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あの頃のぼくに夢はいらなかった

 小学4年生の時、10才を祝う会という学校行事があった。体育館の中で、生徒達は整列し、パイプイスに座っている保護者と向かい合っている。そして一人ずつ、将来の夢を発表していった。ぼくは「獣の医者」と書かれた八つ切りの半紙を広げ、こう言った。「どんな動物でも助けられる、獣医になりたいです!」
 
 それから10年。私は今、大学で獣医学を学び、あの頃抱いた夢へと前進している!・・・とはならなかった。10才を祝う会の後から長い間、獣医になりたいと言い続けていた。しかし、大学受験の進路選択で将来を考え直し、工学系に進んだ。
 そもそも、どうして獣医になりたいと思ったのだろう?
 
 きっかけは「ピーコの祈り」という本だった。捨てられたペットが保健所で殺処分されることを知り、ぼくはショックだった。そして思った。動物達を助けたい。獣医になろう!
 
 一目惚れのように夢を抱くことは、小学生にはよくあることだろう。だがこれは、無条件に起こるのだろうか?一目惚れして恋に落ちるのは、恋人がおらず、かつ恋人を求めている時だと思う。同様に、ぼくには夢がなく、何かしらの夢を欲しがっていた。
 小学校時代、「将来の夢は?」は「好きな食べ物は?」と共に自己紹介シートの双璧をなす質問だった。友達からも先生からもたびたび聞かれた。そんな環境にいたので、「夢を持つことは当然」だと思っていた。「将来の夢は?」と聞かれて「特にない」と答える子供の気持ちは、「バイト何してる?」と聞かれて「何もやってない」と答える大学生の後ろめたさに似ている。
 
 また、一目惚れと書いたが、ぼくの場合は若干の矛盾があった。サッカーの試合を見て、サッカー選手を目指すのとは違って、獣医の仕事を見てそうなりたいと思ったわけではないからだ。殺処分される動物を助けるには、動物保護団体に関わったり、保健所の職員になって、里親が見つかるよう尽力するのが直接的だと思う。なぜ獣医に飛躍したのか。それは、「社会的地位と給料が高い」からだった。
 
 ぼくの抱いた夢は、「夢を持つことは当然」であり「社会的地位と給料が高い」仕事がいい、という常識の影響を強く受けていたのだ。
 
 その後、本当に獣医になりたいのか疑問に思うことは何度かあった。しかし、夢はないよりはあったほうがいいと考えていたので、そうなりたいと言い続けた。受験前に、実際に進路選択をする必要に迫られてようやく、別の方向を考えることができた。
 
 大人は子供に夢を描かせたがる。それは、子供に無限の可能性を感じているからかもしれない。だが、その思いとは裏腹に、子供は職業に関する少ない情報と、常識をもとに夢を選ぶ。そうして夢を抱いても、その実現のために今日できることがないならば、夢は単なる空想でしかない。未来にぼんやりとした焦点をあて、将来やりたいことを見つけるより、今、夢中なものがある方がよっぽどいい。「将来の夢は?」そんな質問に答えられなくていい。それよりも胸を張って答えてほしい質問がある。「今、夢中になっていることは?」

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