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もずくと『イラスト・マンガ』との【ちょっとした関係】

どうも、皆さん。
元看護師な医薬品登録販売者・もずく(@mozuku_on7sea)です。

数年前まで、note上では『市販薬勉強系』の記事の投稿・公開を
していたんですが…

ブログやSNS、《新しい創作活動》との両立ができず、
しばらく投稿を中止していました。
(『市販薬勉強系』の記事を楽しみにしていた方、ゴメンナサイ…!/汗)

投稿しないけど、他の方の記事は読む…
いわゆる『ROMってる』アカウントでした。

今後、少しずつnoteでの記事投稿を再開したいと思います。

今回は、noteでの活動再開に至った経緯と、
私と『イラスト・マンガ』との【ちょっとした関係】について
一つの《記事》というカタチで
書き記しておきたいと思います。

自己紹介を兼ねた【自分語り】なので、
有益かどうかはわかりませんが…
0.1ミリでも、アナタの心の琴線に触れるモノがあれば幸いです。

それでは、いってみましょう!

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


1.幼少期 ~感情のままに、自由に描く~


ソレは、もずくがまだ物心つく前の話。
もしくは、忘却の彼方にある過去の話。
母が苦笑いしながら話してくれた昔の話。

昭和末期~平成が始まった頃の話。
どういうワケか、部屋の机の上に置いてあった
黒い鉛筆と赤い鉛筆。
これらを何かの拍子で、手に取ってしまった幼いもずく。

「やけに静かに過ごしている」事に気付いた母が、
部屋を覗くと…

賃貸(市営住宅)の壁をキャンバスに、
黒と赤の線がランダムに、無数に駆け巡っていたそうで…。

描いた道具が鉛筆であったため、
消しゴムで消して(結構大変だったらしいが…)
何とか事なきを得たそうだ。

それ以来、幼いもずくには
『自由帳』『落書き帳』の類が与えられた。
「借りている部屋の壁や襖に、これ以上何かを描かれてはマズイ」からだ。


自由帳は真っ白で、その名の通り『自由』だ。
自分の好きなように、好きな色で
描いたり塗り潰したりできる世界が広がっている。

成長と共に、色鉛筆やクレヨンも使えるようになった。
絵を描くのが好きなのか、描く時はものすごく集中して
描いていたので、おとなしかったらしい。
絵を描かせている間に、
母は買い物に行って帰ってくる事ができたくらい…らしい。
(当時、絵を描いている間は、
母が外出している事実にも気付かなかった模様)

また、幼稚園での制作や工作においても、
『割としっかり絵が描けてた方』らしい。

2.小学生・中学生・高校生の話

2-1.小学生の頃 ~図工の授業と《トロンボーン》~


小学生の頃には、何と低学年の頃から
『オリジナルキャラ』を描いていた。

(当時見た何かしらのアニメの影響を受けていそうな気もするが…?)

↑こんな感じ。 くコ:彡
何て名前を付けたか、全く覚えていないが…
見た感じつくづく『おめでたい』と言うか…
『お笑い系』のイカである。
(ちなみに…『イカ大根』は、好きな食べ物の一つ/笑)

図工の授業は好きだった。
絵を描く時の色の使い方など、随分と工夫した記憶がある。

『見たモノをありのままに描く』写生は、不思議とやや苦手だった。

たが、少しでも《オリジナル》要素や
《創作》要素を入れてもいいならコチラのモノ。
夏休みのポスター系の宿題の内、『火の用心』のポスターは
一度《賞状》を貰った経験がある。
コレはとても嬉しかったので、今でも描いた絵の一部を覚えている。

ポスターの宿題と言えば、他に『愛鳥週間』のポスターがあったが、
コチラは賞にかすりもしなかった。
図鑑を見て、鳥を描いていた記憶はあるが…
何だかうまく描けず、絵の構図もありきたりになってしまい、
「え~、めんどくさーい」とかナントカ言って、
描くモチベーションが低かったような記憶がある。

夏休みの工作は『自由研究』と『工作』のどちらかが
選べたが、6年間ずっと『工作』を貫き通した。
構造が少し難しいモノも、何とかして作っていた。

絵にはあまり関係がないかもしれない余談だが…
当時、小学校の課外活動で『鼓笛隊』というモノに所属していた。
そこで小4から『トロンボーン』という金管楽器を吹き始めた。
(紆余曲折あったが、自分の楽器を持っており、
現在も細く長く続けている趣味の一つである)

この『トロンボーン』という楽器は、ご存知の方もいらっしゃるとは思うが
《スライド楽器》である。
伸びたり縮んだりして、自由に音程を変えられる楽器だ。
「このキーを押さえれば、この音が出る!」という確実なモノはなく、
全て自分次第。
自分の口で、息で、手で、耳で、音の感覚を掴んでいく必要がある。

