【小説】遺言状・ザ・ベスト 第5話.信者と劇、帰り
駅から出てきた人がバスに乗り、バスから降りた人が駅に向かう。そんな光景をボーッと見ながら今日は何をしようかと考える。
そろそろ夏休みの終わりが近づき、貯金もかなり減ってしまった。旅行をあと数日で終えなければならないという現実とまだ家に帰りたくないという思いが共存している。
そんな気持ちもあって、東京と地元のちょうど真ん中くらいにあり、都会と呼ぶには人が少なく田舎と言うほど廃れてもいないこの街で数日間過ごすことにした。
この街は観光地というわけではない。とりあえずホテルを予約してチェックインしたはいいものの、何もすることがなく、今はこうして駅前でのベンチでボーっと人の流れを眺めている。
近くにショッピングモールがあるから買い物でもしてみようか、それともホテルに戻って部屋でゴロゴロしながら過ごそうか、はたまたこの街から離れて都会まで遊びに行こうか。
何もない日というのはこうやって悩んでいる間に終わってしまう。残り少ない旅行なのに、1日を悩みで消費するのは勿体ない。
そう思って、僕は近場のショッピングモールに行くことにした。バスもあるが、徒歩で向かう。知らない街を歩く、これも今しかできない貴重な経験だ。
ショッピングモールについた僕は、最初に電気屋に向かう。数か月前からスマホのケースがボロボロでフィルムは割れ始めていたからそろそろ交換したい。色々と物色してから透明で無難なスマホケースとパッケージにゴリラが描いてあって絶対に割れなそうなフィルムを買った。
その後は、服、カバン、雑貨、ペットショップ等々、長年欲しいと思っている物から一度も欲しいと思ったことが無い物まで色々な店を見て回る。
人生初のウィンドウショッピングに興じていると、ふと遠い昔にお母さんと一緒に行った博物館を思い出した。自分の興味のある物から使い方がよく分からない物まで、様々なジャンルの物をただ見て回るだけのこの感覚は、博物館を見学している時の感覚と似ている。気になった物はすぐ買うことが出来る分、博物館よりショッピングモールの方が現実的で夢があるかもしれない。
そんな現実的な博物館の中を徘徊し、次はどこに行こうかと考えながら施設案内図の前で立つ。平日の昼間で人が全然いないので、ゆっくりじっくりと悩み、次は本屋に行くことに決めた。本にはあまり興味はないけど、暇つぶしにはなるだろう。それに、今は見てみたい本が1つある。
本屋に着いた後、小説コーナーに直行し、目的の本を探す。探しているのは、先日会った小説家、三又 空雅みまた くうがさんの本だ。1番売れている本のタイトルだけ教えてもらったのでとりあえずその本を探す。
探し始めてから数分、意外とすぐに見つかった。三又さんは本名で活動しているわけではなかったので、作者名から探すことはできなかったけど、かなり目立つ場所に教えてもらった本が置いてあった。
帯を見ると、権威ある賞を受賞した旨が書いてある。三又さんは意外とすごい小説家みたいだ。三又さんの本を手に取り、少しだけ他の本を見てから購入して本屋を後にする。
欲しかったものは全て買い、興味ある店から興味ない店までほぼ全てを見終わってしまったので、いよいよやることがない。いくら博物館みたいに広いショッピングモールでも2週目をするほど飽きない場所ではない。これ以上ここでやることがないので僕は出口に向かう。
ショッピングモールから駅に戻って、朝と同じベンチに腰を掛ける。初めての土地で精いっぱいの暇つぶしをしても時刻はまだ14時30分。1日を終えるにしては早すぎる時間だ。
これから何をしようか、どこへ行こうか。そう考えていると、
「あなた、朝もここにいたわよね」
振り返るとそこには中年の女性が立っていた。暗い色のワンピースに白くて薄いカーディガンを羽織っていていかにも『おばさん』といった見た目だ。
「えぇ、いましたよ」
この旅行で、初対面の人に急に話しかけられる機会が何度もあった僕は、特に驚きもせず返答する。そんな自分に少し成長を感じる。
「あなた、高校生ぐらいに見えるけど、平日の昼間からこんなところで何をしてるの?」
「今は夏休みで学校ないんですよ、今は旅行中なんですけど、これからどうしようかなって考えてて」
「あら、そうなの。ご家族はどこに?」
「あぁ、旅行は1人でしてるんです」
