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蜷川実花展に行ってきました

こんにちは,村井信智(@MRIPhoto)です.
熊本市現代美術館にて開催の
蜷川実花展 -虚構と現実の間に-https://www.camk.jp/exhibition/ninagawamika/
に行ってきました.

自分の写真は,ネガフィルム風を目指しているのもあり,割と低彩度,低コントラストな感じで.そういう意味でこの展示では正反対のキャラクターの写真をたくさん見られて,いい刺激でした.

花が,すごい

急に語彙力を失ってしまいました.それほどまでにパンチのある展示だったということです(?).
展示はまず桜から始まりました.ここは撮影可能なスペースだったので,雰囲気わかる感じの写真を.

壁から,天井,床に至るまで360度全部が桜に包まれた空間.その中で展示された写真の,青空の美しさが目を引きます.

そして展示は「永遠の花」へと続きます.

色濃く写された種々の花々が,これでもかと存在を主張し,そうして互いに呼応し高め合っているような印象.花の撮り方も,グラデーションになるよう配置されたものもあれば,コントラストの高いものもあり……多くの発見があるスペースでした.

写真=リアリズムなのか?

リアリズム,写実主義.「真実を写す」と字を書くだけに,写真の性格というのはリアリズムであると主張する人は多いと感じます.
蜷川さんの場合,どうでしょう.

「蜷川実花の『写真のまなざし』は,男たちが中心に築いてきた肖像写真史とは一線を画す.」
配布された資料よりの引用です.膨大とも言えるポートレート群からなる展示,「Portraits of the Time」の説明として書かれた言葉です.

展示されたポートレートの多くはスタジオを,そして役者を華やかに彩った,いわば「演出された」ポートレートです.
素性を記録するための,ドキュメント的な肖像写真に対し,どこまでも飾られたこれらの肖像は,リアリズムに対してのカウンターなのかもしれないな,と感じました.「虚構と現実の間に」,その「虚構」として示されたものとも言えるかもしれません.

さらに言えば,展示された写真は,ギラギラと鮮やかであったり,長い露光時間によりブレたものもあったり……
写実的とは違うアプローチのものが多かったです.

そういった意味でも,「虚構」でありながら,同時に,確実に,その時彼女の前に存在した「現実」でもあるのでしょう.

「非日常」と「日常」を行き来する

ため息が出るほどの色彩,おびただしいほどのポートレートから自分に向けられるまなざし,そういったモチーフに囲まれる空間.
「なんだかすごい空間だね」そんな会話が聞こえてくる,非日常的な空間

対して,「うつくしい日々」や「PLANT A TREE」の展示で取り上げられるものたちはどこまでも日常的です.「Self-image」に表れる生々しいほどの息遣いもまた日常のうちにあるものでしょう.

そうしたギャップを感じつつ場内を進む間に,彼女の世界に呑まれ,虚構と現実の間に溶け込んでゆく……そんな感じ.

長々と書きました.
とてもよかったです,なにはともあれ百聞は一見にしかずといいますし,ぜひ見にいってみてください(投げやり).

余談

僕はこの展示を1時間半ほどかけて回ったのですが,
とりわけ僕の歩みが遅くなっていたのを差し置いても,周りの人々のスピードが早く感じられました.

壁いっぱいに展示された写真を一瞥し,次へ向かうリズム.
インスタグラムなんかで,サムネイルをさらりと眺めるのと同じリズムです.

撮影可能なスペースでは,記念にパシャっとやって一瞥の間も無く立ち去るケースもあり……写真を撮って,自分で見た気になっているのかもしれません.

なんでも文化が消費される時代ですが,僕はそういった姿勢は少しさみしいかな,と思います.説教臭いですね,すみません.

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