謝罪というパフォーマンス

先日、このようなニュースを耳にした。
93歳の元ナチス看守に有罪判決 強制収容所での殺人ほう助の罪

流石の謝罪大国ドイツ様である。

先に述べておくが、私にホロコーストを肯定する考えはないと思っている。
必要のない差別は悪であると思うし迫害や加害も悪だと思っている。

この記事を読んだ方はどう思ったのだろうか。
有罪にした判事を褒め称えるのか、それとも貶し罵倒するのか。
はたまたドイツという国を羨望の目で見るのか、異常なものに出逢ったときの目で見るのだろうか。

私はと言うと、目も当てられなかった。
とても恐ろしくて仕方がなかった。


ホロコーストは悪。それは解っている。がこれはあまりにも酷いではないか。

当時、被告は17.8歳だった。
あの戦時という狂乱の世の中で二十歳にも満たない者に何ができただろうか。
[命を懸けて]収監者の逃走を手助けすれば良かったのだろうか。
[命を懸けて]上官に意見すれば良かったのだろうか。
[命を懸けて]祖国に戦いを挑めば良かったのだろうか。

そして驚くべきことに被告は既に裁かれているではないか。
ここが日本で本当に良かったと染々思う。

当時17.8歳であればWW1後の不況時に生まれ、ナチズムに蝕まれ、殺人が正当化されていき、気がつけば犯罪者。その罪を背負いながら生き続ける。

時は流れ2020年。
消えることのない罪を再び抉り出し、世に晒しあげられ、より重い罪の烙印を押し付けられる。
ここは地獄か。

何故このようなことが起こるのか。

ドイツがワルイコトをしたから?
なら唯一にして、それでいて2つもの原子爆弾を落としたアメリカは裁かれない。
何故、イギリスの、アメリカの、ドイツの民間人への空爆の謝罪は行わない。

結局のところ、これは国を代表しての生け贄でしかないのだろう。
戦時中のドイツにおける悪逆無道、残忍酷薄な行為を恥じ、それらを踏み台にして成長してきた敗戦国としてのアピールなのであり、謝罪という張りぼてのパフォーマンスでしかない。
そのパフォーマンスは出涸らしで元あった大きさの謝意の味はしないだろう。

まとめとして私は謝意にそぐわない謝罪というものの価値は無いと断言しこの投稿を終了する。

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