この自由さが、イラストやマンガにも影響している
可能性があるかもしれない
ため、
ココに念のために書き記しておく。


2-2.中学生の頃 ~美術の授業~

中学生の頃、割と記憶に残っているのは
時間さえあれば『社会』の資料集や『美術』資料集・教科書を
眺めていたことだ。絵がたくさん載っているのを眺めるのが好きだった。

また、『美術』の授業で絵を描くのは好きだった。
描いた絵を、美術の先生に時々褒められた事もあった。
(ただし、ペーパーテストの点がイマイチだったので、
成績自体は”お察し”レベル)

特に記憶に残っているのは、中三の後半の制作物『創作絵本』
真っ白な絵本が与えられ、ストーリーとイラストを
自分で考えてイチから絵本を創る…というモノ。

コレで、私の描いた絵本は『美術担当教師が選ぶ部門』において
優秀な作品の1つに選ばれた。
コレはとても嬉しかった。
(『生徒同士での人気投票で選ぶ部門』では選ばれなかった。
そもそも、クラス内では存在感の薄い人間だったので…/苦笑)

確か、誤って空から地上に墜落してきた星と、
ソレを見つけた人間の話を描いた記憶がある。

確か、最後はハッピーエンドだった気がする。

余談だが、仲の良い友人とは『絵日記』のやり取りもしていた。
結構長く続けられたのも、
『絵』の要素を入れていい日記だったから
だと思う。
文章だけの普通の交換日記だったら、そこまで長くは
続かなかったかもしれない。

2-3.高校時代 ~落書きの祭典 on the desk and textbook~

歴史が好きで、『世界史』を選択したもずく。
教科書に載っている人物の肖像画・写真には、結構な確率で落書きをしていた。
中学生の頃もしていたが、高校の時はかなり落書きをこじらせていた。
(手元に、証拠品である教科書が無いのが残念だが…)
教科書をよく見ていたせいか、テストの点数は割と良かった。

また、机にも落書きをしていた。

↑理系で、化学が得意なので…
『ベンゼン環』の真ん中に顔を描くのが好きだった。
(今でも顔を描く/笑)
コレのどこかを『○○○基』に置換したら
物質の名前が変わるので、真ん中の表情を変化させるのだ。
(テスト時には”カンニング”になってしまうので、その時だけ消していた)

誰かに絵を習ったワケでは無いが、
ちょっとした『落書きレベルの絵』を描くのが好きだった。

↑部活(吹奏楽部)で使う自分の楽譜に、
こんなキャラを描いていた。

また、中学時代・高校時代は、当時ハマっていた
マンガのキャラを模写して描くのが好きだった。

自由帳・スケッチ帳の類を、少ない小遣いをやりくりして買っては、
シャーペンや鉛筆でキャラのイラストを描いていた。
人物画は、顔や体のバランスを取るのが難しく、
そこまで上手には描けなかった。
(現在も、人物画はそこまで上手ではない)

ハッキリ言って『個人の趣味レベル』であり、『自己満足レベル』だ。
だが、それでも『描く事そのもの』が好きだった。

描いている時は、ものすごく集中していたし、楽しんでいた。
思春期にありそうな複雑な悩みも、”絵を描いている時”と
”楽器を吹いている時”は忘れていた。

『描く事そのもの』は好きだが、コレを生業にしようとは考えなかった。
上述した《トロンボーン》も同じく。
これらは『上には更に上がいる』シビアな世界だし、
「コレを仕事にしてしまったら、いつか仕事で
どうにもならない困難にぶち当たった時、

”絵を描く事”や”楽器を吹く事”そのものを
嫌いになってしまわないか…?」という懸念があったからだ。

3.大学時代→社会人 ~顔を描き、”オリキャラ”化せよ~


ある国公立大学の看護学部に進学したもずく。
解剖学・生理学・国試の参考書の中には、
顔が描かれ、キャラクター化された臓器が至る所に存在している。

看護師(暗黒の約五年間…別の記事で語る事とする)を経て、
『医薬品登録販売者』としてドラッグストアで働く事に。
当時所属していた『看護師系コミュニティ』(現在は解散)からの縁で、
『薬』に関する寄稿をする事になった。
(現在も不定期連載中である)

この寄稿では、薬の成分について学ぶ科目(『薬理学』と言う)の
内容について、看護学生向けにわかりやすく解説している。

↑この『シリーズロゴ』も自分で考案した

『薬』の名前は横文字(カタカナ)が多く、
下手したらワケのワカラナイ呪文かなんかに
聞こえてしまい、覚えるのは難しい。
なので(?)、思い付くままに『キャラクター化』してしまった。

