人生最初の失望
幼少のみぎり、父の勤める会社の社宅の二階に住んでいた。
誕生日ともなると、同じ社宅に住む子供達が集まって誕生会を開いてもらえる。
4歳だか5歳だかの誕生日に、僕はおともだちからプラモをもらった。
一生懸命作って置いといたのを、あるとき、下の階に住む伊藤さんのおじちゃんが遊びに来て見つけた。
「おっ、プラモか」
おじちゃんはちょっと目をキラキラさせながら僕が作ったプラモを手に取った。
「よし、今度おじちゃんもプラモあげるよ」
えっ、本当?
子供心に僕はめっちゃテンションがあがった。もう一個プラモがもらえるなんて!
でもそれからおじちゃんは何度もうちに来たけどいつも手ぶらだった。
まちあぐねて僕はあるときおじちゃんに聞いた。プラモ、いつくれるの?
するとおじちゃんは言った。
「お、ちょっと待っててな。今、おじちゃん一生懸命作ってるから」
おい、今なんつった?
子供にとって人が作った完成品のプラモなんてただのプラスチックのかたまりに過ぎない。まさか、ちゃんとした大人である伊藤さんのおじちゃんがそんなものを人にくれるはずがない。僕は子供心に自分の聞き間違いであることを切に願った。
しかしそんな僕の願いは天に届かなかった。
それからしばらくしておじちゃんが「お待たせお待たせ、ほら」と差し出したのは、僕のうちにあるプラモとそっくり同じやつの完成品だった。
伊藤さんのおじちゃんが大義名分を得てご家族の非難をかいくぐり、童心に帰って作り上げたプラモの完成品だった。
ああ、やっぱり。
しかも、持ってるのとまったくおなじやつじゃん。
伊藤さんのおじちゃんは嬉しそうに、僕が作ったプラモの隣に自分が作ったプラモを置いた。そして何か言って欲しそうに僕の方をチラチラ見た。
「百歩譲って」なんて言葉は、当時の僕はもちろん知らなかったけど、百歩譲って完成品だとしてもせめて違うプラモにしてくれよ、という気持ちが、僕の心をいっぱいにした。
でもそんなことはひと言も言わなかった。言えなかった。たぶん少しだけぎこちなくお礼を言って、さしてうまくもない完成品のプラモを受け取ったと思う。
何かを手に入れたかわりに何かを失った。
そんな夏だった。
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