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ニコラス・レイ検討 (1):序論

序論
 主に50年代から60年代にかけて活躍した映画作家ニコラス・レイについて、こんにち日本でどのような認知がなされているだろうか。まず、優れた作品の出来栄えに反し、一介の"職人"としてしか扱われず、思い通りの映画作りを行うことができなかった作家であり、そしてのちにフランスの映画ムーブメント"ヌーヴェル・ヴァーグ"の中で、本人たちも映画作家として活躍し映画史に革新をもたらす面々——フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダール、エリック・ロメールやジャック・リヴェットら——が批評家時代に熱狂し、様々な場で言及したことで、再評価の機運が高まった…というのがひとまず基本的な共通認識と言えるだろう。現在では、間違いなく最も重要な映画監督の一人に数えられてもいる。日本においても、2013年には遺作『ウィー・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』(1973)が、製作から40年の時を経て初公開され、それと同時に国内外のレイに関する論考で編まれた『ニコラス・レイ読本』(boid出版)が出版されるなど、かすかに再評価の気配がある。
 しかし、本当に"再評価"が進んでいるのだろうか。確かに今やニコラス・レイは軽んじられてはいない。映画好きにとって『夜の人々』(1948)が傑作であるという事実は——見ていない人にとってさえ——"常識"として認識されている。だが、「なぜ」傑作なのか、「なぜ」ニコラス・レイはすごいのか、といった根本的な問題は今日に至るまで、ほとんど語られていないように思われる。実際、日本におけるニコラス・レイ受容は世界的に最も遅い部類といってよい。50年代のフランスで映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』(以下『カイエ』)同人が熱狂していた頃、日本ではそもそもニコラス・レイの作品が見られる状況になかった。レイの作品が日本で初めて公開されたのは1954年の『大砂塵』(1954)であり、それ以前に作られていた8本もの作品は見られることはなく、その時点におけるレイの監督としての7年間のキャリアもまた必然的に日本国内では正しく把握されるはずもなかったのである。そしてその『大砂塵』も、主題歌「ジョニー・ギター」こそ広く知られたものの、作品自体は特に注目を集めることもなく劇場から姿を消し、映画作家ニコラス・レイの存在が話題に上ることはなかった。言うまでもなく『大砂塵』は現在、ニコラス・レイ監督作の中でも、特に評価の高い代表的な一作であり、公開当時も"西部劇嫌い"を自認するフランソワ・トリュフォーにさえ「ハワード・ホークスもニコラス・レイも嫌いだ、『果てしなき蒼空』も『大砂塵』も好きになれないという人がいたら、こう言わざるをえない——もう映画館に行くのはやめろ、映画など見るな。映画的はひらめきとは何か、キャメラのファインダーとは何か。詩的な高揚とは何か、映画的な構図とは何か、カットとは何か、映画的なインスピレーションとは何か、つまりは、いい映画とはどんなものかが、それどころか、そもそも映画とは何かが、わかっていないのだから [1]」という過激な絶賛評を書かせた作品として知られている。当時フランスの映画狂たちにとっては、すでにニコラス・レイは紛れもなく"映画作家"であった。今や伝説的な映画祭、1949年のビアリッツで開催された「呪われた映画祭」の20本の上映プログラムの中では、ロベール・ブレッソンや、ジャン・ヴィゴ、ジャック・タチ、ジャン・ルノワール、オーソン・ウェルズなどの作品[2]と並んで、レイの第1回監督作品『夜の人々』(1948)が上映されていたのである。この映画祭は、のちの『カイエ』の面々が知己を得るきっかけとなった場であり、"作家主義"的評価軸の種が撒かれた場でもあった。上に例示した監督たちが、現在どのような評価を獲得しているかは言うまでもないことだが、重要なのはまだ一作しか映画を撮ったことがない時点で、レイもまたその面々に比肩する扱いを受けていたということである。故に五四年の時点では当然『大砂塵』は「"映画作家"ニコラス・レイの作品」として受け入れられていたということなのだろう。
 ではフランスでの激賞を受ける一方で、日本において54年当時ニコラス・レイがどのような扱いを受けていたのか、一旦ここで簡単に確認してみたい。ニコラス・レイの作品が日本の映画雑誌において初めて登場したのは『キネマ旬報』1954年11月下旬号、双葉十三郎による『大砂塵』評 [3]である。「これはまことに興味ある愚作である」という書き出しで始まる双葉の評は、監督についてこう記述している。「監督はニコラス・レイ。あちらではさかんに中級娯楽作品をつくっている。一九四八年一本立ちの新進で、なかなか評判はいいようであるが、(中略)はじめはちょっとおどろかされるが、次第に何もないことがわかって馬鹿らしくなる」。開幕早々の「愚作」という語句の選択が顕著な通り、手加減のない酷評だが、これを読むとレイは「中級娯楽作品をさかんに作っている新進」という認知がされていること、そして「評判はいい"ようである"」とあることから、やはり批評家の間でもこの時点ではそれ以前の監督作品が見られておらず、作家像の構築が困難であったということが推測できる。公開当時、『大砂塵』が映画雑誌で評された機会はこの一度きりであり、注目度の低さが嫌でもうかがえる。その後レイの新作は——時に小規模公開とはいえ(「ニコラス・レイは、いまでも鮮明に覚えているんですけど、ほとんどロードショーで公開されていないんです。当時は入場料が高いロードショーに対して、安く映画が見られる一般封切りというのがあって、一般封切りのほうに先に出てしまう」と蓮實重彦はインタビューで述べている[4] )——日本でも数作連続で封切られていくことになるが、作品評以外の記事で、レイの名前が一人の監督として取り上げられる機会は、さらに4年後の1958年まで待たねばならない(次章にて取り上げる)。そして80年代、蓮實重彦をはじめとした"ヌーヴェル・ヴァーグ"の薫陶を受けた日本の評論家たちの言及や、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュなどのレイからの影響を公言する後進の若手作家の目覚ましい活躍を機に、レイの存在は日本でもだんだんと認知されることになるが[5] 、逆にそれまでは、レイをめぐる日本の映画批評の状況は特に改善を見せることなく進んでいくことになる。
 では、現在のささやかな"再評価"の動きは果たして手放しで喜べるものなのだろうか。もちろんニコラス・レイの作品がより広く認知され、見る機会が増えることは、喜ばしいことに違いなく大いに歓迎すべきである。しかしやたらと「すごい」ばかりが喧伝され、褒め言葉ばかりが流布されるといった状況は"評価"とは呼べない [6]。なぜ日本では長らく"作家"として扱われることなく、当初は少なからず酷評で迎えられてきた"新進"監督ニコラス・レイが、一転して偉大な映画作家として認識されるに至ったのか。そして今もって具体的に指摘されていない、ニコラス・レイの"偉大さ"とは果たしてどのような点なのか。本論はその二つの疑問を出発点にし、まずはニコラス・レイ作品がどのように日本で受容されていったかを時代ごとに丹念に追いかけた上で、最終的にはニコラス・レイの作品そのもの、そして当時の時代背景や、レイ自身の人生、建築や音楽などの諸要素の一つ一つを分析し、今まで明確に論じられることのなかったニコラス・レイの"作家性"を明らかにすることを試みる。正しく"再評価"を行うためには、霞を払い、キャリアの実像に光をあてることが不可欠である。

