの読書の中で異彩を放っている。
図書館での調べ物の途中で、ふと見つけて読み始めた直後、めちゃくちゃおいしいスルメセリフに出会って驚いた。そこでいったん本棚に戻したために『ノルウェイの森』をそれまでとは少し違う形で読むことになった。

自習や休み時間、図書館に足を運ぶたびに『ノルウェイの森』を適当に開いて開いたページを読んだ。開くページ開くページ、心躍るセリフの多さに驚いた。
上記のケーキの表現でいうと、ザクザク適当にフォーク刺して食べてるのにどこもおいしい、、気づいたら全部食べていて大好きな本になった。

小説や文化の詳しい部分を知るのが大好きだった私は、その後大学で文学部に進学した。

最初は異文化系の授業をたくさん受講していたのだが、なんとなく受講した近代文学の授業で「小説」「読書」というものに心を奪われてしまった。

本ってなんだろう、読書ってどういうものなんだろう、という心にあった疑問が掘り起こされていく感覚だった。それまで当たり前だと思っていた読書の仕方、本というものに対しての疑問に向き合ってみたくなった。

卒論で「読書」という行為について調べる中で、読書はもっと自由なものなんだと気づいた。
1人で黙読すること、最初から最後まで読むこと、が正しいわけではなく、そういった読書の仕方は日本ではたったの100年前に始まったことだと知った。

音読しても黙読してもいい、好きな箇所だけ読めばいい、誰かと一緒に読んでもいい。
ルールブックなどないのに「まじめに」読まなきゃと思っていた。
同時に、年を取るにつれて本を読む前にプレッシャーを感じて積読が増えてきていることの原因は、こんな風に「まじめに」本を読もうとしてるからでは?と気づいた。

おいしいところをざっくばらんに探して本を読む。好きなセリフはたくさん増えたが、『ノルウェイの森』ほど贅沢な読み方をできる本にはその時以来出会えていない。

そんな出会いのためには本を安易に所有してはいけないのかもしれない。書店や図書館、友人の本棚でばったり出会ってたまたま開いてみたら最高のセリフ、、でも時間が来たのでさようなら、みたいな刹那的な出会いが必要なのかもしれない。


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