渡米したゴジラが許せない問題

面白いのは認めるんですけどね。
おはようからおやすみまで、久しぶりに映画の話かと思いきや、宗教の話です。私が崇める神の一柱に「ゴジラ」様がいまして、やっとの公開でウキウキで「ゴジラVSコング」を見に行ったわけなんですよ。
いやぁ、思った通り、刺さりませんでしたね。

と、いうのも、私、ギャレゴジこと、2014年公開の「GODZILLA ゴジラ」のアンチでして。続くKOMこと「ゴジラ キングオブモンスターズ」と今作を経て、正式にモンスターバースアンチを名乗ろうかと思いまして。
わざわざアンチ名乗るとか、かまってちゃんかよとも思うのですが、これは愛の裏返しという事で。恋しさ余って憎さ100倍、グラハム・エーカー曰く、これは「行き過ぎた信仰」なのです。

なので、これは宗教の話であり、これから私の経典とモンスターバースのゴジラが如何に乖離し、このゴジラは誤った神であるかを主張していく、日曜の駅前とかによくいるあれなので、まぁ個人の感想とだけ、心に留めておいてください。あくまでこれは、行き過ぎたゴジラへの信仰の末路なので。
ではでは。

怪獣のいない「GODZILLA ゴジラ」

 まずは、私が一発でハリウッド版を嫌いになった作品から。生まれて初めて劇場でスマホを取り出しかけた作品ですね。口直しにみたアナ雪がそこそこに面白かったのをよく覚えています。
 この「GODZILLA ゴジラ」、製作が決まった当初は私もチンパンジーの如く、手を叩いて喜んだものです。というのも、製作会社のレジェンダリーピクチャーズは「パシフィック・リム」で見事に特撮映画をリメイクしてくれたので、そのレジェンダリーがゴジラを作ったら、とんでもないものができてしまうのではないかと。ゴジラ作品自体、2004年の「ゴジラ FINAL WARS」を最後に音沙汰なかったので、幼少期に平成VSシリーズのビデオを狂うように見ていた私としては、久しぶりに大画面で暴れまわるゴジラが見れると、期待を大にしていました。が、それがよくなかったのでしょう。高すぎる期待と、10年の内に蓄積したゴジラへの拗れた思いが、この作品を台無しにしてしまったのです。
 まずもって、もっと戦え。ねぇゴジラ君、君は何を壊して、何と闘ったんだい。およそ一時間、怪獣がその姿を見せるまで、およそ一時間。しかも、最初に出てきたのは見たこともないよくわからん何か。は?誰やねんお前?写真と違うどころか、完全に別個体じゃん。
 いや、まて。定石を打ち破ってこその新作だ。あとからゴジラが出てきて、壮大なファイトをするに決まってもっと戦えやボケ!!!!マナウケア噴火ぐらい見せてみろや!
 
一時間、よくわからん家族の話とかされて、怪獣の痕跡を碌に見ることもなく、まった挙句のこの仕打ち。怪獣VS怪獣も怪獣VS人間も、なし。これは何映画なんだい?この瞬間興味ゼロになりましたね。Twitter開きかけたのはこの瞬間です。僕はね、ゴジラが見たいんだ。人間の文明をものともしない怪獣王の姿が見たかったんだその怪獣王と争い、同等に畏怖されるライバル怪獣が見たかったんだ。そんな二つの災害に阻まれつつも、英知の炎を持ってい対抗する小さき勇者が見たかったんだ。
 すべてなし。なにもなし。その後もなし。サンフランシスコの決戦が見どころだったのでしょうか、あれのどこに脅威を感じろと?ハラハラドキドキポイントはどこ?終始安っぽい取って付けのヒューマンドラマを見せつけられ、ゴジラは対して暴れない。なんかでっかいムートーにボコられて、ちょっと休んで隙をついて熱線吐いて終わり。なんなんコレ?
 
