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はじめまして。エムパパです。


じめじめ暑い夏いかかがお過ごしでしょうか?
台風に暑さをどこかへ連れっててほしい。。
そんな感じです。
さて、最初の投稿は自己紹介(学生時代の話し)をさせてもらおうと思います。

私は昭和から令和を生き抜いてきた猛者(おっさん)です(笑)
身長は学生の時から180cm後半あり古い家の鴨居で頭をガンガンぶつけて育ってきました😵鴨居にぶつけるのって歩きのスピードでも出血したかもと思うほど痛いんですよ💡

趣味はサッカー鑑賞(今は代表戦ぐらいですが)
小学1年生からサッカーをしていて夢はプロのサッカー選手だったんですが、中学生の時の急激な成長期と激しい運動により腰を痛めてサッカーは中学生まででやめてしまいました。ボールを一回蹴るだけでその場から動けなくなるほど傷んで、日常生活にも支障が出るほどでしたので。。。

高校に入る頃には腰も大分よくなっていたのですが、部活には入らず友人たちとスケボーにハマり毎日毎日風邪をひいていようがずっと滑ってました。
今はスケボーパークなども増えて滑る環境が整ってきてますが、当時はパークなどほぼ皆無だったので公園や高速道路の下でボックスなどを自分たちで作り、時には近所の住人、警察に怒られ場所を転々としながら高く飛びたい色んなトリックを覚えたいと自分たちなりに一生懸命やっていました。
そうこうしているうちに今度は友人たちとバイクの免許を取って遠くにスケボーをしに行ったり、他県へ単純にツーリングに行ったりとバイク禁止の校則を破って最高に楽しんでました。
(当時の担任はバイクのこと知ってたみたいですが学校に黙っていてくれてたと卒業後にあったときに言われました笑 ありがとう!恩師!)
今思えば、よく親は免許所得にバイク購入(幼少期からのお年玉で購入)を許してくれたなと、、大感謝!!
バイクを通して行動範囲は格段と広くなり、バイクがなければ出会えなかったであろう友人などもでき宝物の経験ができたと思ってます。
(自分の子には色んな経験はしてほしいですが事故等危険なのでバイクは後ろにすら乗ってほしくないですねー)
高校を卒業した後は付属の大学に入学。

大学に入りバイトを始めたのですが、そこで知り合ったDJの先輩にクラブに誘われそこからは平日だろうが明日授業があろうが関係なしに毎日のように朝方までクラブで遊んでとダメな大学生活を送っていました。
当時は2Pac(伝説的なラッパー)が殺された数年後ぐらいのHIPHOP全盛期で地元のクラブが多い地域は治安が最悪でしたが平日でも活気があって最高でした♪
今ではあまり見なくなってしまいましたが、当時街にはインパラやキャデラックなどのアメ車の旧車がたくさん走っており自分も20歳前に先輩から1950年代のシボレーの旧車を買いブイブイしてました。
乗っているときに知らない人に話しかけられたり、「うおぉーすげー」などの声が人生最高の優越感でしたねー懐かしい。。。。1950年代の車で当時ですらかなり古く珍しい車種だったので年配の方にもよく声をかけられてましたね。まあ維持費など学生にはなかなか厳しいものがあったので2年ほどで手放してしまいましたが。
そんな生活をだらだら続けていたのですが、大学3年の時にある先輩から高校時代にはニューヨークにいてこんな学生生活してたよみたいな話を聞き、一気に海外への興味が沸き自分も行ってみたいなと思うようになりました。
もともとクラブで遊んでるときにHIPHOPなど洋楽がなんて言っているのか理解出来たらいいなと思っていて英語に少し興味があったので思い切って夏休みの1か月ちょっとの間だけ海外に行ってみようと初めての海外(カナダ)一人で行ってみました。