「まぁ! そうなの? 高校生の子が一人で旅行なんて、何かあったのかしら?」
このおばさん、なんだかめんどくさそうだ。
高校生の一人旅行に驚かれる機会もこの旅行で何度もあったからもう慣れたけど、このおばさんは、話し方、声のトーン、表情まで、今まで出会ってきた人とは違う感じがして、なんとなく関わってはいけない雰囲気が醸し出されている気がする。
「私でよければ、話でも聞きましょうか?」
すごいぐいぐいくるな、このおばさん。
高校生が1人で旅行するのが珍しいとはいえ、それだけでこんなに距離を詰めて来るだろうか。以前会った舞衣さんにも同じようなことを言われたけど、ここまでガツガツした感じではなかったし、なにより状況が違う。あの時は入水自殺を企てている人に見えたかもしれないけど、今はただ駅前のベンチに座っていただけだ。
「いえ、大丈夫です」
「そうは言ってもあなた、何かに悩んでるんじゃない?」
「そんなことないですよ、ただ旅行してるだけです」
「でもあなた、朝もここに座ってたし、こんなところでずっとボーっとしてるなんて普通じゃないわよ」
「それは、そうかもしれないですけど、ずっと座ってたわけじゃないですから」
この人はいつからここにいるんだろう。僕が朝ここを立ち去ってから戻ってくるまでずっと見てたわけではないと思うけど、朝から今までずっとここにいたのだろうか。一体何をしてる人なんだ。
僕の中で目の前のおばさんへの不信感が高まっていく。
「でも、何かあって旅行をしてるんじゃない?」
「いや、ただ旅行に行きたいなって思ったから旅行してるだけですよ」
「そうかしらねぇ、こんなご時世だから色々と心配よ。あなた、なんだか浮かない顔してるわよ」
「そんなことないですよ、元気です」
僕が中々引き下がらないおばさんに苦戦を強いられる。もう無視してホテルに戻ろうか迷っていると再びおばさんの口が開く。
「人に相談して悩みの答えが見つかることもあるわよ?」
そう言われて、僕は三又さんから言われたことを思い出す。
「なんの答えも探さずに経験だけしていても、今までの人生を振り返ると同時に残された周りの人間に対して綴る文章なんて書けないんじゃないか?」
ちゃんと答えを探さないと、ちゃんとした遺言状は書けない。今の僕は、旅行前の僕と比べて間違いなく色んな経験を積み重ねている。都会の食べ物を初めて食べ、初めての夜を過ごし、初めて海と寺を訪れた。でも、悩みに対する答えは持っていない。旅行も残り少ないのに、答えを見つけられてないことに多少の焦燥感を覚える。夏休みが残り少ないのに、宿題がたんまり残っている時の気分だ。
「あら、やっぱり少し悩んでいるみたいね」
僕の表情と考える様子を見て、おばさんが追撃してくる。
もしかしたら、この人と話すことで答えが見つかるかもしれない。そう上手くはいかなくても、ヒントくらいは見つけることができるかも。
このおばさんは不審だけど、話を聞いてくれそうではある。今まで出会った人とは違うヒントをくれるかもしない。
そう思い始めてからは、不思議と僕も話をする態勢になっていた。
「じゃあ、少しだけなら」
「やっぱり! あなた悩んでたのね! ここで立ち話もなんだから、近くのカフェにでも行きましょ!」
「えっちょっと……」
そんなに長話するつもりはない。それに、ここにはベンチがあるから立ち話ではない。
そう思ったけれど、僕は急加速したおばさんの勢いに押し流され、近くにあったチェーン店のカフェに連れていかれた。
「実はね、私はあなたが悩んでるって知ってたの」
「はぁ、そうですか」
カフェに入って、コーヒーと小さなケーキが2つずつ運ばれてくると、おばさんはそう話し始めた。僕をカフェに連れてきた時と同じ、自分勝手なペースで会話を進める。
「あ、そういえば自己紹介がまだだったわね。私は四条 菊江しじょう きくえ、あなたは?」
「志島 嶺しじま れいといいます」
「嶺くんね。それでね、私はあなたが悩んでるって知ってたのだから声をかけたの。なんでか分かる?」
「いやぁ、分からないです」
「実はね、私は色んな人に幸せになってもらう活動をしてるのよ、だから分かったの」
それは理由になっているのか、と疑問に思ったけど菊江さんの勢いに飲まれてその疑問をぶつけることはできない。
「それで、嶺くんは何に悩んでいるの?」
