私が発信する理由
こんにちは!ミレイです。
ミレイのことをご存知ない方へ。
まずは、私が1年前に初めて書いた下記のnoteを読めば、
ミレイがどんな人生を送ってきたのか?なぜライバーになったのか?などがお分かりいただけるかと思います。
2023年1月8日、私が初めて配信ボタンを押したあの日から、2年が経ちます。
1年前、頭まで布団にくるまりながら上記のnoteを書いていたあの頃は、1年後の自分の今の状況はまったく想像できませんでした。
(去年の記事に引き続き、私って未来のこと考えるの苦手なんだなと再確認しました泣)
日々の配信に追われていると、なかなか立ち止まって考えたり、過去を振り返って自分の変化や成長を感じる時間を取ることができません。
そこで、私にとって1年で一番大切な、ただの周年、ただの配信開始記念日ではなく「私が死ぬのをやめるきっかけになった日」である1月8日を前に、この1年を振り返ってみようと思います。
完全に自分の記録のために書いたものではありますが、毎日の配信に追われるライバーさんにも、大切な人を応援しているリスナーさんにも、読んでいただけるときっと何か感じていただけるのではないかと思うので、公開します。
全文無料ですので、ぜひ読んでみてください。
やっぱり見えない未来
1年前、noteを書いているとき、私は迷っていました。
当時の私は、ポコチャと少し距離を置いていました。
2021年1月8日に初めてライブ配信というものにチャレンジした私。
それまで、配信はしたことも視聴したこともありませんでした。
そんな、知識ゼロ・経験ゼロ・特技ゼロの私。
私が配信を始めたのは2回目の緊急事態宣言が発令された日。
まだ新たな感染症に世間の誰もが不慣れで、外出するなと言われ、その影響でポコチャのメーターが跳ね上がったと言われる時期でした。
そんな、ライバーもリスナーも増えた時期に配信を始めた私は、「良い子」でいなければ誰も枠に来てくれなくなると思っていました。
B帯までは何とか上がれたものの、教えたがりのアシスタントさんに押さえ付けられ、「(都合の)良い子」となり
「S帯に上がってみたい!」
どころか、
「今日プラマイ取りたい」
すら言えないライバーでした。
何とかしてそのアシスタントさんに去ってもらうことが出来たのですが、半年ほどかけて出来てしまった枠の空気を私1人の力で変えることはできませんでした。
そして過去の経験から人に頼ることが苦手な私は、ファミリーに「助けて」と言うこともできませんでした。
私の配信を「楽しい」「おもしろい」と通ってきてくれる人は沢山いました。
でも「ライバーとして応援したい」と思ってくださっているリスナーさんは殆ど居なかったように思います。
そんな、一人ではどうすることもできない空気感の枠で、毎日のメーターと戦い続けることがしんどくなってしまった私。
誕生日やイベントを利用して
「S帯に上がれたらもうメーター追いません」
そんな地獄のような煽りをして一気にS1まで駆け上がり、そのままポコチャを離れました。
それから、毎日メーターと戦っている間は時間が無くて出来なかったゲームをしたり、趣味程度に配信したり、アルバイトをしてみたりしながら過ごしました。
これからの人生どうしよう。
死のうと思って会社を辞めて
配信と出会って生き延びて
けれど結局、私は何者にもなれなかった。
確かにS帯にタッチして「S帯ライバー」になれたけれど、それだけだった。
当時の私の実力と知識では、S帯に到達することが果てしなく高い壁だったし、それを真っ当なやり方ではないかもしれないけれど達成して、もうやり切ったと思ったし、それ以上頑張れる気もしませんでした。
また会社員をしようかと、就職活動をしてみたりもしました。
でも、配信を辞めた私は、ただの1年間無職の人。
B帯の期間が長かったので、生活はできていたけれど貯金ができるほどでもなく、気づけばまた家賃も払えない。
そんな時でも、リスナーとしてポコチャのライバーさんの枠に遊びに行って元気をもらっていました。
