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*h₂ŕ̥tḱos [arctic/Arthur/ursus/रीछ]

クマについてのあれこれ ~lacolacoさんの英語語源辞典通読ノートからのインスピレーション~

bearの語源は、印欧祖語の *bʰerH- ("brown")。beaver も同語源。*bʰerH- がサンスクリットにくだると बभ्रु (babhru) となる。意味はもちろん "brown" で、こちらもまさに茶色い動物のことを指す。ただし बभ्रु (babhru) は クマではなくマングースのことを指すようだ。マングースには नकुल (nakula) (ヒンディー語では それから派生した नेवला (nevlā)。語源は不明) というそれそのものを指す語彙が別にある。また、インドにはビーバーがいないので、水生動物のカワウソはどうかというと、ऊद (ūd) という語がある (ūd は otter と同語源) 。बभ्रु (babhru) から派生して動物の名前になったものは、パーリ語でネコを意味するbabbu ぐらいのようだ。なので *bʰerH- ("brown") から派生した बभ्रु (babhru) は茶色の動物といっても比較的小型のものを指したのかもしれない。

बभ्रु (babhru) が現代ヒンディー語にくだると भूरा (bhūrā) となるが、動物の意味はなく茶色という意味だけ。भूरा (bhūrā) "brown" が भालू (bhālū) "bear" と似ていて紛らわしい。ただし、後述するが、ヒンディー語の भालू (bhālū) "bear" は *bʰerH- (“brown”) とは関係がない。

印欧祖語で "bear" を意味する語根は別にあり、ゲルマン語やスラブ語には同族語が残っていないらしいが、ギリシャ語・ラテン語・ケルト語・サンスクリットにはある。

“bear”
印欧祖語: *h₂ŕ̥tḱos / *ṛkto-
サンスクリット ऋक्ष (ṛkṣa) → ヒンディー語 रीछ (rīch)
古代ギリシャ語: ᾰ̓́ρκτος (árktos)
ラテン語: ursus
中期ウェールズ語: arth

おおぐま座の英語名 Ursa Major はラテン語の ursa maior から。うしかい座のα星が Ᾰ̓ρκτοῦρος (アルクトゥーロス) なのは、おおぐま座の後を追いかけて行くように見えることから、「熊を護るもの ᾰ̓́ρκτος (árktos, “bear”) +‎ οὖρος (oûros, “guard”)」を意味する名前がついた。おおぐま座のある方角ということで、ἀρκτικός (arktikós) は「北の」「北極の」「北極圏」を意味する。ἄρκτος (árktos, “bear”) +‎ -ικός (-ikós)。

アーサー王のArthurはラテン語Arthurusからだが、元をたどれば古ウェールズ語から来ているらしく、ケルト語の*artos (“bear”)つまり*ṛkto-につながるようだ。ゲルマン系はオオカミが好きだが、ケルト系はクマにヒーロー性を見ていたのだろうか。

*h₂ŕ̥tḱos は 印欧語根 *h₂retḱ- ("to damage, harm") に遡るかもしれない。そうすると、रक्षस् (rákṣas) "damage, injury; demon" とつながっていることになる。रक्षस् (rákṣas) は音変化して राक्षस (rākṣasa) さらに転化して राखस (rākhas) となる。ヒンドゥー神話では鬼神ラークシャサ (シータ姫をランカ島[スリランカ]にさらってハヌマーンの助けを借りたラーマに倒される悪魔ラーヴァナがこの種族) だが、仏教神話では守護神の羅刹天。羅刹天は守護神なのだという考えから、राक्षस (rākṣasa) の語源を "demon" の रक्षस् (rákṣas) ではなく守護を意味する रक्ष् (rakṣ) にたどろうとする解釈もあるようだ。ちなみに守護の意味の रक्ष् (rakṣ) [印欧語根 *h₂lek-/*alek] は Alexander の alex の部分に隠れている。

インドに分布しているクマは、ツキノワグマやヒグマは北部の山岳地帯で、亜大陸部分に生息しているのはナマケグマという種類らしい。大道芸で芸をするところを見ることがある。ヒグマが2mを超えて恐ろしいのに比べ、大道芸のクマは小柄なイメージがある。

ヒンディー語でクマは2通り言い方がある。ひとつは前述のサンスクリットऋक्ष (ṛkṣa) から来た रीछ (rīch)。रीछ(rīch)と聞くと獰猛で野生の、出くわすと人を襲うこともある大型のクマを連想させる。おそらくヒグマのことだろう。ヒグマはヨーロッパにも分布している。

もうひとつは भालू (bhālū) で、サンスクリットの भल्लूक (bhallūka) から来ている。भल्लूक (bhallūka) には縁起がいいという意味があって、“幸運”や“吉兆”に関する語彙には共通して भल् (bhal) がつく。その語源は better に連なる*bʰed- ("good") から来ている。भालू (bhālū) は曲芸用に飼いならされたクマで、動物たちが出てくるお話ではこちらの語が使われる。ナマケグマはヨーロッパに生息しているものと種類が違うので、*ṛkto-系の語彙 ऋक्ष (ṛkṣa) や रीछ (rīch) と呼ばなかったのだろうか。

なぜクマを指すのに幸運や吉兆に関係する語が出てくるのか不思議だった。クマを"怖れ畏む対象"として見る習わしが根底に残っているからだろうか。ゲルマン語やスラブ語などでは危険な動物であるとタブー視されて直接名前を呼ぶこともしなくなったが、インド語派では吉兆なものとしての印象が発展したのか?रक्षस् (rákṣas) の場合もそうだが、インド・イラン神話では善神と悪神が入れ替わることがよくある気がするが、それも関係するのか?語源探査には欠かせないはずなのに、アヴェスターやヴェーダ時代の文化について何にも知らないなと反省するこの頃。

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