僕の頭の中に2つの迷いが生じる。1つ目は、明らかに不審な中年女性である菊江さんに自分の本心や悩みを打ち明けるか。そして2つ目は、打ち明けるとしたら、『遺言状の内容に悩んでいる』といった具体的な悩みを伝えるか、『人生の意味が分からない』といった抽象的な悩みを伝えるか。
僕はできるだけ頭を回転させて考える。1つ目の悩みは、打ち明けるを選ぶべきだろう。菊江さんは不審だけど、テキトーな言い訳をしてこの場を逃れてしまったらここに来た意味がない。旅行の残り時間が少ない中で意味のない時間を過ごすのは勿体ない。それに、テキトーな言い訳をしても菊江さんはすぐには引き下がってくれなそうだ。
2つ目の悩みは難しい。菊江さんがどんな人なのか分からない以上、悩みの答えをくれるかは分からないし、そもそもこちらの話をどこまで真面目に聞いてくれるかも分からない。そう考えると、誰でも持っていそうな抽象的な悩みを伝えるべきか。
僕は考えを終え、コーヒーを一口飲んだ後に口を開く。
「なんというか、人生の意味についてちょっと悩んでます」
僕の言葉を聞くと、菊江さんは何故か目をキラキラさせた。
「その歳でそんなことに悩んでいるなんて素晴らしいわ! 最近の子は進んでるのね」
褒められるということは想定していなかったので、僕は少し驚く。
なんなんだ、この人は。一体何を考えて何がしたいんだ。
「人生の意味ねぇ、とても難しいわ。私にも難しいんだから、お若いあなたにとってはとても難しいはずよ」
「はぁ、そうですかね」
「でも、人生の意味を知らなくても、より良い生き方をすることはできるはずよ」
「より良い生き方ですか? それはどうやって?」
「あなた、何か生きる目標のようなものはある? 誰かのために生きているとか、そういうことを考えているかしら?」
「いや、特に考えてないですね」
「あら、やっぱりね。あなたはまだ迷い人なのよ。この世に命をもらったのにあなたの魂は迷っているわ」
「魂?」
「そうよ、魂はあなたの身体の中にあって、本来は進むべき方向があるのにそれを見つけられずに迷ってるわ」
菊江さんは、言葉に熱が入り始めて、どんどん早口になっていく。会話をしているはずの僕は置いてけぼりだ。魂が身体の中にあるとか、急にそんなこと言われてもよく分からない。
「私の魂は進むべき方向を知ってるから、私は良い生き方をできてるの。魂に進むべき方向を知らせるためには時間がかかるのだけど、人がやるべきことはこの本に書いてあるわ」
菊江さんがバックから取り出した本は、国語辞典の半分ほどの厚さがあり、表紙に『創魂教 生き方のすゝめ』と書いてある。
創魂教というのは、最近入信者が増えており政治家も多くが入信していると昨今話題になっている宗教団体の名前だ。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「あなたの悩みもきっと解決できるわ、まずはこの本を開いてみて」
僕の声が聞こえていないのか、もしくは僕の声を受け取る気がないのか。菊江さんは僕を無視して話し続ける。
そこからはほとんど、菊江さんによる創魂教の説明だった。
創魂教で崇めている神様の名前、創魂教の教え、守るべき戒律、創魂教の規模、月に数回開かれる集会とその内容、お布施の金額などなど。菊江さんは、僕の制止を聞き入れず、嬉々として熱を込めて話している。
でも、僕は宗教に興味が無いし、話の中に知らない単語が多すぎる。いくら真剣に話してくれても内容が頭に入ってこない。
僕は時々頷いたりして理解している風に装いながら、一通り話が終わるのを待った。
「私はほぼ毎回集会に参加しているわ。それに集会が無い日は駅前で広めるための活動をしているの。どうかしら、嶺くんも悩んでいるみたいだし、一度集会に行ってみない?」
数十分ぶりに会話のターンが僕に回って来たようだ。どうやら菊江さんは僕のことを心配して声をかけたわけじゃなくて、自身が信じる宗教の宣伝活動の一環として僕に声をかけたようだ。少し期待して菊江さんに悩みを打ち明けようとしていたのに、残念だ。
話はほとんど聞いていなかったけど、とりあえず集会へのお誘いは断っておこう。
「いえ、集会は大丈夫です。すみません、僕、神様とか信じてなくて」
「あら、創魂教の神様は普通の神様とは違うのよ、さっきも言ったみたいに」