 比較するのも失礼なのですが、先に挙げた「パシフィック・リム」、イェーガーという巨大ロボットが出てきて、怪獣と戦うんですが、原子炉パワーで最強パンチだ! 三つ子が操る驚異の三本腕マシン! 最新精鋭の高性能パワーだ! ベテラン最強エース搭乗!、と、実に安易で魅力的な機体ばかりでした。相対する怪獣も、電磁パルスで操作系を無効にしたり、飛行能力となんでも溶かす酸をはいてきたり、単純にでかくて強いやつだったり、ヒーローとヴィランのわかりやすいキャラクターを、最新のCG技術をもって動かすという、全力で描いた子供の夢といった感じで、とても素晴らしい作品でした。随所にみられる日本の特撮リスペクトも相まって、ギレルモ・デル・トロ監督の愛をひしひしと感じました。
 今作のゴジラには、そのわかりやすい強さがない。別に際立った能力がなくてもいいんです。シン・ゴジラに出てきた蒲田くんこと、ゴジラ第二形態は、それこそ図体がでかいだけでした。それでも、トンネルを崩落させ、上陸時には津波を起こし、自動車を踏み倒しなが歩き、マンションを倒壊させ、挙句の果てに放射線を振りまく。何もしなくても、ただ歩くだけで災厄をまき散らす、まさしく畏怖の対象でした。そういう存在だと巧みに映しました。
 ギャレゴジはいったい何を映した。ゴジラのどんな側面を映した?水爆が生んだ哀しき獣か、世界を舞台にプロレスを繰り広げるヒーローか、果ては災害としての象徴か。たとえ地球の支配者だったとして、そんな映し方をしただろうか。あの映像をみて、ゴジラに恐怖を感じるだろうか。 
 私は何も感じなかった。あのゴジラが何を映していたのか、なにもわかってやれなかった。まぁ、何も発してないから当然なんですけどね。

 
という事でギャレゴジよ、貴様は怪獣にありながら、怪獣としての姿を描かれなかった。おまえはなんかでっかいだけの、ただのオッサンだ。貴様がゴジラを名乗る資格、ナシ。

ライン越えの「KOM」

 お次はキングオブモンスターズ。ギャレゴジの件があったので、これは期待せずに、最初からミソッカスに叩いてやろうという意気込みがあったので、割と面白く感じてしまいました。というか、うん、普通に面白かった
 いやいやいや、お前アンチじゃないんかい!?いえいえいえ、アンチといえど、面白いものは面白いと認めましょう。その上で、重箱の隅をつつくような批判をしてこそのアンチです。では、まずは褒めるべきところについて。

 今作はタイトルのモンスター"ズ"の通り、ゴジラファミリーともいえる怪獣たち「モスラ」「ラドン」「キングギドラ」が登場します。この三体を見事に現代版にリメイクしてくれた。素晴らしいですね。

 空の王者ことラドンは、火山の噴火と共に現れ飛翔による突風は街を壊し飛行する姿は戦闘機をものともしない。制空権は完全にラドンのもの。人間の力をものともしないその姿は、如何にも「強い怪獣の姿」そのものでした。ぶっちゃけラドンって印象薄いのよね。そうだそうだと言っている昭和ラドンか、ゴジラにパワーを与えたVSシリーズの印象しかなくて、そんなに強そうに見えないんですよ。だって只のでっかい翼竜だものそのでっかい部分をきちんとスケールアップして描いた、先述の蒲田くんと同じです。しっかりと大きな翼竜の恐怖を見せてくれましたね。