そして、熾烈なメーター競争に耐えながら、裏ではきっと泣いたり悩んだりしながら、それでも毎日笑顔で配信しているライバーのみんながまぶしく見えました。
もう一度頑張りたい。
ポコチャを離れて数ヶ月、ぼんやりとそんな気持ちが湧いてきていました。
会えなくなったあの子
ここで少し、大切なリスナーさんの話をさせてください。
私がまだC帯だった頃に出会い、それから毎日のように私の枠に通ってくれる女の子がいました。
当初はポコチャを長く続ける気が無かった彼女は、捨て垢のような「あ」というユーザーネームを使っていたので、私は彼女を「あちゃん」と呼んでいました。
あちゃんは、私が今まで出会ったリスナーさんの中でコメントの面白さは飛びぬけて1番です。
いつも強烈に面白いコメントをしてくれるので、あちゃんが枠に居てくれるだけで配信が盛り上がります。
私はもちろん、他のリスナーさんたちもみんな彼女のことが大好きでした。
彼女は毎日いろいろなライバーさんの枠に遊びに行っていたようですが、私の配信が始まるとすぐに来てくれていました。
いつでも私の味方で、アンチが来たときや嫌なコメントをされたときは、私本人よりも先にブチ切れる女の子でした。
私がポコチャライバーでなくなってからも、あちゃんとは友達のような関係でした。
オフラインイベントで実際に会ったこともあり、年齢も近い私たち。
分かちあえる部分があったからか、ほぼ毎日のように彼女からDMが来ていました。
こんなライバーさんがいたよとか、おもしろい動画みつけたよとか、そんな他愛もない内容です。
私はこの頃、ポコチャに戻るか迷いながらも、日銭を稼ぐために夜勤のバイトをしていて、完全に昼夜逆転生活。
あちゃんも深夜に起きていることが多かったので、私も深夜の話し相手として、よくあちゃんとDMのやり取りをしていました。
2022年3月、私がポコチャを離れてから5ヶ月のある日。
いつものようにあちゃんからDMが来ました。
いつも通りの他愛もない内容でした。
バイト中だった私は、あとで返そうと思いそのまま既読無視しました。
お互いに気が向いたら返信するし、既読無視することもあるし、それを気にしなくて良い気楽な関係でした。
あちゃんは私が既読無視していても、気にせず翌日また全然違う話題をDMしてきていたので、また明日連絡が来た時に返そうと思っていました。
でも、それから4日、あちゃんから連絡が来ませんでした。
4日も連絡してこないことなんてそれまで無かったので、さすがに心配になった私は自分からあちゃんにDMを送ってみました。
既読は付きませんでした。
それからさらに3日後、もう一度連絡してみました。
彼女に持病があることも最近調子が悪いということも知っていた私は、この時点ですごくすごく嫌な予感がしていて、スマホの握る手にびちゃびちゃに汗をかいて、心臓がバクバクしました。
きっと調子が悪くて寝込んでいるんだな
仕事再開するって言ってたから忙しくてスマホ見てないんだな
そんな言い訳をいっぱい考えてみたけれど、ずっと胸がざわざわしていました。
一日に何度も何度もトーク画面を開いてみたけれど、やっぱり既読はついていませんでした。
そしてその翌日、詳細は省きますが、あちゃんが亡くなったことを知りました。
とてもとても後悔しました。
こんな簡単な日本語でしか表現できないのがもどかしいくらい、後悔しました。
どうして私はあの日既読無視したんだろう。
また明日になったらいつも通り連絡が来ると思っていたのに。
もう一回直接会いたかったな。
私の配信中に一緒に色違いで買ったワンピース、お揃いで着て遊ぼうねって言ってたのに。
サンリオが好きな彼女に、大分にあるサンリオのテーマパーク「ハーモニーランド」限定のグッズをプレゼントしようと思って、発送する準備までしていたのに間に合わなかった。
多分私は一生後悔するでしょう。
あちゃんが亡くなったのを知った日に私があちゃんに送った、二度と既読の付かないメッセージを載せておきます。
当時、混乱した状態のまま送ったものですので、言葉遣いや内容など、賛否あるとは思いますし、私自身も公開するかすごく迷いました。
