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【仕事を効率化したい教員向け】補習、もうやめません?

こんにちは、べいぶです!

今回は、どうにかして仕事の効率を高めたい!と考える先生向けに、「補習、もうやめません?」というテーマでお話していきます。


私が経験してきた学校では、たいてい補習がありました。授業内容に大きく遅れをとっている生徒をピックアップして呼び出し、放課後に補習をするのです。

「補習は生徒を救う大切なもの」

以前の私はそう考えていましたが、本を読んだり経験を重ねていくうちに考え方が変わっていきました。

「補習は生徒をダメにするもの」

今ではこのように考える方が強いです。


実際、「○○は次回の定期試験が不安だな…」と補習に呼び出しても、最終的に全然できるようにならないし、学習に対する姿勢はあまり変わらないことが多いです。


今回は、仕事を効率化するために今すぐやめるべき「補習」について、私が考える3つの理由をお話しします。


みなさんのお役に少しでもお役に立てれば幸いです。


補習をやめるべき理由①:生徒が自立しない

補習があると生徒は自主学習をやめます。また、考えることもやめます。先生の中には、もうお気づきの方もいるかもしれません。


補習があることで、『どうせ補習をやってくれる』『補習に出れば大丈夫』と補習に頼り、安心してしまう生徒が出てきます。

そして自分から学習することをしなくなったり、授業で理解できないところがあっても復習しなくなったりします。

どこができないのか?どうしてできないのか?どうしたらできるようになるのか?を、生徒が考える前に先生が補習という場ですべて解決してくれるため、問題解決力が一向に育ちません。


以前私が勤めていた高校では、赤点を取りそうな生徒は定期試験前には必ず呼び出して補習を行っていました。

その補習には、毎回いる一人の男子生徒がいます。いつも成績が危うく補習に呼ばれるのです。

彼は補習はマジメにやります。それなのにどうして毎回呼ばれるのか、私は考えました。

理由は、与えられたことだけをやっていたからです。テスト前は、家でほとんど勉強をしなかったそうです。補習でやったところのおかげで成績は低空飛行。赤点を取ることはなかったので問題にぶつかったことはないそうです。


補習が原因で問題が表面化せずうやむやになったり、問題になりそうになったとしても先生が補習という助け舟を出して解決してくれる。

これでは生徒の自立は促せません。


補習をやめるべき理由②:モノやサービスの価値がわからなくなる

教員の仕事はなにかというと、

『生徒たちの成長に関わることすべて』

です。(もちろんその倍以上の事務仕事や会議等がありますが…)

先生は授業をしますが、本来その授業の中で完結するべきです。補習というのは、追加の授業であって本来ないはずのものです。

学校の教育はサービス業ではないし、先生が生徒に対してどれだけ施しても先生の賃金は変わりません。

ただ日本の先生たちはとても熱心なので、「生徒のために」精神であれもこれもやってしまいがちです。しかし、先生たちの体は一つしかありませんし、先生たちにもそれぞれ大切にしなければならない時間があります。つまり、限られた時間内で生徒たちを教育する必要があるのです。


「生徒がついていけていないから」という理由で先生が軽々しく補習を行うと、生徒の中にはモノやサービスの価値がわからないまま大人になる人がでてきます。


社会では、モノやサービスに対してそれ相応の対価を支払わなければなりません。

塾などがわかりやすい例ですが、通常の講義とは別に夏休み等に夏期講習などを受ける場合、別途お金を支払います。

しかし、学校の先生たちはモノやサービスの価値を自分たち自身で安くしてしまっています

それが原因で、生徒や保護者の中には、知識を享受することのありがたさに気付かなかったり、「やってもらって当たり前」のように思ったりする人が出てきてしまっているわけです。


日本では、学校の先生がモノやサービスの価値についてしっかり考えていないので、保護者から「補習をやってください!」などの要望があるとつい断れずやってしまうのです。教員の威厳が昔よりも薄れているのは、教員自身が自分たちの価値を安く見積もっていることにも原因があるのだと思います。

それに比べて外国では、自分たちの考えを明確に主張するため、生徒や保護者は学校外で解決策を探すようになるのです。

そもそも、何かを習得しようとするときには本人の取り組みが欠かせません。プロサッカー選手のプレーを何十時間見ようが、本人が練習しないことにはまったくできるようにはならないのです。

どれだけこちらが補習という機会を与えても、生徒本人が『やらなきゃ!』と主体的にならなければ意味がないのです。


日本の先生の中には、「授業についていけない生徒のために補習をやってあげるのは当たり前だ!」という人が多くいるように感じるのですが、その生徒の将来を考えると、安易に補習を設定するのは考え物ではないかと思います。


補習をやめるべき理由③:生徒に苦手意識をつけてしまう

できない生徒が自信を無くす理由をご存知ですか?

正解は、

「苦手だと思っているから」

です。つまり、苦手意識、です。


不安な生徒をピックアップして補習に参加させると、生徒は苦手意識を覚えてさらにできなくなります。


補習に参加させる

『自分はこの科目苦手なんだ…』

『どうせ苦手だからできるようにならないし…』
『どうせテストもできないんだろうな…』

こんなことを考えながら勉強しても楽しくないし、なかなかできるようにはなりません。


以前補習をやっていたときの話です。そのときの補習には、赤点スレスレの生徒~赤点スレスレだけどまだ余裕のある生徒 がいました。

はじめましての生徒が多かったので、私はまずこのように尋ねました。

「この科目に苦手意識はある?」

すると、一人を除いて全員が「苦手」と答えました

ちなみにこの一人はたまたま本人の希望で参加した生徒で、私自身「苦手ではない」と答えたことに驚いていました。(だって全然点数とれてなかったから…)(もちろん驚いたリアクションは封印しました)

その後補習を進めていても、なかなか生徒たちの顔は明るくなりきれませんでした。(例の一人の生徒は、最後まで明るい顔をして取り組んでいました)


つまり、言いたいことは2つ。

①補習に呼んだことで、生徒にわざわざ「苦手意識」をつけてしまった
②「苦手意識」がついてしまったことで、その科目ができなくなる負の悪循環が生まれてしまった


できない生徒を呼んで行う補習は、その生徒にわざわざ苦手意識を植え付ける、または確信させる働きがあるため、安易に行わないほうがいいです。

それよりも、授業前にちょっと気にかけて声をかけるとか、つまづいているところをそれとなく聞き出して助言してあげるようなやり方の方が、生徒が内側から変わっていきます。

「こんなに気にかけてくれるんだから頑張ってみよう」そういう思考に徐々になっていきます。


補習よりも日々の声掛けで生徒の心は動くものです。


最後に

まとめます。

補習をやめるべき理由①:生徒が自立しない
補習をやめるべき理由②:モノやサービスの価値がわからなくなる
補習をやめるべき理由③:生徒に苦手意識をつけてしまう


これまでに多くの生徒に対して補習を行ってきました。だから、補習をすることの良さについてもわかります。

たしかに、その科目についての点数は瞬間的には上がります。しかし、その生徒を長期的に見ていくとき、その生徒の問題解決能力が上がるかというとそうは思いません。


分からないことや質問があれば本人が先生のもとに尋ねに行けばいいのです。これをさせないで先生からなんでも与えてしまうと、生徒が受動人間になってしまったり指示待ち人間になってしまったりします。


補習をやめて、限られた時間の中で結果を出せる仕組みを考えていきませんか?


この記事があなたの役に少しでも立てれば幸いです。

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