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ニコラス・レイ検討 (3):日本における受容〈2〉

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ニコラス・レイ検討(1):序論
ニコラス・レイ検討(2):日本における受容〈1〉

 さてここで順番は前後するが、先ほど一度割愛した『追われる男』と『暗黒への転落』の批評も確認しておくことにする。まず『追われる男』評[12]の掲載は『キネマ旬報』1955年秋の特別号、評者は村上忠久である。村上は、主演ジェームズ・キャグニイとジョン・デレクの関係性を「一種変わった愛情を描いているところに、いささか定石を脱するものがある」と評価する一方で「監督者ニコラス・レイには、脚色者以上には点はやれない」と言及するのみで、残りの紙幅は役者の演技への賛辞—— 「重量ある彼独特の演技」「好演と云うべし」——にあてられている。そもそも男二人の関係性にのみ焦点が当たっているので、〝論拠〟云々を指摘する余地すらあまりないのだが、興味深いのは評価の対象が同名原作小説(未邦訳)の著者であるハリウッド・フランク・ジュニアではなく「脚色者」と記述されている点であり、今日に至るまで未邦訳である原作小説を読まずに評してしまっていること、面白いと感じた"ストーリー"の功績を脚色者の手柄として——半ば「監督による手腕によるものではない」と言いたいがためのようにすら見える——結論づけてしまっていることである。
 次に『暗黒への転落』評[13]を確認したい。掲載は『キネマ旬報』1956年12月上旬号 、評者は前々段落で取り上げた評と同じく戸田隆雄である。戸田は一通りの物語を記述した上で、こう述べる。「見終わった後の感じでは、(「罪人のできるのは」)社会の責任だと言い切るには、まだまだ描写の底が浅いようである」。戸田は"浅い描写"の欠点について、最後の段落でこう説明し結論づける。「僕たちが求めるのは、もっと根の深い矛盾——例えば、ニックが警官を射殺したのは、警官が憎いからだが、その憎悪の、かくも強く凝固するに到った原因が究明してほしいのである。警官の射殺事件で、このことを行わずに、社会的憎悪を論じるのは、いささか的が外れている。物足りない感じの残るのはその故である」。しかしまたしても戸田は『理由なき反抗』と酷似した論調を展開している。「僕たちが求めるのは」と断言し、自分の倫理観、価値基準にそぐわない点を作品の落ち度として「描写の底が浅い」としているのだ。作品の構成要素としても『理由なき反抗』同様、"社会的問題"にのみ触れられていて、画面上の特徴や演出については全く触れられていていない。そして、それでは作品の価値を判断する事などできようがないように思われるのである。戸田は当時少なくとも『理由なき反抗』は見ていたはずで、ならば、例えばレイの作品で重要な意味を持つ"階段"に気づく機会はあったはずだ。そしてそれが成されていないという事実が、評者が映画の主題としての"社会的問題"や自らの倫理観、価値基準の偏重といったものに目隠しされ、画面を"見て"いない何よりの証拠に他ならない。
 さて時代が前後するが、『理由なき反抗』以降、さすがに多少は認知され始めたのか、レイの新作は二誌以上の雑誌で時評対象になるようになる。この段落では『理由なき反抗』以降に公開されたレイ作品の評価の推移に注目したい。『無法の王者ジェシイ・ジェイムス』を取り上げた二誌のうち、より多くスペースを割いているのは『映画芸術』1957年7月号の和田矩衛による評[14]である。他の評者による他作品の評が前後に一部配置されているとはいえ、雑誌の見開き分をほとんど独占している。和田は序盤の展開を「社会劇としての発展要素を、又これから罪に落ちて行くものの心理ドラマに変貌してゆく契機にもなりうるだけのものとしては描けている」と評価しつつも、「ところがこれから以後の劇的構成はガタガタである」とし、「彼らの悩みが前半でともかくも、描けているだけに、これはすこぶるものたりない」、「内面的な描写の段階に至ると、作者たちは一切頬かむりで押し通してしまう」、「手におえなくなると、もつぱらアクション・プレイに逃げてしまつた」、「一味がギャングとなつてからは専らガン・プレイの画面処理のみに終わつて大いにガッカリさせて(ママ)しまった」、「ニコラス・レイの作品はいつも前述のように社会問題意識をもち出しながら、それが事件の表面の描写だけに終わっているが、この作品ではその弊がひどく、残念である」と紙幅と言葉の限りを尽くして欠点を列挙している。双葉による『大砂塵』評に比肩する、手加減のない酷評ぶりだ。もう一誌『キネマ旬報』1957年7月下旬号の田山力哉による評[15]も同様に、指摘の箇所こそ違えど、酷評一辺倒であるという点においては共鳴している。田山は序盤の導入について「今更云うのも愚かだが、アメリカ映画の出足の巧さには全く感心してしまう」という具合に和田と同じく一旦褒めつつも、「処がこの映画は、この辺から後は、ジェシイの生い立ちを説明する回想が頻繁に入ってきて、すべてが甚だ野暮ったくなる」と批判的に論を展開していく。とはいえ和田の評で挙げられる欠点が概ね具体的指摘だったのに対し、田山の指摘は「妙に陰惨な調子を帯びてしまう」、「我慾のためにどんどん人を殺し強盗を働く、憎たらしいだけで一向に魅力のない主人公なんて、我々西部劇ファンにしてみれば甚だ迷惑な存在」、「肝心の西部劇の面白さも忘れて、そういう良心に色目を使うようなどっちつかずの態度を執るのが鼻持ちならぬのだ。妙な泣き言はやめて、せめて颯爽たる主人公をワイド・スクリーンで派手に暴れ回らせてくれたら、たとえ倫理的な何ものもなかろうと、私はかえって喜んで拍手を送っただろう」とどこまでも"印象"や"私見"の枠を出るとは思えぬ抽象的なものである。ただ、ここで面白いのは——田山の論拠の貧弱さは一度脇に置くとして——、両者ともに"酷評"という点や、序盤を評価しつつ、「それ以降は」と手のひらを返したように酷評に転ずる展開こそ似通っているものの、その指摘が正反対であるという点である。和田は、田山が言うところの「妙に陰惨な調子」、「倫理的な何もの」の面を大いに評価しており、むしろそれが序盤以後貫徹されなかったことに苦言を呈しており、その一方で田山が望む「肝心の西部劇の面白さ」、「主人公をワイド・スクリーンで派手に暴れ回らせてくれたら」という展開について、むしろ現行の状態でもすでに「専らガン・プレイの画面処理のみ」、「もつぱらアクション・プレイに逃げてしまつた」と辟易している点である。正直なところ、あまりに証言が"藪の中"的に食い違っていて、評を比較しただけでは、まるで同じ映画についての文章とは思えない。
 では、本来の姿はどういったものなのだろうか。ここで私が個人的な見解を示しても埒があかないので、第三の比較対象として『ゴダール全評論・全発言』所収の評[16]を提示することにしたい。80年代以降に日本で刊行された書物に収められた評は、次章で改めて詳しく扱うが、例外的に引用する。ゴダールは本作を「プロデューサーと演出家の間でたえず言い争いがくりかえされ」、「かつてのオーソン・ウェルズと同様、うち負かされたニコラス・レイ」が「撮影の最後の日が来るのを待たずに、憤然とハリウッドをあとに」することになった「自分のものとは認めていない」作品であるとしながら、その一方で「この陰気で孤独な男の行状をこそ描こうとした」本作を「結局はかなり不十分にしか達成されなかったとしても、だからといって、出発点におけるこの作業を光り輝かせていた野心のことを忘れていいわけではない。『無法の王者ジェシイ・ジェイムス』は、その意図にもとづいて評価されるべき映画なのだ」と断言する。そして断言するだけにとどまらず、そのあとは、実際に見いだすことができる"野心"、"意図"の気配を具体的に列挙していくのだ。長くなるが、日本における当時の評との着眼点やアプローチの違いが明確なものになるため、引用する。

