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Vを思う~いわながちゃんのツイートについて~

 こんにちは、こんばんは、おはようございます。何気なく使ってたけど、完全にひまちゃんの挨拶のフレーズですね。やはりV2ABはロマン。F91、クロスボーンシリーズが好きな私にとっては、系譜のVも好きなのですが、無駄にハイスペックな機体っていいですよね。専用機だからバイオセンサー搭載してるハリソン・マディン専用F91とか。
 って、ちょいちょいちょ~い、VはVでも、それはヴィクトリーのVでしょ。茶番はここまで、まずは以下のツイートをご覧ください。

 日曜日の夕方、少しブルーナ時間に激震が走りました。この方は、現在最大規模のバーチャルタレント事務所:にじさんじを運営するいちから株式会社CCO、昨今のVtuber界隈の礎と言っても差し支えはなかろうお方ですが。小生は所属ライバーのリツイートを通して知りました。
 見た瞬間理解できませんでしたね。Vのコンテンツが、Vであることに意味があるのか。え、VはVじゃん。VのコンテンツだからVなのは当たり前じゃね?としか浮かびませんでしたが、ちょっと考えた結果、自分はその他を選びました。理由は簡潔、コンテンツによります。
 
いや、優柔不断甚だしいな。でもこれには割と深い意図がありまして。今回は私が考えるVとは何かについて触れていこうと思います。

解答のワケ① VコンテンツだけどVじゃなくても

 というわけで、まずは先ほどの回答の理由をば。Vコンテンツを摂取するうえで、Vであることはどれくらい重要か。答えはコンテンツによる。まぁそれはそうって感じですけどね。
 昨今のVコンテンツ、とりわけ配信勢で多いのはゲーム配信になるんですかね。浅学で申し訳ないのですが、ホロライブの白上フブキ氏や戌神ころね氏なんかは自分の中で人気ゲーム配信勢ポジでして、ころね氏の配信をちらっと見ることはあるんですけど、「あ、たしかにこりゃ人気出るわ」って感じでしたね。にじさんじだと元ゲーマーズは人気なイメージあるし、鈴原るる氏なんてのもゲーム配信で人気ですよね。去年の暮れに魔界村耐久してクリアしちゃうのは本当にすごいと思った。
 他のコンテンツだと雑談系、ラジオ系。メインがにじさんじ追っかけなんだ申し訳ないのですが、初期はみとらじ、シャプラジ、現行では舞力やすこやか放送、もほすずなど、他は天界司さんのつからじとか、犬山たまき氏の対談配信とか。安定して面白く、バリエーションも豊富、Vの入門としてはかなり入りやすいのではないでしょうか。それこそ文化放送さんでは日曜の昼間は怒涛の展開で、バズっていいじゃん、バババババーチャル、3コミ、だいさんじと連続して放送しています。しゃべるだけで稼げて~なんて話もありましたが、正直彼らの話、めちゃくちゃ面白いですよ。声が武器と言っても過言でもないですもの。Vみるなら何からと問われれば、まぁラジオ聞いとけって感じですね。
 声と言えば、わすれちゃならんのがお歌枠。戌亥とこさんやメリッサ・キンレンカさん、早瀬走ねーちゃんにドーラ様、クレア様、レヴィ・エリファ師匠に出たわね三枝明那氏。メドレー枠だと加賀美社長や轟女史、小夜ちゃんなどなど、挙げだせば切りがないな。楽曲系ならレンチさんとかぴろぱるさんとかあくまのゴート氏とか、音楽に携わる方は多いですね。もともとクリエイター畑が多い界隈でしたが、自分の好みもあって音楽系は欠かせないですね。他にも耳で摂取するならASMR、周防パトラ氏や鈴木勝氏、小野町さんとか。この辺はあんま知らないですが、なんか界隈として強い気がしますね。みんな揃って声が良い。良すぎる。

