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【七転び八起きの四転び目②】
流行りの店への葛藤みたいなのが自分の中にあって、その頃はアイリッシュパブみたいなスタイルに対するそれが強かった気がする。旭川にも増え始めていたからね。
そういう店に行ってフィッシュ&チップスとかがメニューにあると注文してみてたんだけど、オーストラリアに住んでた頃に食べていたそれとは違う日本化された料理、既製品を上手に使って。悪くはない、むしろクオリティは高い。
だが気に食わない。そういうのじゃないから、ってこの気持ち分かる人には分かると思うんだ。
そういう変な葛藤もありBRASS MONKEYとの差別化のためにもgroveではイタリアンをやらずに世界の料理を手作りで、というコンセプトに沿った料理を出すことにした。
成功した経営者気取りだったから、自分の思いついたアイデアをカタチにすれば上手くいくという根拠のない自信を持って。
手作りで、美味いけどダルいフィッシュ&チップスを出せば必ず流行るだろうなんてね。流行りへのカウンターカルチャー的な思想で、ちゃんと料理しようよと世間に訴える、その旗手にでもなったつもりで。
50名規模のお店を回すということに対する考えも甘く、それこそ経営者として考えるべき重要な点なのに、広告戦略もなにもなく、今まで通りのマーケティングで余裕だろうとたかを括っていた。
もちろんクラブに遊びに来るお客さんたちがある程度お店を利用してくれるだろうと見込んでアテにしていたからってのもある。
初期にBRASS MONKEYがSNSでの集客に成功したのは馴染みのお店的な距離感とサイズ感がちょうど良かったからであり、偶然が重なって集客につながっただけで、50名規模の箱で同じことをやっても上手く行くはずはなかった。
オープン当初こそある程度の集客はあったが、それでもやや黒字程度で良い状態ではなく、オープン景気である程度は稼げると思っていたのでその目論見はいきなり外れたカタチに。
それプラス思ったよりも地下2階のクラブの音が営業に影響して、お客さんからのクレームも絶えなかったから、その環境でリピーターは望めない。
それでもBRASS MONKEYの売上があればある程度マイナスでも軌道に乗るまで支えていけるだろうという甘えがあった。
だがそこで人生最低の悪手を打つことでそれも瓦解することとなる。
オープンから半年ぐらいがたった頃にgroveの料理をしていた店長が昼間からの仕事をしたいと希望してきたから、その要望を飲んでBRASS MONKEYのランチを再開し、全面的に彼に任せ、自分がgroveに入るという選択がそれだった。
ちょうどBRASS MONKEYで16歳からずっと相棒のように働いてくれていたコが結婚して店を辞めるタイミングってのもあったしね。
新しい刺激のある店の方に自分が行きたいという欲もあったと思う。
その方がクラブで知り合った人たちも遊びに来やすいし、人数の多いgroveのスタッフたちもまとめ易いという考えもあり。
その過程でgroveのメニューもイタリア料理に切り替えた。世界の料理を手作りでってコンセプトは流行らなかったし刺さらなかったし継続するほどの愛もなかったから。心機一転。
そのあたりの判断は正しかったとは思うけど、それなら最初からそうしとけよってのが一般的な意見だろう。ホントその通りだと思う。
そして船は沈み始める。
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