 続いてはモスラ既存の作品では人間の味方というか、小美人というコントロール役がいるので、怪獣というより対ゴジラの守護神みたいな存在でした。そして体の良いやられ役でした。誰よりも早くゴジラに対抗し、幼虫形態では糸を吐いて足止め、成虫形態では翼チョップを決めて、焼かれて、鱗粉まいて死亡。のパターンが多いですかね。これも要はでっかいだけの蛾なので、所詮は虫です。グモンガとかエビラとか、でかいだけシリーズ。同じ虫でもメガギラスとか強そうなのにね。
 それが、今作は違う。このモスラは戦える。幼虫形態は今までのチョココロネみたいな丸っとした芋虫でわなく、古代モスラみたいな角ばったフォルムをした、エイリアンとかそっち系のワームっぽいデザインに。敵対姿勢を見せた研究員を糸で吹き飛ばし、人類に対して「脅威だぞ!」と見せつけてくれましたね。続く成虫形態は滝の中から雄大な両翼を広げながら羽化して登場。鋭くとがった四肢は甲虫の様に雄々しく、モフモフしたマスコット的なデザインから「怪獣」としての強さに寄せ、今までの弱いイメージを払拭させてくれましたね。加えてその実力も備えており、蛾なんて武器ねーじゃんと思いきや、我は蛾に非ず、「巨大飛行型昆虫怪獣」ならば蜂の如く針を有してもいいですよね、というわけでラドン君をブスリ。巨大な蛾、から怪獣にランクアップした姿を見せてくれました。これには私もモスラかっけぇと鎧モスラ以来の感情を得ましたね。

 そしてお待ちかね、王の名を冠し、南極に封印されし魔獣、ゴジラのライバルと言えばこのお方「キングギドラ」数多くの怪獣たちのなかでもモンスター・ゼロと呼ばれ、一目置かれる存在。それもそのはず、多くの怪獣たちが地球産で、その覇権をめぐって争う中、キングギドラは宇宙怪獣であり、地球を襲う侵略者なのですから。
 天候を支配し、稲妻を吐くその姿はまさしく王者。文句なしに最強の存在でした。キングギドラって、三本の首と巨大な翼を支えるためか、あるいは着ぐるみとして構造上、胴体が太くて足も短い、割と不格好な姿なんですよね。おまけに二本足のボッ立ちなので、飛んでる姿は翼があるんでそんなに感じないんですけど、陸に立っていて正面からみると、すごい太っているんです。ヤマタノオロチベースなんで、体が太いのはそのせいなんですかね。それが、今回のギドラは体も細く、足は恐竜のような筋肉質で膝の存在を感じる、「三つ首の竜」としてかなりカッコよくなりました。従来の強さもそのまま、圧倒的ラスボスとして立ちふさがってくれました。このカッコよさ+強さを圧倒することで、ゴジラの怪獣王としての強さと、宇宙怪獣の侵略から地球を守ったというヒーロー感も湧いてくるのです。

 キングオブモンスターズは怪獣映画としてかなり出来がいい。ヒューマンドラマも五月蠅すぎることなく薄すぎることもなく、打倒ギドラの為に上手く活用されましたね。
 ではでは、そんな文句の付け所のなさそうな今作、難癖を付けてあげましょうそれはね、テメーは「オキシジェン・デストロイヤー」を持ち出した事だ。

 ゴジラを多少知っている方ならご存じかとは思いますが「オキシジェン・デストロイヤー」とは1954年公開の初代「ゴジラ」の劇中にてゴジラを倒した化学兵器です。その名の通り、「酸素を破壊する」ものであり、なんかよくわからないけど水中のものを溶かしつくしてしまいます。ゴジラ、とは核兵器という人間のエゴが生み出した獣であり、その罪を清算するために、再び「オキシジェン・デストロイヤー」というエゴで上書きするという、人間の愚かさの象徴です。また、「オキシジェン・デストロイヤー」は原子力と同じく科学としての可能性の他に、「第二のゴジラ」を生み出す危険性のあるものです。発明者である芹沢博士はそのことを十二分に知っていたため、オキシジェン・デストロイヤーを使用するのは、ゴジラを倒すための一度きりとし、研究資料はすべて焼却し、唯一製造方法をする芹沢博士自身はゴジラと共に東京湾に消えました。
 ゴジラという核兵器に対するアンチテーゼ、その過ちを繰り返さないためにも、芹沢博士は苦渋の決断をもって「オキシジェン・デストロイヤー」の使用に踏み切りました。それを、あんな、使い捨ての爆弾みたいに、使うアホがいるか!!劇場で初めて席を立ち声を挙げるところでしたね。

