無駄な事ほど大事だと思う

主婦やって、子育てして…って生活してると、どうしても無駄なものを省いて生きてきた気がする。

家計のために無駄なものを買わないようにとか、子供達が大人しいうちにできるだけ家事をやりたいから一息つく時間すらもったいないとか。仕事が終わって店から出た瞬間から小走りで買い物行ったりお迎え行ったり。

みんな当たり前にしてる事だと思ってたから自分も当たり前にしてきたけど、やっぱり苦しくなるんだと気付いた。

昔から仕事が忙しくてバタバタしてる日はお客様が帰ったあとすぐに片付けて帰るなんて無理で、とりあえず座ってボーッとしてからじゃないと動けなかった。

だからサッと片付けて帰って行く先輩達はそれ程慣れてこの忙しさも平気なんだろうなって思ってたけど、そういうわけでもない。

今は割と動けるはずなのに、本当は休憩したいけど今止まればもう動き出せないとわかってるから止まらず動いてしまう。

あのボーッとする時間も本当は無駄じゃなくて、頭を少し休める必要な時間だったんですね。

これからは休んでもいいんだよ、と自分に言い聞かせながら動こうかな。


子どもの頃好きだったものってほんと無駄なことばっかりだったと思う。

でもそれは無駄というより、生命の維持には必要ないけど心の安定には必要なものだったんだと思う。

風船とか、ただキラキラした物とか、幼稚園のバザーでは毎年孔雀の羽を買ってもらってた事もある。

今思えば昔から好きな物は変わってない。

大人になって排除しまくってた感覚も、また子どもと一緒に感じながら生きるのも楽しそうだなぁと。

そうやっていろんなものを見て感じたことを素直に認めていけば、また違う道も見えてきそうかなぁと思いました。



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