我々はニコラス・レイの映画のどこに、彼の署名を見つけ出しているのか?まず第一に画面構成においてである。彼の画面構成は、俳優を、決して窮屈な思いをさせることなく画面のなかにとらえこむすべを心得ているのである。それにまた、「自由」や「宿命」といった観念と同じくらい抽象的な観念を、いわば触知可能で明確なものにするすべを心得ているのである。第二に、ジャック・リヴェットが指摘したように、編集の巧みさにおいてである。彼の編集の巧みさは、彼のすべての作品で見られるのだが、数人の人物が登場する場面において、会話には間接的にしか加わっておらず、立会人にすぎないような人物のカットを不意に挿入するところにあるのだ。そして最後に、舞台背景に対するセンスのよさにおいてである。グリフィス以降のアメリカのどの映画作家も、舞台背景をこれほど鮮やかにしかも力強く活用するすべを知らなかったのである。われわれはジェイムズ兄弟とかれらの馬があいついで川にとびこむところを忘れることができないだろう。それにまた、天才的なジョー・マクドナルドによってとらえられた、ほとんど超自然的とも言える光のなかでの列車襲撃の場面も、夜明けのミネソタ州の平原を、白い外套をまとった十人ほどの謎めいた男たちが馬で駆けぬけてゆくところも忘れることができないだろう。 [17]

怒涛の列挙と論拠の提示。必ずしもこの評が正しく、日本における時評が間違いとは言わないが、少なくとも、具体的な"演出"の細部への言及、作品制作の事情/情報の調査などアプローチのみに着目しても、全くと言っていいほど手つきが異なる。確かにゴダールの評にも、いささか"作家主義"にありがちな色眼鏡の弊害はあるかもしれないが、それでもどのような映画を見たのかが具体的に示されているという点においてだけでも、すでに日本の評より優れていると言えるだろう。そしてまた、当時の日本において如何に"印象批評"、"イデオロギー批評"が主流だったかをうかがい知ることができるだろう。

〈次回(4)へ続く…〉


[12] 『キネマ旬報』1955年 秋の特別号、124頁
[13]『キネマ旬報』1956年12月上旬号
[14]『映画芸術』1957年7月号、63頁
[15]『キネマ旬報』1957年7月下旬号、181頁
[16]ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール全評論・全発言 Ⅰ 』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998年、214-218頁
[17]同上『ゴダール全評論・全発言 Ⅰ 』216-218頁。ゴダールが言及している印象的な場面については、下記の図1-3を参照されたし。

画像1↑図1『無法の王者 ジェシイ・ジェイムス』より、川に飛び込む馬と男

画像2↑図2-a『無法の王者 ジェシイ・ジェイムス』より、列車強盗の場面

画像3図2-b『無法の王者 ジェシイ・ジェイムス』より、列車強盗の場面 ⑵

画像4図3『無法の王者 ジェシイ・ジェイムス』より、白い外套の男たち

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