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紐 〜さがすを観て〜

  生きることはどれほど尊いことなのか。紐で人生が決まることを本作で実感した。


【以下ネタバレが含まれます。ご注意ください⚠️】


  新年一発目に本作を選んだのは大大大正解だった。
佐藤二朗の名演っぷりは昨年ネトフリで「はるヲうるひと」を鑑賞し知っていたが、それを優に超えてきた。佐藤二朗自己ベスト更新!w 
父娘愛、自殺、安楽死、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、様々な要素が絡み合った本作の感想として私は自殺と安楽死に注目する。


“死にたい”


  この感情は程度によるが多少誰しも生きていれば一度は抱える感情だろう。清水尋也演じる指名手配中の連続殺人犯・名無しこと山内照巳は、自殺志願者の魂の救済を大義名分に殺人を繰り返す。その発端は佐藤二朗演じる原田智に大きく関わってくるのだがそれは本編を観ていただきたい。魂の救済として行う山内の殺人は、自身の殺戮本能やそれによって得られる快楽を目的にしているようにしか思えなかったし、観ていて恐怖しか感じなかった。飄々としていて不気味な表情を浮かべる山内は清水の適役だと感じた。山内は障がい者施設で介護士をしていた。生きる望みが絶たれかけている患者を看て仕事のやりがいや人生の生きがいを無くしてしまったのだろう。人生の新たな生きがいとして自殺志願者の救済を元に殺人を楽しむ姿は決して許されるものではない。本編終盤で原田が“生かしておけない”という想いから彼を殺害したと推測すると、共犯者ではあるものの、悪者を倒すヒーローに見えてしまった。その殺害シーンを観た瞬間、「原田、よくやった!」と心の中で叫んでしまった。
  自殺や安楽死の描写から“死にたい”という願望ほど叶えられない、叶えてほしくない願望は無いなと感じた。その願望を叶えることはつまり殺人になってしまうから。原田がALSで苦しむ妻を手にかけた瞬間思い留まったのは殺人犯になってしまうという想いが脳裏によぎったからだろう。こんなに苦しむなら死んで楽になってしまいたいという患者の意思をその家族はどう受け入れるか?その問いを投げかける本作。私がもし患者の家族なら生きていてほしいという想いがありつつ、その想いよりも結局は本人の意思を尊重したいという想いの方が強い。


  前述の“紐で人生が決まることを本作で実感した”というのは、首吊り用の紐を見て、

これっぽっちの細い紐で
  人の生死が決まってしまうのか・・・


と思ったからだ。自殺志願者にとってその紐が救いの紐だとしても、その者を亡くし残された者にとって最悪の紐になる。私は本作を観て紐は紐でも物理的な紐ではなく精神的な紐を活かしたいと強く思った。その精神的な紐とはつまり絆や人との繋がりだ。本編で自殺志願者を募ったSNS。あれは殺人に使うコンテンツではない。SNSを使っていて私はアイドルが好きである為そのファン同士で繋がり、時にそのファンが救いになることがある。本編で描かれた自殺志願者のDM。あのDMはその者達の見逃せないSOSだと感じるし、山内に妻の殺害を依頼した罪悪感があったとしても原田なら救えたんじゃないか?という後悔が残る。見知らぬ他人でも

   死んでほしくない。


というメッセージを送れば救えたかもしれない。

  第26回釜山国際映画祭ニューカレンツ(コンペティション)部門正式出品作である本作。その出品に相応しい名作だと感じた。また、“考えさせられる作品はやっぱいいな。”と改めて思う作品だった。まだ鑑賞していない方は是非とも観ていただきたい。











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