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相手にしなくていいのに


 インターネットの普及によって少数派の意見が広く知られるようになっている。僕のような一般人からすると夢のような時代になったものだ。ありがたい反面、今回はその弊害について思うことを述べる。結論はタイトル通り「相手にしなくていいのに」である。

 例えば時事的な話題に多くみられる、発信元が明らかではない批判的な意見。正論を振りかざしているが、反論をする場は提供されておらず、どこかでの書き込みだけが広がっている。どんな主張をしても勝手ではあるが、発信元不明であれば、昔の同僚のいい方を借りれば「便所の落書き」と同じである。便所の落書きに腹を立てる必要はないし、ましてや真面目に反論する必要もない。相手にしなくていい。

 次に、著名人が発信するコメント。そもそも本人かどうか分からないし、仮に本人であっとしても、その領域の専門でもない、根拠も示していない意見に耳を傾ける必要はない。まともに取り合って話題にすれば発信者の思うツボである。彼らは時には自虐的な内容でさえも不特定対象に発信することで存在を示し生き残りをかける。「炎上」させることが目的といえる。相手にしなくていい。

 更には、最近、女性やアスリートに対してみられたのだが、時事的な話題にコメントを求める世論(そもそも世論と呼ぶにもふさわしくないが)。SNSなどで発信元が不明な人たちが盛り上がって特定の人に返信、発信を強要する。ひと昔前なら面識のない人にコメントを強要するなんてことは考えられなかったが、今では応じなければ更なる批判の対象となる。話題に関連する人であれば公にコメントをして当然、しないのは逃避、卑怯と見なされている。もちろん発言しない権利は踏みにじられている。相手にしないのは勇気がいるが、これも堂々と相手にしなくていい。

 最後に、インターネットとは関係がなく、昔からあることと思われるが、声の大きな一部の不当な意見が優先されているという状況。僕の職場でもあるけれども、不当な要求、クレーム処理に手を取られて、「普通に」ルールを守っている人が待たされている、後回しにされている。クレームは真摯に対応すべきであるが、優先順位が違っている。「優先順位」これを間違えていることが本問題の根本原因となっていると考えて付け加えた。
 
 相手にしなくていいのに

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