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思考の凝りをカットしていく遊び。

伸びた髪をカットすることも

ハサミでいらない紙をカットする
こともさっぱりする儀式のひとつ。

このカットすることについて
少し※思考あそびをしてみませぬか。

※ここでの思考あそびとは
思考の凝りを
おいさ、ほいさ、よっこらしょっと
ほぐしてみる実験型遊びです。

いつもなら気にならないことでも
何故だかマイナスな思考
(不安に感じること)が
ぐるぐると回ってきている場合も
あったりします。

このぐるぐるが短いと
なんてことはないのですが
これが長引いてきますと
何だろう気持ちが沈むことが
あらわれてきます。

何故だか分からないのだけど
マイナスな思考になるときには

ひとつの例として
自身の周りの人の不安の感情を吸収している
状態になっている場合もあります。

感情移入を自身はしやすい方の場合には
そういった傾向が強く出る場合も。

感情移入しやすい方の場合には
表面では
ひとの気持ちに共感できると
いう特技があります。

裏面では
ひとのことにフォーカスする量が
容量を超えている状況をつくり

自身の気持ちを見ないように
自身の気持ちのケアを放置している場合が
もしかすると多くなる傾向が
あるかもしれません。

表と裏でひとつのセットであると
思っています。

良いとされる部分と
そうではかなずしもない部分
この二つはセットであり

どちらとも○であると捉えています。

どちらも持っていてオッケーなのです。

(このどちらとも△や×であると
捉えている場合には
また違った角度からの見かたが
必要になってきます。
この部分はまたの回にお話し致します。)


○であると思考が流れていると

どういったものごとにも
ケアできるところがある。
ケアできるところが隠されている。
というように
そのものごとを見れる視力になっています。

隠されているところは
たったひとつだけでいいです。

ひとつケアできるところは
何処だろうと。

ひとつケアできるところは
......。

隠されているものは
ひとによって違って構いません。

大事なことは
ひとつのケアが見えてくること。

そうして
ひとつのケアが見えてくると
思考の凝りが軽くなる流れが
はじまってきます。

上記の内容からの
ひとつは
自身の周りの人の気持ちを見るように
自身の気持ちをまずはじっくり見ていくところにあります。

そのひとつのケアからです。

そうした次に
自身の気持ちの内容が
どろどろとでてこようが
何の問題もありません。

どろどろも○であるからです。

今度はどろどろを出してゆく。

こういったところから
思考の凝りをカットする遊びが
進んでゆきます。


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