 と、いったんここで区切りましょう。ここまでが、私が考える別にVじゃなくてもいいじゃんってコンテンツ。なんでかって?自分がほとんど画面をみないからです。

 雑談系、歌枠系は賛同を得られるでしょう。基本画面動かないし、メインコンテンツがそれこそ声なので、画面を見なくても楽しめます。自分はYoutubeプレミア会員なので、通勤中にバックグラウンドに流したりとか良くしてますね。画面を見る必要がない以上、そこに何が映っていようが、バーチャルとリアルに対して差はありません。
 じゃあゲーム実況は?まぁこれは理由が二つありますね。一つ目はさっきと同じ、画面を見ないから。ゲーム実況って、時間が長いんですよね。単発1~2時間枠はほとんどない。3時間程度のものが続きものである感じ。正直そのすべてをきちんと見ているわけでは私はありません。今こうしてキーボードに向かっている裏では、APEX配信を流して銃声を聞きながらやっています。それにゲーム"実況”なんで、ゲームの状態を丁寧にしゃべってくれるのでね。ゲームには興味ないけど、○○さんがやってるし枠開いとくか、くらいのノリで自分は見ています。
 理由そのに。そもそもゲーム画面しかみないから。それはそう。ゲーム実況ならゲーム画面を見ますよね。だから誰がやっていようが関係ない。ゲーム実況に関してはリアルの方のも見るし、その辺は関係なく面白い人は面白いですよね。だからVであることはそんなに重要じゃない。

解答のワケ② バーチャルとリアルの関係

 というのが、VのコンテンツだけどVである必要のないもの、でした。じゃあ次は、VのコンテンツだけどVである必要があるもの、ですね。
 まずは、料理配信、ですね。いや、実写やんけ!ご存じはあちゃまクッキング。いや、実写やんけ!バーチャルじゃないじゃん!ひま食堂。ゴリゴリのリアル!焼き鳥美味しそう!そう、バーチャルじゃないのよ。Vなのに、実写じゃないといけないの。
 他にはでびるさまのパーフェクトクッキング。料理配信なのに、ほとんど画像が出てこない。でび様の料理風景を社氏と鷹宮女史が実況する。いや、料理配信じゃないじゃん。他にもカレー作って食べたり、おでん作って食べたり、タコパしたり。いや、画面止まってるやんけ。
 彼らはVの者。すなわちバーチャルの存在。リアルに触れるのはほぼほぼご法度。だけど彼らもまたリアルに存在するモノ。そりゃあご飯くらい食べますよ。だけど、Vである以上そこには明確に境界線がある。Vである以上リアルは写せない。前者の様にリアル極振りか、後者の様にバーチャル極振りならざるを得ない。先日、京まふにて舞元力一でステーキ早食いなんてのをしましたけど、あれは大変よい試みでしたね。料理を通して決して交わらないリアルとバーチャルがどう錯綜するのか。これが料理配信の醍醐味だと思ってます。あと一緒に作り始めると、絶対にこっちのが完成が早いの。なんとかならんかね。
 というわけで、私の大好きな料理配信。生配信実写ありでこれやったのマジで尊敬する。

 さて、お次のコンテンツはバラエティ系。といってもほぼないですが、こちらは3Dを主軸とした企画ものですね。筆頭はMZMことMonsterZ MATE。面白いこといっぱいやってるぞ。と、思ったら部屋でダラダラしてる動画のが多くね?でもコラボ企画はぬるぬる動くぞ。ロシアンシュークリームとか、ロシアンシュークリームとか。最近だとにじさんじの3D配信では、ニンテンドーSwitchとかWiiなんかでは動きを付けたものもあれば、ツイスターゲーム、卓球、大縄跳び、気配切りなどなど。他には、AbemaTVで放送されていた、あの伝説のにじさんじのくじじゅうじ。バーチャルなのにロケいったり、色んなバラエティ企画に挑戦したり、リアルの芸人さんをバーチャルに召喚したり。あれ、世界初のバーチャルバラエティーだったんですかね。歴史上とても重要な一幕だったかもしれません。その辺のノウハウが今レバガチャダイパンとか、多様な3D配信につながってると思うと、本当に伝説になるかもしれませんがね。まぁこれらの内容は、平たく言ってしまえばTV番組をバーチャルでやってみた、って感じ。バーチャルでどれだけリアルに迫れるか、ってところが注目すべきポイント。これは流石にVがVである必要がありますね。

