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スーパーマリオシリーズの思い出

おはようございます、今回はスーパーマリオの思い出を書きます。まずは、35周年、おめでとうございます!スーパーマリオが35周年という事は、私も35歳という事になるのでなんか嬉しいのです。35周年ってだけのCMを放送するあたりに任天堂さんには感激しています。

スーパーマリオとの出会いは、(勿論記憶にはないが)私がこの世に生を受け、母親と共に自宅に帰った時だろう。1985年9月に発売され、私は11月に誕生している。父親に後から聞いたが「お前が母さんと戻ってきたときマリオしてた。」との事なので、自宅で最初に目に入ったエンターテイメントはマリオのはずだ。ちなみに父親は続けて、それが要因でお前はゲーム好きになった、と謎の持論を発していたが、もしそうならありがとうと言いたい。

3歳になる頃には、スーパーマリオで遊んでいたはずだ。当時マンションに済んでいて、そのマンションには同じ年や少し上の友達がいた。ジョイメカファイトと出会わせてくれたジョイメカ兄さんも、そのマンションにいた。勿論、クリアとか、そんな事はできない。ただ単にマリオを動かしクリボーにやられ、マリオを動かし、クリボーを飛び越えて、ノコノコにやられ、を繰り返していただけだと思う。

ではシリーズの中で一番遊んだゲームは何か。マリオの名がつかずに申し訳ないが、ヨッシーアイランドだ。ヨッシーとの出会いは勿論マリオワールドが最初だが、そのヨッシーを主人公としたアクションゲームだ。このゲームが面白すぎて、3周くらいはしているし、フルコンプリートもしている。上下左右に出せる舌や、卵を反射させて的にやオブジェクトに当てたり、ふんばりジャンプが可能だったりで、うまくなってくると、なんだろう、まるでデビルメイクライをやってるような爽快感があった。

ヨッシーアイランドは、小学生の時の友達から借りて遊んだものだ。その友達もゲームが好きでよく遊んでいた。その子の誕生日になぜか幽遊白書10巻をプレゼントした事を覚えている。(別に幽白を集めていたわけでもないし好きとも聞いてない笑)その友達は、6年生の時に隣の県に転校する事になった。学校のクラスで送別会を行い、盛大に見送った。愉快な人柄で学校でも人気があったのだ。私は済んでいる場所も近かったので、引っ越し当日も他の友達と一緒に見送った。

そして家について気づいた。「ヨッシーアイランドを返していない!」慌ててももう車は行ってしまった。同時に気づいた。「マリオカートを返してもらっていない!!」ヨッシーアイランドと交換したものだ。私は次の日、教えてもらっていた新しい電話番号に連絡し、その旨を説明した。そしてお互い、「確かに!」と笑い合い最後に、「じゃあ1年後くらいに遊びに来てくれ。その時までにそれぞれ完璧にクリアしておこう。」と約束した。

その約束を果たすため、ヨッシーアイランドを頑張ってクリアし、全てのステージを100点にした。その仮定でヨッシーの扱いには随分慣れたしその後のヨッシーシリーズは全てプレイするようになった。

そして一年後、中1の夏休み。私は友達ともに転校先へ遊びに行く事になるのだが、ヨッシーアイランドは家に忘れてきてしまう。その事を、友達の家に到着し、完璧なマリオカートのデータを見るまで忘れていた私なのであった。私は申し訳なさそうにその事を伝えると、「え!忘れたん!完璧にクリアできへんかってんやろー!」と冗談を言って、「じゃあええよ、もうヨッシーアイランドは君の家に置いといて!」と言ってくれた。勿論、マリオカートと交換だ。

ヨッシーアイランドを見ると、私はあの愉快な友人を思い出す。その後は連絡も取っておらず、どういう人生を送っているのかは分からない。Switchのマリオカート8を完璧に仕上げているだろうか。

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