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なぜ,写真を撮るのか

こんにちは,村井信智(@MRIPhoto)といいます.
写真をはじめてだいたい3年くらい経ちました.

ある程度撮れるようになってくると,「どうしたら撮れるのか」という"How to"のところから,「なぜ撮るのか」という"Why"のところについて考えたくなります.……ならないですか?いえ,なります,なるんですよ,それがいいに決まってるから,そうなるんです(強引).

ここ数日で考えた僕なりの理由を書いていきますので,よかったらお付き合いください.


「そんなもの撮って,何が楽しいの?」

早速ですが,最近僕が撮った写真をいくつか見ていただきます.

どうでしょうか,あまりインスタ映えしないのは確かですね.とりわけ分かりづらいのを選んだつもりです笑

こういった写真に対して「なんでそんなものを……」という問いが飛んでくるわけで,その問いの答えが,僕が写真を撮る理由になると考えたのです.


写真の本質は記録である

僕は写真に対し,概ねこのスタンスでいます.
写真には色々な在り方があると思います.広告として,アートとして,資料として,エトセトラエトセトラ……

でも,根っこのところでは,写真の本質は記録だと思うのです.
もとより肖像の記録のため開発された背景がありますし,絵画と比べた際の写真が持つ即時性,正確性であったり,写真史の多くを報道写真の歴史が占めていたりする点からこう考えています.



僕は写真に何を記録しているのか?

さて,本題です.前述のような立場に立ちながら,よくわからないと評されがちな写真を通して僕は何を記録しているのか,考えました.

「僕にとって,写真は僕自身の内面性の記録である」
というのがひとまずの結論です.

先ほどの写真に見られるような風景を探すとき,僕は意識的にも無意識的にも,「そのモチーフに自分の思考・感情・感性,そういったものが当てはまり,よく現れているか」ということを考えます.

魅力的に感じる被写体は,いつだって僕の内側を鮮明に描いています.
明るい気分の時はポップなものを探しますし,落ち着いている時は日陰を見つめます.

つまり,自身の内面を,感情を,好奇心を眼前の景色に写し出し,その記録として写真を撮っているというわけです.
一見,外の世界を記録しているように見えて,本当に記録したいのは自分の内面なのです.

僕が写真を撮る理由

ややこしい書き方をしますが,写真の面白さというのはこういった「自分の内側が外の世界に現前する様を,そのイマージュたるものを探し,観察し,そして,構図や色といった写真的要素によって再構成する」というところにあるのだと思いますし,それが楽しくて写真をやっているのだと思います.

もちろん,誰かに見せるための写真を撮ったり,イベントの記録としての写真を撮ったり,過ぎ去っていく一分一秒はもう戻らないものですから,それをピンで留めておくように,そうして忘れることのないように撮ることもあります.
ここに書いたのは,いくつかある写真を撮る理由の中で,もっともパーソナルな理由です.


さて,あなたはなぜ写真を撮りますか?



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