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syrup16g

明けましておめでとうございます。本年もマイペースにやっていこうと思います故、何卒よろしくお願いします。

さて、新年一発目の投稿はずっと思いの丈を書こうと腕まくりし続けていたバンドについて書こう。腕まくりしすぎてもうノースリーブ状態だ。これ以上袖がなくなる前に書かなくちゃな!(袖の上げすぎで腕も鬱血してるしな!)

syrup16g、ずっとずっと心の底にいてくれてる、大好きなバンドのことだ。


syrup16gとの出会いは友達からの紹介だった。「なんか好きそう」と、およそ10年前なんの気無しに勧めてくれた友達には今もずっと感謝している。
余談だけどこの友達も音楽をやっていて、当時から今もずっと破天荒で自由人で音楽に愛され続けてる人だ。いつか彼のこともここで勝手に語ってやろうかなと思っている。

友達が最初に教えてくれたのは「生活」という一曲だった。動画を再生しながらポツポツと、このバンドのエピソードを聞かせてくれたことを思い出す。
ボーカルの五十嵐さんの歌声は、なんていうかちょっと危うい。つついたらグラつきそうな、でもグラついたっていいんです別にどうでもって笑ってそうな、そんな歌い方をする。
当時、歌うことを活動の主にしていた私には、五十嵐さんの声は「危なっかしくない?」という印象を抱かせた。
それで、解明したくなる。もう一回聴いて精査したくなる。なんて偉そうなリスナーだ。嫌なタイプだな。
歌詞がたまに聴き取れないなとか、なんでこんな綱渡りみたいな音の取り方なんだろうとか、ああ気になる。もう一回聴こう、もう一回聴いてから確かめようって、何度も繰り返しリピート再生をした。

で、気付いたらもう「大好き」の渦中だった。「かっこいい」のド真ん中だったんだ。

手品みたいだった。私は確かに解明がしたかっただけの筈なのに、いつの間にか五十嵐さんの声が純粋に聴きたいと思うようになってたんだ。

歌を好きになる時、私は最後の決定打が歌詞のフレーズになることが多い。syrup16gもそれだった。平均台の上をグラグラ、だけどちょっとかったるそうに歩くような歌声は、唯一無二の歌詞を唯一無二の声でいつも歌ってる。

君に存在価値はあるか 
そしてその根拠とはなんだ
涙流してりゃ悲しいか 
心なんて一生不安さ

君の動体視力はどうだ 
そしてその目に何を見てるんだ
誰が何言ったって気にすんな 
心なんて一生不安さ

これは「生活」の中の歌詞の抜粋。
一番のAメロで、切り捨て御免よろしく見放される。存在価値に対して「その根拠は?」なんて聞かれて、泣いてりゃ世話ねえよなと笑われる。
なのに、なのに、二番のAメロで「誰が何言ったって気にすんな」って言ってくれる。

五十嵐さんの歌詞は、いつもそんな感じ。
必要以上に寄り添ってなんかくれない。わかるよなんて言って肩を抱いてくれない。無条件に許してなんかもくれないし、なんのフォローも弁解もしてくれない。

だからこそ、すごく本当だと思えた。すごくすごく思えたんだ。本当に感じたことしか言わないんだ。心の底からそう思えるから、二番の「誰が何言ったって気にすんな」ってフレーズに、「大丈夫だよ」「わかってるよ」「つらかったね」「がんばろうね」「味方だよ」なんて言葉以上の、真実を感じずにはいられないんだ。
何度も聴いていたら、あれ?おかしい。いつの間にか自分の形をしっかり見つめてて、自分を許せそうな気持ちになってくる。
「涙流してりゃ悲しいか」と伏せた目で投げやりに歌われて、だけど伏せられたその目の奥に、なんだかしみったれたあったかいものがあるような気がしてくる。
おかしい、おかしいぞ。なんだこれ。どうしよう好きだ、大好きだな。

…と、そんな具合で結局メッチャ好きになってしまって、それからは、当時リリースされていたアルバムを一枚ずつゆっくり、数年の時間をかけて買い揃えていくことになった。

五十嵐さんの作る歌はすっごく覚えにくくて、浸透するまでに膨大な時間がかかった。未だに曲名だけ見ても「どんな歌だっけ…」というのがポツポツあるし、イントロとAメロまで聴いて「◯◯だ!」と思ってたらサビで違う歌だって分かるみたいな現象もある。
こんなに好きでこんなに聴いてるのにおかしいなあ。10年だぞ?うーん手品か??

私はあんまり、自分の好きなものを誰かと共有したいとか共感し合いたいという気持ちがない。
好きな映画や漫画や小説や音楽のことを「どこがどう良くて最高でたまらないんだよ」と一方的に語ることはできても、双方向から語り合って分かち合うことが、すごくすごく下手クソだ。
そしてそういう自分を、寂しい奴だなとたまに思ったりする。ひどい時は「つまんねえ奴だな」とか「可哀想な奴だな」と感じることだって。
でもsyrupに没頭している時は、そういう自分のことを恥じないでいられる。いいじゃんと思えたりする。
syrupの歌に「一人だって別にいいんだよ」と、はっきり言ってくれる希望の歌はない。だけど伝わるんだ。なんだか分かる気がするんだ。
「ひとりぼっちって虚しいよな」「たまに馬鹿みたいって思うよな」「どうしようもねえよな」「どうにもならないんだよな」「どうにもなんないまま生きてんだよな」そんな誰かの独り言が、決してリスナーに届けたいメッセージとかではなくて、一人ぼっちと一人ぼっちが歩み寄る為の架け橋みたいな優しさなんかじゃなくて、一人ぼっちを知ってるどっかの誰かの弱音が、本音が、丸裸の気持ちが、心の一番奥の方にそっと響くような気がするんだ。