「とにかく、僕は宗教には入りませんから。すみません」
なんとなくこの場を終わらせようとする雰囲気を作ろうとするけど、菊江さんはそれを許してはくれない。
「あなたは悩んでいるんでしょう? それなら相談だけでもするべきよ」
「一度集会に来るだけでもいいわ、集会は無料よ。無料であなたの悩みも聞いてくれるし、創魂教のことを理解できるわ」
「なんでそんな頑ななのよ。あなた、こんなに優しくしてもらってその態度はないんじゃない?」
菊江さんの語気がどんどんと強くなっていく。何が何でも僕を集会に連れて行きたいみたいだ。困ったな。
カフェに入ってから既に2時間近くが経って足やお尻が痛くなってきたし、話を聞くのにも飽きてきた。どうすればこの場を切り抜けられるだろうか。
「創魂教が凄いのは分かりましたけど、僕の悩みは僕自身で解決しないといけないと思います。だから、自分で解決できるように頑張るので、集会は必要ないです」
僕は創魂教を否定するやり方では埒が明かないと思ったので、違うアプローチで断ってみる。宗教を否定せず、自分の悩みの解決を諦めず、やんわりと断る。上手くいってくれ。
僕の言葉を聞くと、菊江さんは少し呆れたような顔をして口を開いた。
「あなたねぇ、自分自身で解決って言っても、あなた一人でできることなんて限られているわよ」
「それは、そうかもしれないですけど」
「それに、解決出来たらそれで終わりなの? 自分でしっかり考えて、自分なりの解決ができたとしてもそれを誰にも見られずに知られずに終わるの? あなたはまだ若くて分からないかもしれないけど、人は1人では生きていけないし、誰からも見られてないっていうのはとても悲しくて虚しいことなのよ」
菊江さんの言葉に、再び熱が入り始める。
「人生って言うのは誰かに見られて初めて意味を持つものなのよ。演劇ショーと一緒よ。あなたはあなた自身が主人公のショーに出演してるの。共演者はお友達やご家族かしらね。私はあなたの人生を彩ってあなたを輝かせる演出家みたいなものよ。あと、足りないのは何か分かる?」
また会話のターンが僕に回って来た。今回は菊江さんの話をしっかり聞いていたけれど、返答に困る。人生がショーで、僕が主役。共演者と演出家はいる。足りないものはなんだろうか。舞台のセット? 照明? 脚本?
正しい答えは分からないけど、僕は当てずっぽうで答える。
「脚本……とかですか?」
「いいえ、違うわ。脚本はある程度決まっているわ。運命っていう脚本がね。もちろん、アドリブを入れることも可能だけどね」
足りないのは脚本、ではない。じゃあ、なんだろうか。僕は見当もつかず答えあぐねる。
「分からないのね。足りないのは、お客さんよ。あなたがいくら素晴らしい演技をして、あなたも共演者も全員輝いていても、それを見て評価してくれるお客さんがいないと何も意味がないわ。素晴らしくても平凡でも、誰からの評価も受け取れない。そんな人生は虚しいのよ」
そう話す菊江さんからは、これまでで一番、心の底から話しているような印象を受けた。
確かにいくらいい演技ができるからと言って、チケットが売れずに客がこなければ意味がない。でも、それはショーの話で、人生において客とは何を指すのだろうか。
「でも、人生において、お客さんって誰になるんですか?」
「私にとっては創魂教の神様よ。神様はいつでも私を見てくれてる。私はお客さんである神様のために集会もお布施も頑張るの。そうすれば、きっと良い未来が待ってるはずだから」
「神様はどうやって僕のことを見てるんですか?」
「それは分からない、人間と神様は住む世界が違うもの。でも、神様は、今はあなたのことを見ていないわ。神様は自分を信じる人しか見ないの。だから、良い人生を送るにはまずお客さんである神様を信じなきゃ」
何となく言いくるめられている気がする。神様はいるけど、人間には見えないしどこにいるかも分からない。ずっと人間を見てるけど、信じる人しか見ない。
色々と都合のいいように解釈していると感じるけれど、『人生は見られてなきゃ意味がない』という部分は少し腑に落ちる。
人はいつも何かしらで誰かから評価される。テストの点数とか運動能力とか顔が整ってるかとか、生きている限り誰かから評価されることは逃れられないし、その評価に価値があるから色々なことを頑張るのかもしれない
