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原点回帰④

外科卒業試験が終わった。THE ENDではなさそう、だって外科実習のスケッチ頑張ったからアドバンテージで10点もらったんだもん!問題用紙配りに来た教授(顧問)が、「絵ぇ、上手かったなぁ、10点やるぞ」って言ってくれたからもうそれだけで幸せだった。1枚目の問題わけわかんな、ってなったけど全然いい笑。この生活が後2ヶ月間続くと思うと苦痛だけど、まあ漠然と国試勉強するよりはよっぽど楽しいからいいや。脚の調子は全然良くなくて笑えません!走りたいです!!!今日も元気だったら呉羽山暴走してるはずだったのにいいい。さすがに勉強しろってこと?笑

さて、原点回帰に戻りましょう。春カレについて書くつもりだったけど、春カレの前に中学のこと書いとこうかな。今のテンションで春カレのこと考えたら脚痛いのに走り始めそうだからいったんやめとく。

陸上は中学から始めた。元々、運動なんて大嫌いだった。小学校の頃は教室にこもって本読んでるか自由帳に絵描いてる完全インドアインキャ。でも絵描いてたおかげで今日10点もらえたからインキャバンザイです。そんなくそインキャは親に「中学校の頃くらい運動部に入って根性鍛えてこい」って言われて、部活体験一ミリも楽しくなかったけど、親の言うこと大体正しいしなぁって思って陸上を始めた。

中1の頃は本当に部活が毎日苦痛で仕方なかった。陽の光も嫌いなインドア派が朝から競技場に行って走り回るとかまず無理だった。自転車通学も嫌いなのに。あと部活のルールも謎に厳しかった。集合の30分前には競技場行って先生と先輩来たら立ち上がって挨拶する。一年生は派手カラーのランシューもくるぶしソックスも禁止。召集漏れブロック杉谷陸上部は完全アウトだし、ピンクドラフラとか履いたらぶっ◯される笑。

1番苦痛だったのは、同期のレベルが高かったことですよね。親がそれなりにすごい投擲選手だったけど投げるセンスないし、インドア派にとって長距離とかもってのほかだったから最初のうちは短距離をやってました。でもみんなが短距離速いから普通に枠余ってないし試合は当然出れない。とりあえず試合出れない奴は走り込みって言われたから、毎日のように謎に200*10(R=200walk back)とか、出されて、割と一生懸命やってました。「努力は裏切らない」「走った距離は裏切らない」ってよく言うじゃないですか。こんなメニューやって短距離が劇的に速くなるわけ無いよね。200m30秒くらいが精一杯だった。冬も謎に階段走とかさせられた。本当に毎日苦痛すぎたけど割と一生懸命やった。短距離速い子より普通にめっちゃ頑張った。

2年生の春、TTしたら何故か短距離が遅くなってた。「走力じゃなくて、練習頑張ってる奴を試合に出します」て言ってたから若干期待したけど、普通に練習全然ちゃんとやってない子が選ばれてた。結局実力至上主義かよ。おーい先生期待させるようなこと言うなよーって思った。めっちゃ悔しかった、悲しかった。努力は裏切らないとか誰が言ったんだよそんな無責任な名言残すなよ、って思った。中学で陸上は絶対にやめてやるって決めて、練習を頑張るのをやめた。

1個目の転機は多分ここ。夏になって、顧問に「お前長距離やってみないか」って言われた。駅伝部は長距離と他の部の足の速い子集めて作られるんだけど、他の部の子のことを考慮して、陸上部とは別の時間に練習をやっていた。陸上部の雰囲気が嫌いだったから、長距離やって陸上部から逃げられるならまあアリか、って思って、駅伝部に入ってみた。長距離は、ある程度のレベルまでは「努力は裏切らない」、が適応されるから、面白いくらいにどんどん記録が伸びた。短距離時代の無駄な走り込みのおかげでかつてのインドアインキャは周りと遜色ないくらいで走れた。うちの中学普通に長距離のレベルも高かったんだけど、駅伝なら5人出れるから、メンバーにも入ることができたし、駅伝も県で3位っていう経験をさせてもらえた。試合に出られるだけで嬉しかったし、十分だったのに、いろんなオプションが付いてきて、プレッシャーとかもあったけど、何よりも貴重な体験ができた。長距離初めて良かった、って思った。

2個目の転機は中3の春。新しい顧問の先生が赴任してきた。幅跳びの女子高校県記録保持者の先生だった。結構厳しい先生だったけど、かっこよくて、この先生に気に入ってもらえるような選手になりたいなって思った。その先生は春先は基本短距離の面倒を見ていたけれど、駅伝の面倒も見てくれた。から、気に入って欲しくて、一生懸命練習した。その先生の指導は多分自分にすごく合っていたみたいで、なんか急に記録が伸びた。というか、若いし専門短距離なのに駅伝を全国に連れて行った経験のある先生だったし、ちゃんとみんな速くなったから、教え方もメニューの組み方も良かったのは間違いない。集合の時の立ち方から、挨拶から、精神論から全部叩き直された。でも私の伸び方も先生の予想より良かったみたいで、「個人で通信で全国、あと都道府県駅伝代表も目指せるよ」って言われた。いやぁ、無理でしょ、って思った。けど、確かに気づいたら3000mとかなら県で2、3番手になっていた。

通信は無理だったし、中学駅伝も県で3位とかで、ほーら無理じゃんって思っていたけど、強化部記録会で記録出せたから、都道府県駅伝の代表枠をもらうことができた。ちょっと信じられなかった。初めての都大路は、田中希実と同じ区間を走って、西京極の競技場も全日本医歯薬で見た時とは全然違って見えて、しっかり雰囲気に飲まれて、全くうまく走れなかった。それが私のほぼ唯一の、そして苦い思い出の全国大会経験。でも、あれがあったから今があるんだろうなぁ、って思う。嫌だったけど陸上初めて、長距離初めて、悔しい思いいっぱいして良かったなぁって思う。あぁ、全カレも、行きたかったな。悔しい。

私は努力に裏切られた経験があるから、「努力は裏切らない」って言葉は嫌いです。努力って主観だと思うから。だから、私は色々終わった後に結果を残せなかったら、それは努力や準備が足りていなかったんだろうな、って思うようにしてる。人によって、その到達点に行くための努力って絶対違うと思うから、私はあの人よりも誰よりもこんなに頑張ったのに、無駄だったのかなぁ、とか思わないようにする。今年の私はきっと全カレに行くのに努力も(時間も)、何よりも覚悟が足りてなかった。逆に、西医体は十分すぎる準備をしたつもりで、その上でずっと不安だった。だから私的には、練習でできないことは本番でもできない、本番で100%の力を確実に出したいなら120%の準備をしろ、って思っちゃうんですよねえ。コスパ悪いよな。中学校からの経験を踏まえて、12年間かけて、「努力」についてやっと辿り着いた結論です。

中3の間陸上やりすぎて全く勉強しなかったツケが回ってきて、約1ヶ月間死に物狂いで一日中半分泣きながら高校受験勉強した(運良く高岡受かりました笑)のはまた別の話。