だから、こんなにも好き。こんなにもずっと好きだ。

別に誰かの為に歌われた歌じゃない。伝えなきゃいけないから作った歌じゃない。だから気負って聴かなくていい。寄り添おうとしなくていい。私はひとりぼっちのつまんねえ奴の心のまんまで、syrupの歌をいつだって聴いていいのだ。

孤独を隅々まで知ってる人の言葉は、絶対、いつだって、そのままその場にあって動かない。ただ転がっている。
こちらに向かって投げられることはない。だからキャッチしなくていい。ミットを構えなくていい。好きなタイミングで拾いに行けるんだ。まるで道端に落ちてる石ころみたい。


で、ここからは本当に長いどうでもいいひとりごとなので、読み飛ばしてもらっても大丈夫だ。

好きな楽曲がありすぎて書ききれないんだけど、無理やりマイTOP5を今の気持ちで決めてみた。
それぞれの特に好きなところを備忘録として書き出しておきます。


手首
「くだらないこと言ってないで早く働けよ無駄にいいもん食わされて腹出てるぜ」
出だしがこれだ。なんてこった。自分の弛んだ腹を思わずつまんでしまった。
サビの手前まで怒涛のように暴言みたいなことを吐いといて、なんだよもうどうすりゃいいんだとうずくまりそうになった途端、サビで「そんなんねぇ言われたって手首切る気になれないなあ」って、おんなじ人が歌う。
世の中の歌を網羅なんて全然してない視野の狭い一個人の本音だけど、こんな歌生まれて初めて。そう思った。
私は手首を切ったことはない。切ろうと思ったこともない。だけど「手首切る気になれないなあ」というフレーズを聴いて生まれて初めて「手首を切るってきっとこういう気持ちなんだ」って、なんだかちょっと知った気がした。


sonic disorder
「人は一人 逃れようもなく だから先生クスリをもっとくれよ」
このフレーズが泣きたくなっちゃうくらい好き。どうしようもない時、神様みたいな絶対的存在に縋りたくなることがあって、いっそそんな存在に「それはダメ」「これはヨシ」って言い切ってほしいと思うことがある。もう考えるのが面倒で決めることが怖くて、だから全部決めちゃってくれよって。
絶対的存在を「神様」と表現する作品はこの世にたくさんあるけど「先生」って表現してるのはこの歌以外知らない。
「だから神様救いをくれよ」じゃなくて「だから先生クスリをくれよ」って書くところが、五十嵐さんの最高にかっこいいところだと思う。かっこいいなぁ、クールだ、唯一無二だ、最高だ。


天才
「天才だった頃の俺にまた連れてって」で始まるんだけど、天才とか思ってるくせに他力本願でどうしようもねえ哀しさが、こんな短いこんな一行で表現されてしまっている。
「チェインソー冴えまくる刃 12時間使用でも平気さ 謙遜してる暇ないや なんか悟ってそうなことを言え」
これはサビ。私は自分のことをどっかでちょっと「天才では?」みたいに思う節があって、だけど誠実に生きることができないクソ野郎と思うこともあって、だから「なんか悟ってそうなことを言え」がどんな気持ちか、すごくよく分かる。
「なんかそれっぽいこと言っとこう」っていう馬鹿を丸出しにした後の、消えたい無くなりたいという猛烈な自己嫌悪、地獄の境地もよく知ってる。だからこの歌の主人公が大好き。この歌があるから私も、ジャンケンの後出しみたいにして「私もそういうとこある」って言えるんだと思う。
曲の終盤の「おい!」がカッコ良すぎるからカッコいいもの好きな人にぜひ聴いてほしい。


落堕
「いつ髪切んだ」という歌詞を、最初「いつか見切んだ」だと思ってた。五十嵐さんの歌詞はこういう言葉遊びみたいなものも多い。
「解り切ったようなこと言って 一人悦に入ってたりして」「人間嫌いのフリして 本当に嫌いだったりして」
この辺りの歌詞も本当に好き。分かるし自分が恥ずかしいし全部言ってくれる五十嵐さんの歌詞がやっぱり好きでたまらないし。


明日を落としても
「無理して生きてることもない」と何度も繰り返して、最後の最後に「do you wanna die」って言う。
「yes」と答える人も「no」と答える人もいるだろう。どっちのリスナーも半々くらいいそうなのがsyrupのすごいところだ。ひとりごとだからこそ、聴く人を選んでない感じがする。
私はちなみに「no」だ。美味しいご飯をこれからもいっぱい食べたいし、未完結の漫画を最後まで読みたいし、好きな小説家の本を全読破したい。
まだまだやりたいことがある。
明日を落として誰も拾ってくれなくても、まあ仕方ないよな、自分で拾おう。まるで道端に落ちてる石ころみたいに。



最後に。
これからもずっと好きだ。syrup16gのこと。
とある場所で生きてるひとりぼっちのつまんねぇ奴は、あなた達のおかげで石拾いが少しだけ、上手くなったよ。

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