キャラクター化する事で、文字情報だけでなく
視覚的な補助を得られるので、不思議と記憶に残りやすくなる気がする。

4.もずくと《登録販売者マンガ》


描き始めたキッカケは、もずく自身の突然の閃きだった。 
様々な職業がマンガ・ドラマで題材に取り上げられる中…
『医薬品登録販売者』を取り上げたモノ / ほぼZero

そこで、ある考えに辿り着いた。

『既存作品がありそうで、実は無い。
ならば自分が、この手で描いてしまえば良いのではないか…?』

そんな大胆な発想に至ったもずくは、
2019年10月から《登録販売者マンガ》を描き始めた。

『資格成立からの歴史が浅い”医薬品登録販売者”という存在の
認知度を高めたいし、市販薬を買う時に上手く活用して欲しい』

という考えが、マンガを描く原動力の一つだ。

 幼少期から、近所の某ドラッグストアに買い物に通っていた。
働き始めて、客⇒スタッフに視点が変わった時、ある事に気付いたのだ。

ソレは、『ドラッグストアはネタの宝庫である』という事。日々、様々な人間模様や、ソレに伴うドラマが大なり小なりある。「コレは、マンガにしたら面白いのでは…?」と思った。

《マンガの元ネタ》
・もずく自身の店頭での体験談
・ドラッグストア店員の皆様のSNS上の声

ブログ『もずくの徒然漂流記』より

《マンガの概要》
・人物はデフォルメ
・基本は4コマ漫画(題材によっては4コマ以上)
・画力はお察しレベル(背景は行方不明)
・完成したらSNSにup
・意見・感想は、SNSコメント欄へ

ブログ『もずくの徒然漂流記』より

↑このような感じで描いては、SNSにupしている。
ありがたい事に、同業のフォロワーの方々から
共感の声を多数頂けるようになった。
また、『ネタがほぼ無尽蔵』なので、ネタ切れの心配/Zeroである。

マンガを描きまくった末に、『将来的にどうしたいか』目標だけはあった。ソレは、紙媒体や電子媒体での『書籍化』だ。

ただ、具体的にどうやって書籍化に漕ぎ着けるかがわからなかった。
ひたすら手を動かしてマンガを描いては、SNSにupしていた。

『出版社の方からの連絡を待つ』という、
途方もなく『他力本願』…かつ、実現可能性が低い事しか
当時はアタマに思い浮かばなかった…。

5.もずくと《Kindle出版》と《note》

ドラッグストアで働きながら、《登録販売者マンガ》を描いては
SNSに放流していたある日…
ふとしたキッカケで、
『”Kindle出版”が激アツ!』という
情報を掴んだ。

しばらく情報を深堀りしてみた。
何と、自分の書いた本やマンガ等を
電子や紙のカタチで出版する事ができる…という。

「コレだ!」と思った。
これなら、出版社の方からの連絡を待たず、自力で出版する事ができる。

この波に乗るしかない!
チャンスの神様には、前髪しかないという。
ならば、今このタイミングで、前髪を引っ張って捕まえる…!

そんな経緯で、もずくは1冊目となる本を書き上げ、
『Kindle作家』デビューを果たした。

また、SNSに数年にわたってSNSに幅広く撒き散らした
《登録販売者マンガ》は、電子化して
この”note”に、《noteマンガ》としてupしていく予定だ。
(蓄積するネタの消化速度を上げるため、SNS上では
アナログ絵+アプリで文字入れしてupしている)

いつの間にか《マンガ》というカテゴリが創設され、
投稿できるようになっていた事は
非常にありがたい事だし、個人的にとても嬉しい。
”note“という場を通じて、
より多くの方に、自分の作品を届ける事ができるからだ。

また、『市販薬勉強系』の記事の投稿・公開も
適切な時期に再開していく予定だ。
(多分、早くて来年かと…)

6.もずくが『今、思う事』

思えば幼少期からずっと、『自由に絵を描く事』が好きだった。

時々高く評価されたこともあったが、正直言って
絵のレベルは決して高くはない。
『個人の趣味レベル』であり、『自己満足レベル』だ。
それでも良い。そのままでも良い。

『描く事そのもの』が、何らかの理由で嫌いにならなくて
本当によかった。

また、大人になっても『絵を描く事』が好きで、
こんなにも描き続けられるとは
正直思ってもいなかった。

『自由にイラストやマンガを描く事』は、
今や自分の《人生の一部》と言える。

口下手でインドア派、かつ陰キャ(自称)な自分が持つ
《自分を表現する手段》の一つが、
『イラスト』であり、『マンガ』なのだ。

人生、何が起こるかわからないモノである。
また、ほんのちょっとしたキッカケで、人生は変わるモノだ。

だが、余程の事があっても、
筆を完全に折る事はしないだろう。

今日も明日も、田舎(山)の片隅で
自由に絵を描き続ける。

(終)


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