 一つ目コンテンツはバーチャルとリアルの融合。二つ目はリアルに迫ったバーチャル。では三つ目、最後はこちらになります。
 
 樋口楓、天神子兎音、富士葵、YuNi、ときのそら、AZKi、まりなす、HIMEHINA、花譜、Raindrops、petit fleurs、そんでもって輝夜月......ライブの時間だぁ!!生配信ではなく、音楽ライブの方のね。先に上げた歌枠ではなく、ライブとして舞台上に立つこと。彼らが3Dで舞台上に立つこともあれば、我々がバーチャルとなり彼らの舞台に招かれることも。体験する音楽であるライブはバーチャルと我々が同一の空間に存在する貴重な時間です。そして我々がもっともバーチャルに触れる瞬間でもあります。
 先にVRライブについて触れましょうか。VARKやClusterなどで楽しめますが。これらは我々がバーチャルにお邪魔する瞬間ですね。我々はVRヘッドセットを通して、アバターの視界と同調することでバーチャルを疑似体験できます。目の前に演者が現れるガチ恋演出や、雨や星や木の葉を降らせる演出。ビカビカで縦横無尽、画面上になんでも表示できる照明演出などなど、音圧は現実に劣る分、舞台の構成はリアルより自由度は高いですね。そこはバーチャル空間、一瞬で海の中や雨の湖、果ては月面まで我々を誘ってくれます。昨今では8Kとか、リアルより美しいって意味が分からない程度に画面やそれに付随するものの美しさは現実を超えていきます。現実を超越した虚構。これは間違いなくバーチャルの利です。
 では次。3Dライブはどうなのか。リアルにバーチャルが降り立つ瞬間。同じ空間を分かち合う。それもまた善し。ですが、私が重要だと思うのは、リアルの一部をバーチャルが塗り替えているのです。メタ的かもしれませんが、まぁそこにあるのはおっきな画面です。モニター自体はえらくリアルな存在でして、その枠を通じてバーチャル空間を映しているわけですね。それは広義にはこのパソコンのモニターも同じなのですが、まぁライブの方が凝ってますからね、演出が。いや、その区切られたその空間、そこがまさにバーチャルに塗り替えられているのですが、そこに広がるのはバーチャル空間であり無限の可能性。VRみたいに素敵空間を映し出すのもいいですが、もっとやれることがありますよね。空を飛ぶとか。にじさんじZeppツアーShout In The Rainbow Zeppなんば公演、観てない方は是非とも。分身する花畑チャイカ、空を飛ぶ花畑チャイカ、よみがえる花畑チャイカ。舞台上でできることとして、あんなに自由なことはない。基本的に、舞台ってもの凄く狭いんですよ。スペース的にも、実現できることにも。ロード・エルメロイの事件簿でプロジェクションマッピングを利用した魔術演出には関心しましたが、あっさりと越えますね。舞台上に画面を置くような演出とか、プロジェクターで映すような演出は今まで不通にありましたが、舞台の一画を画面にしなくてはならないし、影を作る以上某かの制約はあるし、スクリーンの手前は横切れないとか。だからさ、舞台全部が画面なんですよ。普通そんなことしません。だって演者がリアルだから。リアルの人間がスクリーンをバックに演技をする?奥行ゼロよ。逆にそういう演出かもしれませんが、前後軸使えないのそうとう難しいと思うよ。そういった、あれがしたな、こんなことしたいなって悩み、まぁあると思うんですけど。それ、できちゃうんですよ。そうバーチャルならね。
 VRにしろ3Dライブにしろ、広がるバーチャル空間には可能性がつまってます。何をやってもいい。なんだってできる。もう理想郷ですよ。舞台上では何をやってもいいとはいいけど、現実には限界がある。物質には限界がある。それを超えていくのがバーチャル。現実を超越するモノ。それがV。VがVである必要。リアルを超えていくこと。それが、私にとってVコンテンツがバーチャルである重要性です。

それは見る側の意見。じゃあ演る側は?

