日記20221020 本を読みすぎている気がする
本を読んでばかりいる。本を読んでばかりいると自分の考えがなくなってしまうので、よくないことだと思っている。これはショーペンハウアーが言っていたことだったはずである。
なぜ本を読んでばかりいるのかというと、読む必要がある本がたくさんあるからであるが、それはついつい本をたくさん買ってしまっているからである。
なぜ本をたくさん買ってしまうかというと、ある本を読んでいるとその本の中には大抵別の本が紹介されている。紹介されている本は気になってしまう。「いつか読むだろう」という気持ちでついつい買ってしまう。そうすると、一冊読む度に、読むべき本が二、三冊増えるという具合である。はっきり言って悪循環だ。
これはいくつかの点で問題がある。
第一に、お金がかかる。もちろん本というものはマイナーな学術書でもない限り単価としては大してお金がかかる代物ではない。しかし、いくら本だと言ってもあまりたくさん買っていたら、キリがない。
第二に、難しい本ほど読まなくなる。腰を据えて読む必要がある本は「コスパ」が悪いため、ついつい後回しにされてしまう。その結果、哲学の古典のようなものはどんどんと積まれる一方で、読みやすいエッセイばかりが快調に消化されていく。
第三に、思索が深まらない。本というのは、読んでから後の考える時間が本来は重要だと思う。それはサウナの後に水風呂が必要なようなものである。じっくりと本の熱を自分の中で反芻する時間が必要だ。それがない。それがないために、ただ言葉のシャワーを浴び続けているようなものである。言ってしまえば反省がないのだと思う。
ここに至って僕の課題は、読む本の量を減らして、節操ある読書生活を実現することなのだが、一人でいると、時間を持て余してしまったときに他にすることがない。ないわけではないが、他のことは憂鬱である。youtubeで動画を見ているのは気が紛れない。アニメを見ている時間は幸福なはずなのだが、何となく「時間を無駄にしてしまっている」感覚があって手が伸びない。本を読んでいればとりあえず「有意義に過ごしている」感覚があるのである。それは自分のためになっているわけではない、いわばアヘンのような感覚なのだが、そこから自由になれない。
こうしてみると、僕はあまり本を読むのが好きではないと思う。いつも嫌々ながら本を読んでいるし、本を読むと疲れるのである。好きではないから読んだ本の内容も大して覚えているわけではない。それでも、自分の中にある種の義務感があって、本を読み続けてしまうのである。
だからこそ、他に趣味があるはずだと思って色々試してみるのだが、「有意義に過ごせていない」という不安が頭をチラついて、結局何にもそんなに浸かることができない。してみると、もう諦めて、本を読むことを趣味としていくしかないんじゃないかと考えている。もっと幸福な余暇の時間があり得るはずだ、もったいない、と思う自分を捨てることも、また難しいのだけれど。
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