しかし、あちゃんという女の子が居たことを、
そして彼女や彼女と親しかった方の想いを乗せて頑張ると決めた私の決意を、
少しでも多くの方に知って頂きたいので、載せておきます。
あちゃんの代わりに、皆さんに読んで頂ければと思います。
本気でトップライバーになってやる
ずっと迷っていたけれど、あちゃんの件をきっかけに、私はポコチャでもう一度ライバーとして頑張ろうと決意しました。
あちゃんと出会った場所、ポコチャでもう一度頑張ろう。
そう思ったからです。
ポコチャに戻ると決めた私は、本気でS帯をキープできる枠を作ろう、トップライバーになってやる、と思いました。
もう昔みたいな都合の良い暇つぶし枠として消耗されない、応援されるライバーになる。
そう決めて、配信を始める前にかなりの額の出費をして、ゼロから配信のことや心理学のこと、それからマーケティングのことなどを勉強しました。
貯金なんて無かったので、勉強するために借金もしました。
天性の才能があるわけでも
誰もが振り向く美貌があるわけでも
目を引く特技があるわけでもない私が
ライブ配信の世界で戦うために。
知識ゼロで配信していた頃の二の舞にならないように。
絶対S帯ライバーになるために。
運次第でどうにでもなるのが配信の世界。
いくら勉強したって、うまくいく保証なんてありません。
努力が報われるなんて綺麗事は成立しません。
それでも私は、やるしかありませんでした。
こうして4月にポコチャに復帰した私は、3か月でS帯に到達し、引退までキープさせていただきました。
10ヶ月かけてS 帯に到達した昔の自分よりは成長できているのかなと思います。
死にたかったけど死ななかった私が、死んだあの子に見せたい未来
ポコチャに戻ってくるとき、目標を定めました。
入賞するとドキュメンタリー動画を作ってもらえるイベント「Palette」で優勝すること。
そして、ライバーを救えるライバーになること。
どちらも、他のライバーさんから見ると大したことない目標かもしれません。
でも、ずっとずっとS帯に上がることすらできなかった当時の私にとっては、果てしなく高い壁でした。
そして、以前の私の推しマーク
「🐈🐈」と
あちゃんがラジオ配信するときに使っていた彼女の推しマーク
「🐖🍕」
を組み合わせて
「🐈🍕」
の推しマークで戦うことを決めました。
以前の私の配信を知っている方で、離れてしまった方も沢山います。
当たり前です。
だって私は、以前の自分の枠のような
暇つぶしに使われ
時間と労力と気遣いを消費されるような
そんなライバーになりたくなかった。
「🐈🍕」の推しマークで戦う以上、本気で一緒に私の目標を追ってくれるファミリーを作る必要がありました。
だから当然、消費されていた昔とは真反対の枠作りをしました。
以前通ってきてくれていた方にとって、窮屈に感じるのも当然のことでした。
それでも私は、今の応援してくれる方と一緒に、頑張るしかないのです。
あちゃんはたまにラジオ配信をしていたのですが、私があちゃんの枠に遊びに行くといつも、自枠のリスナーさんに
「ミレイさんの配信は雑談枠の理想形なんですよ。本当に面白いんです」
と紹介してくれていました。
私の配信を見るために自分の配信時間をずらしてまで通ってきて
「ミレイさんの配信を見るために生きてる」
と言ってくれていました。
でも、私はそんな彼女を救えませんでした。
私の配信を見るために生きているのなら、ずっと配信頑張るから、ずっと生きててほしかった。
私なんかが誰かを救えるはずはないのかもしれない。
それでも、もうあんな思いはしたくないから。
私がいつか目標を叶えて、あちゃんに胸を張ってトップライバーになれたよと言えるように。
ライブ配信に救われた私が、ライバーを救っていける存在になれるように。
それが、死にたかったけれどライブ配信と出会って死ぬのをやめた私が、あちゃんに見せられる未来なのかなと思っています。
ミレイ🐈🍕
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