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【オピニオン】浮気をしてはいけない理由

浮気は男の憧れですよね!なんて言ったら大変なことになりますが、実際種の本能として、たくさんの子孫を残すために、または様々な可能性を求めていろいろな人と夜のお付き合いをしたくなるということはあります。

特に、快楽物質のドーパミンの分泌がいい人や依存症傾向の人にとって、浮気と不倫は切っても切り離せないもののようです。
実際、超スーパースポーツマンや芸能人、優秀な起業家には愛人は切り離せないような気がしています。

しかし、快楽の罠に彼ら彼女らは落ちてしまいます。当然スキャンダルや性的暴行容疑で逮捕ということもあるのですが、彼らは「罪悪感や後悔」によって心が病んでいるのです。

例えば、愛人が10人いる起業家がいたとします。資産もめちゃくちゃあって、愛する奥さんと子供にも囲まれています。しかり、彼は仕事のストレスが半端ないため多くの女性と関係を持ち、夜にはかえって他の女性を抱いた腕で愛する子供たちを抱きしめます。

「金持ちはいいなあ」と思われるかもしれません。しかし、彼も同じ人間です。たとえストレス耐性の高い人だとしても、そのジキルとハイドのような二面性を長期にわたって健康なメンタルで維持することは可能なのでしょうか。
独身だったり、結婚しないで子供を育てるみたいな元某ネットファッション屋さんの創業者みたいな方もいますが、家庭をもってその生活を続けるのは難しいでしょうし、苦しくても続けているのであれば間違いなくセックス依存症です。

罪悪感や後悔というのは「誰かを傷つけている」という負い目から生まれるものです。彼はそれを仕事の成功や多額の給料配当でごまかしています。
当然奥さんに対してはたくさんのお金を投入しているのだからいいだろうという考え方、自分に対してはインスタグラムに派手な生活を載せたり、夜な夜な飲み歩くことで、自分自身にも不正直で欺いているのです。全く健康的ではないです。

これは庶民の生活においても言えます。
「浮気相手とのラインが見られたらやばい」とか「ケータイが鳴って嫁が愛人の電話と気づいたらどうしよう」と限られた」脳の容量をそのようなことにたくさん使ってしまい、常に脳みそが無駄なことに稼働していることになります。

とはいっても好きになってしまったものは仕方ないと思われるかもしれません。正直、それは仕方のないことです。なぜなら愛することとと恋することということは全く違う行為だからです。

恋をするということは「恋に落ちる」という言葉にもあるように、受動的な感情です。その異性を抱きたいという本能的な欲望といえるでしょう。
この本能的な欲望を遮断することは無理です。この本能は人間であるためには必ず持っていなければいけないものです。カップルが歩いていて通りすがりのきれいな女性、またはかっこいい男性をちらっと見たときに怒り狂う人がいますがそれは仕方ないことだと受け入れるしかありません。
そもそもその本能がなければあなたたち二人も結びつかなかったのですから。自分にもそういう本能があることは認めなければいけません。

逆に「愛」という言葉は能動的な言葉です。聖書では愛=神と位置付けられています。愛するという行為を能動的にすることは、神の恵みを相手に与えるということになります。それくらい愛するという行為は素晴らしいことだと、少なくとも聖書を経典とするキリスト教、ユダヤ教、イスラム教世界中では思われています。日本の仏教、神道、新興宗教でも愛(または同義の意味)は施すものであるということで教えられていると思います。

愛は行為です。「愛する!」と決心して行動することでしか愛することはできないのです。あいする対象は恋に落ちた対象とは限りません。
もちろん私も人間ですから、恋に落ちた異性と結ばれたら毎晩セックスができるという本能的な欲望が爆発してその人を愛そうと願います。ただ、それは所詮動物的な本能にすぎません。「美人も3日で飽きる」という言葉もあるようにドーパミンは「その求めている対象が手に入った時点で役割を終了します」正確に言えば恋に落ちてセックスをしている時ではなく、ホテルに一緒に入って電気を消した時点であなたのミッションは終了するわけです。
ドーパミンはさらに新しいものを求めますからもっと激しく危険なセックスだったり、別の人を求めに動き出すのです。寄生虫のハリガネムシに脳を支配されたカマキリみたいな状態になります。

若干脱線しましたが、愛と恋とは全く別物です。愛は当然すべての人に届けることがベストなのですが、伴侶は一人だけです。あなたはこの人を一番幸せにしたいと思った人を愛するのです。愛すれば、100%ではないですが相手は何かしらのリアクションで応えてくれるでしょう。たとえ失敗してもその経験は役に立つと思います。

話は最初の話に戻ります。そもそもグローバルの先進国では聖書の十戒を基本に考えている国が多いので不倫と浮気はマジでタブーです。少なくとも二本みたいに自慢話のように話すことは神の教えに背いているということで、下品なこととされています。

不倫と浮気の癖がある人は、なぜ後悔と罪悪感を抱くことになるそのような行為に及んだのか自分の性格を点検する必要があるでしょう。
奥さんなどへの「恨み」など
日々のストレスに追われる「恐れ」など
自分中心に生きたい「利己心」など
子育てに大変な奥さんへの「配慮のなさ」など
負い目があり心から楽しめない自分への「不正直」など
じぶんの性格上の欠点を点検して洗い出して、それを取り除くように信頼できる人に相談して実行していかなければいけません。

これは依存症回復プログラムの12ステップから引っ張ってきたものです。
12ステップの経典であるビッグブックには「性格上の欠点が取り除かれるように自分より大きな力に(神)に祈る」という表現がされていますが、聖書に親しみがなければ理解不能でしょう。信頼できるメンターみたいな人と相談して努力していけばいいと思います。

ご相談、ご質問はななにいにtwitterまでお願いします。


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