 私は怪獣以外にもロボットも好きでしてね、なかでも「∀ガンダム」が好きなんです。主人公が乗るターンエーは、本来地球の文明を滅ぼすために目覚めた機械ですが、それを扱う人間の意志によって、平和のためにいくらでも使うことはできる。その結果、牛を運んだり、川で洗濯をしたりするのですが。要は「科学は扱い方次第」という思いが強くてですね、私も工学系の出身なので、科学技術に対する思い入れが結構激しかったりするのです。ですから、核兵器のような抑止力をどう扱うか、という点は結構慎重でして、そういう意味で核の落とし子であるゴジラへの思い入れも激しいのですが、だからこそ「オキシジェン・デストロイヤー」をただの兵器として軽率に扱ったことが許せないのです。更に、これがただの核兵器ならよかったものの、よりよって、芹沢博士という孤高の天才が、その身を犠牲に、後の平和を願って使用したものをあんな形で使い捨てたのです。メタで考えれば、後の伏線なんだろうなとは思いますが、それでも許せない。科学が抱える危険性、ゴジラが象徴する人間のエゴたるそれを、あんなに蔑ろにするなんて。こればっかりは作品としての面白さ以上に、人の矜持として認めるわけにはいけません。

 という訳でKOMよ。貴様はエンタメを優先するあまり、ゴジラの在り方を否定した。そんな貴様が、ゴジラであるわけがなかろう。

ネタ切れ感満載の「ゴジラVSコング」

 さぁ、やっと最新作の話です。ついに髑髏島の守護神ことコングと破壊神ゴジラの大激闘が幕開けです。前作のKOMはエンタメ面では満足できたので、まぁそこだけ楽しんで、残りは全力で叩きにいくぞ!と意気揚々と劇場へ向かったのですが、残念なことに、叩くホコリすら残っていませんでしたね
 いやね、悪くはないゴジラVSコング、海上の大激闘! 潜入、謎の地底世界!コング族の謎に迫る!! メカゴジラ暴走!ゴジラとコングの共闘だ!うん、わかりやすい。更に地底世界という新たな広がりを見せ、SF的考察の知見を与えてくれた。
 これが「コングVSゴジラ」なら素晴らしいものであったろう。これからコング族にまつわる地底世界の謎だったり、そこに潜むゴジラ以外の脅威と戦う展開も見せられただろう。だが、これはゴジラ映画「"ゴジラ"VSコング」なのだ。この作品、「ゴジラ」としての広がり方は見せられたか?答えはノーだ。