次回(2)へ続く〉…


[1]山田宏一『トリュフォーの手紙』平凡社、2012年、140頁
[2]ビアリッツの第1回「呪われた映画祭」の上映プログラムは以下の通り。ブレッソン『ブローニュの森の貴婦人たち』、グレミヨン『高原の情熱』、フォード『果てなき航路』、ヴィゴ『アタラント号』完全版&『新学期操行ゼロ』、タチ『のんき大将脱線の巻』、ウェルズ『上海から来た女』、クレマン『鉄路の闘い』、ルノワール『南部の人』、モンゴメリー『湖中の女』、ガーネット『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、レネ『ゲルニカ』、ヴィスコンティ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、ルーシュ『悪霊たちのダンスへのイニシエーション』、エンメル『ゴヤ 戦争の災害』、アンガー『花火』、そしてニコラス・レイ『夜の人々』。上映作品および、映画祭自体の開催については、リチャード・ラウド『映画愛 アンリ・ラングロワとシネマテーク・フランセーズ』村川英訳、リブロポート、1985年、125-125頁にくわしい。
[3]『キネマ旬報』1954年11月下旬号、49頁
[4]「flowerwild.net - 蓮實重彦インタビュー リアルタイム批評のすすめvol.3」(http://www.flowerwild.net/2007/01/2007-01-08_021607.php)より。蓮實はインタビューの中で当時の状況について他にも「双葉十三郎さんの星取り表というのがあったんですが、双葉さんもそういうものはほとんど取り上げていない。ニコラス・レイにしたって、双葉さんはまともなことをひとことも書いていない」「植草さんは、ハリウッド時代のフリッツ・ラングを擁護されたりして刺激的な方だったのですが、ニコラス・レイをはじめとしたハリウッドの50年代作家に関してはあんまりものをいわなかった」と回想している。このインタビューはのちに『映画論講義』(東京大学出版会、2008年)に収録された。
[5]とはいえ、例えば伝記作家パトリック・マクギリガンは、著書〝Nicholas Ray: The Glorious Failure of an American Director〝(未邦訳)の中で、ニコラス・レイ監督作品の中でも特出した傑作として『夜の人々』『孤独な場所で』『危険な場所で』『ラスティメン』『大砂塵』『理由なき反抗』『ビガー・ザン・ライフ』『にがい勝利』『暗黒街の女』の九本を挙げている(McGilligan,Patrick, Nicholas Ray: The Glorious Failure of an American Director,It Books,2011,pp.1.)が、そのうち『夜の人々』『危険な場所で』は80年代末、『孤独な場所で』は96年まで公開されることはなく、『ラスティメン』『ビガー・ザン・ライフ』の二作に至っては劇場未公開で、テレビ放映やシネマテークでの特別上映でしか見ることができず、レイの〝代表作〟あの大半が長らく鑑賞困難にあったという事実は、今日の歪んだ評価、〝中堅〟や〝新進〟というポジションから、根拠の希薄な〝偉大〟の転調にも少なからず影響しているだろう。
[6]『わたしは邪魔された』の訳者であり、著書『映画の論理』において自身のニコラス・レイ論も発表している映画評論家加藤幹郎も、2014年の『ウィー・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』上映後講演で「わたしが知る限り優れた彼の映画作品全てを論じた、しかも厳密に素晴らしい解釈で分析をした映画書籍というのはまだ見たことはない」と述べている。この講演の記録映像はいまもインターネット上で公開されており、見ることができる。(https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=video&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0ahUKEwj_kvGy1ejmAhXZx4sBHbNHDi0QtwIIKDAA&url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DR8kTPGclBtA&usg=AOvVaw2QEUQyADzarkTGfiT8rdUx)

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