 いわながさんは経営側ですから、視聴者がVをどう考えているか。今後のコンテンツ展開として、どういう需要を見出す必要があるのか。だから投げかけるのは「Vを見る人」へ。
 じゃあさ、「Vを演じるモノ」が思う、Vである必要性って、あるんじゃないですか。ぼくはあると思いますけどね。
 Vに必要なものってなんですか。はい、所謂ガワです。アバターってやつですね。どんな姿でもいい、何頭身でも、2Dでも3Dでも、人でも人外でも。重要なのはただ一つ。自分がなりたいモノになる。

 みなさん、RPGってやりますか。FFとかドラクエとか。自分はGBC版のドラ3を馬鹿みたいにやりましたね。バラモス倒して、アレフガルドいってゾーマ倒して。天界いってしんりゅう倒して、こおりのどうくつ行ってグランドラゴーン倒して。勇者になって大冒険して世界救ってさ。ドラ3は所謂ジョブを選択出来て。初代FFと同じですね。最初に性格診断して、自分で名前つけて冒険して。プレイキャラクターに個性がないからストーリーのドラマ性は下がりますが、没入感はでますよね。
 没入感でいえばTRPGの方が乗り込めますよね。やったことないですけど。自分でプレイヤーシート作って、能力をダイスで決めて、キャラクターになり切ってゲームを進める。Vの配信でもちょくちょくありますが、印象的なのはマダミスなんであんま中身行ってはアレですけど、それは自分でキャラを作るのではなく、ストーリー上演じるキャラクターが決まっていまして、その役になりきった結果自首しちゃうんですよね。この子はきっと罪の自責に耐えられないって。
 RPGでいうと、こんな学説があるんです。MMORPGだったかな、自分でキャラメイクして、みんなで遊ぶようなFFⅩⅣとかマビノギとかそういうの。で、どっちかっていえば暴力的で悪人っぽい人に、勇者っぽい正義の者ってアバターでプレイさせるんですよ。そうすると、自然とプレイングは正義のものっぽくなるの。いつどこで読んだ記事か忘れてしまいましたが、似たようなものに囚人と看守のロールプレイがありますよね。無関係な一般人8人集めて、囚人と看守に分けるんです。看守は指示書通りのロールをするんですけど、だんだん指示書にないロールをするようになるんです。指示書にない横暴な対応を囚人に取り出すわけです。

 自分がなりたいモノになる。自分が嫌いだって人は、まぁ一定数いると思います。身体的コンプレックスなんて最たるものですよね。だからガワを被る。アバターを被る。なりたい自分になる。そして、ガワに引かれて魂が変わるんです。
 先に上げた例。これらはロールに引っ張られて自分が変わってしまった例です。TRPGのプレイングにしろ、犯人役が自首して勝利するわけないじゃないですか。プレイヤーとしての勝利ではなく、キャラクターのロールが上回りましたね。元来が粗悪な人も、勇者のガワを被れば勇者らしい行動をとる。囚人と看守にわかれれば上下関係に応じて対応が変わっていく。ロールを演じていたら、いつのまにか自分がキャラクターになってしまうという、世にも奇妙な物語。
 いろんなことやってみたいとか、今までの自分から変わりたいとか、そういった気持ちを昇華させるのがアバターなんじゃないかなって。使い方違いますけど、Vへの転生ってのはあたらしい自分の始まりとして、表現として適切なんじゃないでしょうか。
 今でも、ガワを被っただけじゃねーかと叩かれることもありますが、そのガワを被るということが、何より重要なのではないか。ただ配信するんじゃない。あたらしい自分へ生まれ変わる。それこそがVの本質なのでは、と常々思っています。

おわりに

 小生も、Vになりたいな、なんて思わないでもないですよ。新しい自分になって、柵捨てて、好きなことして生きていく。そんな生き方もありなんじゃないか。
 いえ、教義に反するんでしませんけど。
 
 でも、肉体からの解脱はしてーなー。バナージ君とか、はくのんとか。脳の楔から精神を解き放ちてぇんだ。そういう意味で、虚構の存在って憧れるんですよね。まぁ彼らは虚構でもフィクションでもない、バーチャルだけどリアル、リアルだけどバーチャルの存在なんですけど。
 いわながちゃんのツイートを発端に、今後のVの行方ってのを考える遊びも面白いかもしれませんね。まぁ最近感じるのは、沼には頭の先まで浸かってますけど、もともとドライな付き合いしかしない人間なんで、そんなもんかって感じですね。

 それでは今宵はこの辺で。ネタが新鮮なうちに書いておきたかったんで。またどこか、ネットの海でお会いしましょう。

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