 今回、ゴジラ君何した?APEX社にお散歩。コングにちょっかいかけて縄張り争い。下手に知性を見せつけ、化け物としての格が落ちる。なにしてん?KOMのバーニングパワーどうしたん?主役の自覚ないなら帰っていいよ
 今作の主役は間違いなくコングでしたね。手話でコミュニケーションができるという高い知性を見せることで、怪獣ではなく一生命体としての立場を得て、地底世界の文明を築いた実績も獲得した。ゴジラの背ビレをつかった斧、あれがおそらく統治者としての証なんでしょうね。「我は彼の怪獣王を凌駕する力を持つ」その証を誇示し、怪獣の世界たる地底を治めていた。それがおそらく他種族からの奇襲を受け、意図的なのか運がよかったのか、地表に弾かれた髑髏島のコングが、揚々と王国へと帰還した訳です。
 故に、コングの映画としては100点満点なんじゃないですか。最後は共闘の末にゴジラともいい感じに住み分けできそうですし、故郷にも戻り、家族とも別れず、いいことずくめでしたね。一方そのころゴジラ君、大した活躍もしてないのに「コング」「メカゴジラ」「人類の反撃」という対戦カードを三枚も失ってしまいました。これ、今後の話はどうやって広げるんですかね。
 まぁ「コング」との対決は今回のメインなので、これを繰り広げるのは順当でしたね。ここまでは良い。しかし、何故か「メカゴジラ」が出てきてしまった。まぁよくあるVS詐欺で、共闘の為の共通の敵が現れるのはよくあること。それがまさか「メカゴジラ」とはね。まさかのビッグネームに喜ぶファンも居たかもしれませんが、私はこれで「ゴジラVSメカゴジラ」というタイトルが消えた線のが悲しいですね。メカゴジラほどのビッグネームなら一作品ぐらい引っ張れただろうに、なんだか勿体ない出し方をした気がします。そして「人類の反撃」について、「ゴジラに狂わされた芹沢博士の息子」の様な復讐者や、「キングギドラの頭蓋骨」の様なゴジラに敵対できる人外のリソースを消費してしまったこと。そして何より、「ゴジラを打倒する」という意思を否定してしまったこと。これがでかい。人間はゴジラと敵対する理由を否定してしまったのです。
 私は平成VSシリーズが好きでして、このシリーズには人類が対ゴジラ様に結成したGフォースという特殊部隊が存在します。スーパーXシリーズなどの地球防衛隊感あふれるマシンや、未来からきたメカキングギドラの技術を応用し開発された、メカゴジラ、モゲラなどのリメイクマシーンなど、このシリーズでは人類が明確にゴジラを打倒するために行動をしています。昭和シリーズは初期作品を除き、「ゴジラは子供の味方、地球の味方」の様に扱う風潮にあり、そのためX星人とかブラックホール星人の様な宇宙からの侵略者や、怪獣同士のいさかいなど、明確に人類と敵対するようなことが多かったと思います。対して平成シリーズはゴジラを人類の敵として扱い、人類VSゴジラの構造が主でした
 私は平成シリーズに親しんでおり、水爆の被害者たるゴジラに引導を渡す、という意味でもゴジラとは積極的に戦う意思がありますというか、ゴジラとは乗り越えるべき悪である、という認識でいますね。そういった訳で、モンスターバースではゴジラを打倒する「コング」「メカゴジラ」という対戦者を失い、ゴジラと人間が戦う意義すらも失ってしまったのです。今後ゴジラの敵役として誰が登場するのでしょうかね。ガイガンの様な宇宙からの侵略者か、ムートーのようなオリジナル怪獣が出るんですかね。この点の切り札として、「デストロイア」の伏線をKOMで敷いたんじゃないかと勘繰っているのですが、物語としてどういった広がり方をみせるのか。でも今回ゴジラ側の物語が何も進まなかったので、以降はなんかちょっかいかけてくる舞台装置になり果ててしまうのですかね。

 という訳でゴジラVSコングよ、主役の自覚と好敵手を失ったゴジラに、自らの罪に頭を垂れた人類よ、お前の未来は、死だ

おわりに

 とりあえず、間違いがないように再三言いますが、私はゴジラが大好きで、故に拗らせすぎてしまった偏屈人間です今回挙げた三作品は普通に面白いです。ですが、好きが教義へと昇華した私には、神に仕える使徒として、これを否定する義務があるのです。故にアンチを名乗り、劇場に足を運び、ネット配信でこれをみながらTwitterとかでケチをつけるのです。
 私は、私の中のゴジラを守るためにこうして声を挙げているだけなので、小五月蠅いカトンボと同等なのです。じゃあ黙っとけや耳元に届くクソデカ声で飛ぶなや、と思われるでしょうが、呼吸音がクソデカなので許してくださいと言わんばかりなのです。

 普段ね、Vとか追ってるとアンチしてるやつらなんやねんとは思いますが、きっと彼らもこんな気持ちなのでしょう。相対する者の視点を教えてくれたゴジラには感謝ですね。それでもアンチもギャレゴジも許しませんけどね。
 まぁなんだかんだいって、次回作のモンスターバースも観に行きます。何やるか知らないけど、きっと観にいきます。それで評論家気取りで、早口でまくし立てるのでしょう。これだからオタク君はダメなんだからと思いますが、ま、愛さえあれば、問題ないよね

 という訳で今回はこの辺で。それではみなさまごきげんよう。

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