【この先も平凡過ぎる人生が待っている】
酷暑日が続いている。かつて酷暑という言葉はなかった。家や職場にクーラーがあって本当に良かった。僕は夏が一番嫌いな季節だ。極端な暑さは生き物を弱らせ、活動量を低下させ、生命力を奪う。寒い分には服を着込めばいいし、温かいものを飲み食いして体を芯から温めたり、お風呂にゆっくり浸かったり、運動して体を動かしたりして自分なりに工夫や調節が出来る。暑さはそれが出来ない。裸になってもまだ暑いし、冷たいものの飲み食いは内臓に悪いし、風呂に入ればまた汗をかくし、動けば動くほど余計に暑くなる。クーラーの効いた部屋でじっとしてる以外には、暑さはどうする事も出来ない。僕がいつも手入れをしている職場に植えてある花や植物までこの炎天下の中ではすぐに枯れてしまう。
この異常な暑さで何故か思い出したが、そういえば中学か高校生の初めの頃は何も考える余裕がなかった。毎日学校の猛勉強に追われてクタクタで、それ以外頭と体と心を使う時間とエネルギーが残っていなかった。学校の長い1日が終わっても毎日大量の宿題を出され、週末も同様に大量の宿題が待っていて休みの日も休まらなかった。ひょっとすると正社員などで働いている大人より大変な毎日を送っていたと思う。頭ばかりが常にオーバーヒートしていた。やってもやっても次から次へと出て来る、終わりのない"やらなければならない事"に追われていた。
大学に行く事は初めから殆ど決まっていた。予め用意されていた道だった。2000年代半ばだった。それが最善の選択だと誰もが思っていたし、当時それ以外の発想を僕自身も含め誰も持っていなかった。生涯を通してずっとインターナショナル・スクールに通っていたので他の周りのみんなも当たり前の様に海外の大学に留学していたし、自分もそうなる事は分かっていた。側から見て羨ましがる人もいるが、本音では僕は別に家や母国を離れて海外なんか行きたくなかった。言葉の問題は勿論なかったが、異国で孤独との戦いが待っていると思うとやはり気が重くなった。成田空港のゲートを1人で潜る前が一番憂鬱だった。
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先が見えていた。この先も平凡過ぎる人生が待っている。大学に行って、どこかの会社に入って、いつか普通に結婚して子供が出来て、ガムシャラに働いて家族を養い、次第に老いていき、いずれは死ぬ。そんな平凡で退屈な人生がこの先待っている。そう思うと、とてもやる気など起きず、僕はいつもどこか冷めていて、酷い虚無感に襲われた。でも矛盾している様だが、同時にサラリーマンにだけは絶対になりたくないのでならないと心のどこかで決めていたし、僕の場合はなれないとも思っていた。そもそも僕の周りには初めから勤め人が居なかった。
夢や目標など想像したこともなく、ただ出された勉強を半ば強制的にやらされ、考えたくもない数学の問題などに頭を使わされ、テストの為に覚えたくない事も山ほど暗記させられていた。大学に行っても、会社に入っても、同じ様な事が待っているんだろう。自分の意思とは無関係に、"ただやらなければならない事"をひたすらこなし続ける日常がこれからもずっと続く。誰の為に、何の為にこれをやっているんだといつも自問自答する日々が続く。苦痛のあまり、無意識に暑さも寒さも、喜びも、悲しみも、痛みも、何も感じない様にしていた。生きているのか、生かされているのか、生きたいのか、生きなければならないのか、夢を見ているのか、起きているのか、自分は今ここにいるのか、分からなかった。自分は亀の甲羅の中にいて、その中から外の世界を覗いている感覚だった。この時間が早く過ぎてくれと、ただただ願っていた。いつも現状から脱出する事ばかり考えていた。
あれから随分時間が経った。あの時先が見えていた通りにはならなくて本当によかった。あれだけは嫌だった。どうやって生きていけばいいのか、周りを見渡しても依然参考になる様な人や羨ましいと思える人は今だにいない。自分で見つけるしかない。僕自身が納得したいんだ。あの時とは違い、今ではすべての事を自分で選んで、自分の意思でやっている。誰が何と言おうが、例え誰にも理解されなくても、これからも僕は自分の独自の道を切り拓き、好きな様に歩き続けるだけだ。他人にどう思われるかなんて知った事ではないし、人に媚びる生き方なんて真平御免だ。退屈せずに済んでいるし、後悔もない。孤独は何とか耐えたが、退屈は今でも多分耐えられないだろう。
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司馬龍一 (8月14日、2024年)
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