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「大丈夫」という魔法の言葉

自分が乳がんだと分かってから今まで、見えないところでたくさん泣いてきました。

「なんで私なの?なんで今なの?」と状況を受け入れられず一人で散々泣くところから始まり、

一番のハードルだった両親へカミングアウトは、冷静に伝えるつもりが電話口で号泣。
電話越しに母が「嘘でしょ!?」と叫び泣いていた声が今も忘れられません。

同僚に伝えたら、「5年後、10年後にあんな時もあったねって一緒に笑いましょう」と泣いてくれて、思わず一緒にもらい泣き。

手術の前日夜、意を決して中高時代の仲良い友人たちのグループLINEで伝えて、病室で誰にも悟られないように泣いていました。

手術直後、麻酔から覚めて意識が朦朧としていた中で医師から「リンパ節郭清した(=リンパに転移していたから取った)」と告げられてショックで涙が溢れ、術後初めて言った言葉が「悔しい」でした。

泣いている母の顔を見て、ごめん、とさらに涙が溢れて止まらない状態に。

家族や友人に励まされて泣いて
叔母からの手紙で泣いて
家族や友人から差し入れしてもらって泣いて
手術後全然腕が上がらなくて悔しくて泣いて
傷が痛くて泣いて
一年前だったら結果が違ったのかな、って泣いて
やっぱり一番は、なんで私なの、と思って泣いて
手術後1ヶ月間は、身体の辛さに加えていろいろな感情が波のように押し寄せて、毎日泣いていました。

子どもが産めない可能性に、女性としての人生を奪われた気がして悲しくて泣いて
こんな私を受け入れてくれる男性はいないんじゃないかと弱気になって泣いて
卵子凍結のための通院と薬が思ったよりキツくて泣いて

同世代で同じように闘病している人の話に、自分を重ね合わせて泣いて
これを書いている今も泣いている。
何度か加筆修正したけど、読み返す度に涙が出る記事で、書いてから公開まで2年以上経ってしまいました。

術後2ヶ月を過ぎた頃から、体が明らかに回復して動けるようになってきたのを実感して、
泣く機会が徐々に減りました。

これを糧に、今後は嬉し泣きをたくさんするんだ、と誓っているものの、
まだまだ揺らぐこともあり、ごくたまに無性に泣きたくなる時もあります。


乳がんの告知を受けてから泣きっぱなしでしたが、手術の前日からずっと今も、
「絶対大丈夫、なんとかなる」
という言葉を毎日呪文のように言い聞かせています。

最初は無理矢理だけれど、ずっと言い続けていると落ち着いてくるから言葉の力は不思議。
そして人から心を込めて言われると、どんな薬よりも効果があって、「大丈夫」に何度も助けてもらっています。

もしこれを読んでいる方が不安になったら思い出して欲しいですし、家族や友人に同じような状況の人がいたら、ぜひ心を込めて「大丈夫」と伝えて、出来れば手を握ったり抱きしめてあげるとすごく救いになるはずです。

「大丈夫」は自分を取り戻すことができる強力な魔法。
自分自身はもちろん、人からも、沢山の大丈夫を浴びてください。
セッションでは、私が何回でも何百回でも言います。

あなたにも「大丈夫」の魔法がかかりますように。


↓手術前に使っていた瞑想YouTube


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