あの子も、その子も、みんな
幸せそうじゃん。
幸せそうに生きてるじゃん。
どこからともなく、誰かに助けられ、軽やかにアスファルトを蹴って、障害物を乗り越えていく。
そういう姿を、望遠鏡で覗かないと見えないような距離からでも見つけてしまうと、居ても立っても居られなくなる。
私は、一体何のために苦しんでいるのだろう、と。
苦しまずに生きられる人と、
苦しみから解放されない私には、一体どんな差があるのだろうと。
そして、一瞬頭の中でこう思うんだ。
こんなことなら、私だって適当に生きていれば良かったと。
これが社会の仕組みなら、この世の"都合"なんてものなら。最初っから、努力なんて言葉も覚えずにいれば良かったと。
それでもね、許すんだ。
彼を、
彼女を、
そして、私自身を。
許さない、許せない、その選択を取ったって良くて、自分がもう許すとか許せないとかそういうことを考えることが面倒になった時にでも、許せば良い。
君のその苦しみの深さというのは、君にしか分からない。私が一緒に海に潜って息を止めて、「これくらい?まだ?もっと苦しかった?」と、呼吸の浅さを一緒に共有してみても、完全に"分かる"ということは不可能なんだ。
君のその苦しみ、苦しさ、手放せないその過去への想いが詰まった箱の鍵は、君にしか開けることができない。
あの時の痛さを、辛さを、孤独を、そういうものを、誰かにわからせなくいい。
大丈夫、君一人で抱えなくても良くて、
ほら、鍵を開けて、自分の今までの苦しみに旅をさせれば良い。
本当に望んでいるのは、他人の不幸でも、苦しむ姿でもなく、
自分が幸せになることだと、心の深いところで知っているはずだね。
誰かを制裁することで、自分の過去が癒やされるとは限らないと気づいてるはずだね。
だけど、その苦しみを手放そうとすると、まるで自分の人生価値という質量が減ってしまうような不安に襲われるでしょう?
今の自分の為だけの人生を考えることが、怖いでしょう?
でもね、その苦しみを手放すとね、随分と軽くなった身体で、苦しみの裏側にくっついていた夢を見つけることができるんだ。
今という時間で、夢中になれるんだ。
p.s 7/27 インスタライブで執着の話をして、みんなの悩みを聞いて、思い浮かんだ、"許す"ことについてでした。
文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.