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8. 紆余曲折後、漸く不妊治療へ

夫のフーナーテスト拒否、私の自暴自棄、そして別居と、紆余曲折ありましたが、今度こそ夫婦揃って不妊治療クリニックの門を叩くことに。 

別居中の生活と体と心の変化

別居中は夫と頻繁に連絡を取り合った。お互いの誕生日と年末年始だけは一緒に過ごした。

私は基礎体温を毎日欠かさず計り、ジム、ホットヨガ、英会話教室に通い、生活リズム、食生活を見直した。たまに吸っていたタバコもキッパリ止め、心身の体調管理に徹した。正直に書くと、お酒はやめられなかったが、頻度と量を決めて飲み、記憶をなくしたり、朝まで飲むことはしなかった。普通の人にとっては当たり前かもしれないが。

当時やせ型だった私は、この機会に健康的に体重を増やすことにした。運動し、もりもり食べ、早寝早起きを厳守して睡眠時間を確保した。実際に5キロほど増え、同僚が気づくほどになったが、顔色も良くなり、見た目にも健康的になったと言われた。

私はこの別居生活でだいぶ心をほぐしていった。妊婦さんや赤ちゃんを見て泣きたくなるようなことも少なくなった。妬みによる嫌味を言いたくなることも減った。もちろん羨ましかったが、それまでのように攻撃的になることはなかった。

黒い感情が沸き上がったとしても、全て受け入れようと思ったら楽になった。他人が羨ましいと思う自分が卑しいと思うのはやめた。純粋に羨ましい。素直にそれを認めよう。

友達の妊娠を知らされたとしても、おめでとう!あーいいなぁ、羨ましい!私も子供ほしいんだよね!と言えるくらい素直になろうと思った。

夫に計画が承認されてからは、だんだん不思議と自然にそれができた。これから不妊治療ができる、とむしろワクワクする気持ちが芽生えてきた。それまで感じていた捻くれた嫉妬が純粋な羨望に変わっていくのを感じた。

妹の妊娠

しばらく冷静になる期間を設けたことで、私の心身は健康に近づいた。もし手を尽くした結果、子供を授かることができなくても、不妊治療を経てそうなるのであれば納得できるだろうとさえ思った。

あと1か月で別居生活も終わりを迎えるという頃、母親から連絡が来た。妹の妊娠報告だった。もちろん私の不妊治療のことは話しておらず、別居についても仕事上のやむなく、ということになっている。妹は私が結婚した翌年に結婚している。

既に自分を取り戻していた私は、素直に妹の妊娠を喜んだ。もちろん羨ましくないと言ったら嘘になる。しかし、すぐに私も妊娠できるという根拠のない確信があった。うちのときは、妹の子供のお下がりを頂こうと妄想し、ワクワクさえした。

母親がとても喜んでいるのが伝わってきて、こちらまで幸せな気持ちになった。同時に、私も早く孫を抱かせてあげたいという気持ちを強くした。

ふと、この妊娠報告が別居前にあったとしたら、と思うと恐ろしくなった。きっと私は素直に喜べないどころか、嫉妬に狂った言動に走っていたかもしれない。または、黒い感情を隠すために沈黙を貫いたかもしれない。大切な妹のお祝い事を心から喜べず水を差すようなことにならずに本当によかった、こう思ったとき、あぁ、私はもう大丈夫だな、と思った。

心機一転、新しい生活へ

それからまもなく、私たち夫婦は再び一緒に住み始めた。別居前に住んでいた家は解約し、心機一転新しい家を借りた。

再び同居を始めるその日に、体外受精専門クリニックに初診を受けに行った。別居前に調べ、夫にも承認を得た有名クリニックだ。人気クリニックだったが、絶対に再び一緒に住み始める日に初診を受けたいと思い、予約開始の一か月前に早々予約を取っていた。

こうして漸く私たちはスタートラインに立つこととなる。

続く

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