僕が書こうとしている遺言状だってそうだ。遺言状は、誰かに読まれることを前提に書かれる。僕は厚みのある遺言状を書きたいと思っているけど、結局、厚みがあるかを評価するのは遺言状を読んだ人物だ。遺言状の筆者であり、僕の人生の主人公である僕が評価するわけではない。
神様がどうのこうのという話はあまり共感できないけれど、『人生が劇ショー』という話には少し関心を持つ。もし、この考えが菊江さん自身ではなく、創魂教の考えだったとしたら少しは創魂教の話を真面目に聞いていたかもしれない。
「菊江さんにとっては神様がお客さんかもしれないですけど、僕のお客さんは僕自身が決めますので」
「あら、そんなことできるかしらね。創魂教の神様が一番信用できて一番確実に自分を見てくれる、唯一無二で最高のお客さんよ」
やはり菊江さんは僕が集会に行くと決めるまで引き下がる気はないらしい。僕は何とか逃げれないかと試行錯誤し、20分以上かけてなんとか落としどころを見つけて、この場を終わらせようとした。
「うーん、僕まだ高校生なので、親と相談してから集会のことは考えます」
「そう! ちゃんと親御さんにも話してね。あ、この本は4,000円で買えるんだけど、よかったらどう? 今なら割引もあるわよ」
「いえ、ちょっとお金に余裕がないので遠慮しておきます」
「残念ねぇ、じゃあ、無料のパンフレットがあるからこれを持っていきなさい!」
僕はパンフレットを受け取って、やっと退店することができた。計2時間半、長い戦いだった。
菊江さんから解放された僕はベットに倒れ込んでしばらく横になる。流石に朝から外出して、2時間以上興味のない話を聞かされるのは疲れた。この日、僕はこのまま就寝してしまい、夜ご飯を食べそびれた。
人生は劇で僕は主人公。そう言われてもそうは思えない。主人公というのはその物語の中心で、何かを成し遂げ成長する人。でも僕にはそのどれもが当てはまらない。
僕は僕を中心に考えて生きてる? 違う。僕は何かを成し遂げてる? 違う。僕は成長している? 違う。
僕の物語には主人公と呼べる人物がいない。人物はいるけど役は無い。時の流れだけがストーリーで、劇的な展開なんてものはない。
この物語は駄作だろう。製作費が足りなくなって妥協していく様子を観客に見せるような、そんな作品になってしまう。
主人公不在で脚本も演出も無い中で、僕の人生はどうやって終わることができるのか、どうやって進めることが出来るのか。その結論は誰が知るのか。
いつか知ることになる終幕を、僕はただひたすらに待つだけだ。
田舎でも都会でもない街に数日泊まった後、僕はホテルのチェックアウトを済ませ、電車に乗った。行先は実家だ。約3週間の旅行もこれで終わる。長いようで短いようで、やっぱり少し長すぎたかもしれない。旅行の期間は3週間だけど、何もせずに時間を無駄にした日も何日かあった。今思うと相当勿体ない事をしている。
帰りの道中で母におおよその帰宅時間を連絡する。旅行の前には毎日連絡するように言われていたけれど、結局3日に1回くらいの頻度になってしまった。
来た時と同じ海や山、工場を見ながらこの旅行であった出来事、会った人のことを思い返す。どの出来事もどの人も、こうして旅行をしていなければ経験できなかったことだ。
そして、その経験を思い返しながら、僕は遺言状のことを考える。どんなことを書こうか、誰に向けて書こうか、どうすれば厚みのある遺言状になるか。どうすれば遺言状が完成するか。
そんなことを考えながら電車に揺られる。僕と同じ電車に乗っている人も、来た時と同じように何らかの電子機器に目線を落としながら暗い表情をしている。
家に着くと、母が出迎えてくれた。気のせいかもしれないが母は、僕が旅行に行く前より少しやつれて見える。毎日連絡しなかったことを少し怒られた。
家に帰り、荷解きをしてからお風呂に入り、ご飯を食べる。父と母からは旅行のことについて色々聞かれたけど、旅行中に出会った人のことは話すのを控えた。かなり不審な人と話したり、非行をしてしまった自覚があるから。
自室に戻った僕はさっそく遺言状作成に取り掛かる。夏休みが終わるまであと3日、なんとか完成させよう。
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