留学のエージェントを通してホームステイしながら語学学校に通うプラン、初海外で一人ということもあり飛行機の中ではドキドキしながらどんなことが待っているのかと緊張していたのを覚えています。
長い飛行機も終わりカナダの空港に着くと、到着ゲートには自分の名前のプラカードを持ったお世話になるホストファミリーの父親が迎えに来てくれていました。
最高に優しくてユーモアがあり子供四人、母親含め最高の家族でした。
ホームステイしながら子供たちと遊んだり語学学校に通ってましたが、
ホームステイと学校だけじゃつまらないので、到着から2週間ほど経った頃週末を利用し学校の友人たち数名とレンタカーを借りていざアメリカへ!
西海岸を南下しシアトルから目標はロサンゼルスまでと思っていましたが時間的にロサンゼルスまでは行けずにオレゴン州のユージーンという街まで行きました。
始めてやってきたアメリカで印象に残っている出来事は最初の街シアトルでの出来事。
何かアメリカっぽい事をしようと思い単純ですが歩道で売っているホットドックを食べようと購入し、買ったワゴン(店)の横で食べていると一人の女性のホームレスが近づいてきて「一口くれ!」と、お腹も空いていたし嫌だと何度も断っていたのですがひつこく何度も何度も同じやり取り。
話が通じないので無視していたら最終的にFワード全開で向かってきそうな勢い、、めんどくさいな~と思っていたらそこに救世主登場。
さっきホットドックを買った店のお兄さんが間に入ってお兄さんもFワード全開で助けてくれました。
その後その女性はプッツンきたのか、車道の真ん中に寝そべり
「Kill me~」「Kill me」と、、それを見た自分は「おお、なんかすごいなアメリカ」と印象に残っています。
アメリカ、カナダともにホームレスの人達がすごくアグレッシブで通行人にガンガン話しかけて食料や小銭を求めていたことがすごく印象に残っています。日本でホームレスの人に話しかけられることなどほぼ皆無だったので衝撃的でした。
この旅行では車を借りてアメリカに行くってだけで特にホテルの予約などしていなかったので移動中にあるモーテルに泊まりました。
モーテルの印象は映画などで見るそのまま感じで、車止めて受付で受付して鍵もらって素泊まり。この時一番不安だったのが安心感ゼロの部屋のドアと鍵。少し強く押せば無理やり開きそうで強盗に会わないか不安いっぱいで寝たのを覚えています。もしまたモーテルに泊まる機会があれば次はもう少しちゃんとしたモーテルに泊まろうと思います。ってかホテルに泊まります。
この旅で一番感動したことは、モーテルはオレゴン州の田舎にあり市街地も遠くで少し車で走れば家や建物もなく真っ暗闇、何もすることはないですがすぐ寝るのももったいないので少し周辺をドライブしようと山?の方へ、車で20分ほど走ると月明かりか自分たちの車のライト以外明かりがゼロ。
空を見上げるとそこには見たことない数の星★ほんとに空=星みたいな状態で綺麗すぎて鳥肌が立つような感覚で1時間ほどずっと空を見ていました。その時見た天の川一生忘れません。まじで空に川でした。宇宙スゴイデス!

そんなこんなで週末の旅も終わりカナダの家に帰宅。
その後2週間ほどで語学学校も終わりホストファミリーと別れ帰国までの1週間ほどは知り合ったカナディアンとルームシェアをして帰国。
いつもの日本の生活に戻った次第です。

帰国後はもっと長い期間海外で生活をしてみたいという思いが強くなりワーキングホリデイで今度はオーストラリアに行きたいと思っていました。
長期間になるとある程度まとまった資金が必要なので大学を卒業したら就職してお金をためていこうと計画を立て卒業後関西の会社に入社し関西で生活をしていました。
何だかんだで2.3年経った後にワーキングホリデイのビザを取得し1年ちょっと再度カナダに。
なぜ予定していたオーストラリアではなくカナダにしたかというと、前回カナダの滞在時にお世話になっていたホストファミリーと帰国後もずっと連絡を取っていたのですがホストファザーから月300$で食事3食・洗濯・部屋を準備するのでと熱烈な超格安オファーをもらい再度カナダへ行こうと決心した次第です。(このワーキングホリデイの時の話はいつか詳しく書きたいと思います。)

ワーキングホリデイが終わり帰国後は地元に戻り再就職し再就職後7年ほど働き起業。その間に結婚し現在二児の父。
前職在籍中の2018年?の仮想通貨バブルの頃より仮想通貨の世界に友人に誘われどん底へ……….。(投資は自己責任!友人とは今も仲良しです!)
そこから真剣にFXトレードを勉強し徐々に人生昇っていってます。
さらっと書いてますがどん底でした。。
かなり遠回りしましたがどん底から本業も頑張りつつどのようにFXで復活したのか、私がどんな勉強(過去の検証)をしたのかや、どんなタイミングでどんなチャートでトレードをしているのか等FXに興味がある方達や全然勝てていない方達の助けになるような投稿を今後したいと思います。

やみくもに色んな手法を勉強するのではなくシンプルに1つの事を極めてそれをこなせば結果は必ずついてきます!(なんか胡散臭いですが笑)

‘’シンプルイズベスト‘’ 

これ本当に大事です!!
これ本当に大事です!!

とても大事なので2回言いました。
1人でも多くの方が人生昇れるよう私の知識を共有したいと思います。

文章下手で読みにくくてごめんなさい。
トレードの投稿はしっかりわかりやすく書きたいと思います。
それでは初投稿以上で失礼します。




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