プロフェッショナル仕事の流儀 庵野秀明スペシャルを、2回見てからの感想
「プロフェッショナル仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」を見逃してしまった人もいるかと思いますが、クリエイターの深遠に迫る番組となっておりましたので、録画したものを2回みた上での感想を述べてみたいと思います。
一級のクリエイターというのは、どんな風に作品を作り、そして、作品に命をかけていくのか、ということがわかる貴重な内容の番組となっていますので、当noteでの感想を含めてご覧いただければと思います。
ではさっそく、行ってみますメ~。
血を流しながら映画を作る。
「この男に安易に手を出すべきではなかった」
冒頭から、こんなナレーションから始まりました。
内容としては、エヴァンゲリオンの監督としてお馴染みである庵野秀明監督の代表作であり、2021年3月8日公開の映画「シン・ヴァンゲリオン劇場版:||」の制作風景から、最後には無事完成試写会で終わるまでを撮影したドキュメンタリーとなっています。
正直、庵野秀明という一世を風靡した監督が、どんな風にして身を削っているのか、というところが見どころの一つとなっています。
スタッフが作品について庵野監督に聞くと
「今は分からないよ。もっと時間がたたないと。わかんない」
と言って話は終わります。
監督が8年がかりで書いたという脚本をもとに、スタッフがアイデアをだして作った絵コンテも、大した見ることもなく
「これじゃないのはわかった」
と一蹴してしまいます。
物言い自体は強くはないのですが、正直言って、怖い、と感じるところです。
何か意見を聞いた時に、右とも左ともいわれることがなく、ただ、ダメだと言われる。どうしたらいいのかと聞いても「わからない」と言われる。
監督がわからなかったら、誰がわかるんだ、と思ってしまうところですが、監督自身もわかっていないというのがまた、すごいところです。
プリヴィズによる作成
「現場には、絵コンテはないほうがいい」
「シン・エヴァンゲリオン新劇場版:||」では、プリヴィズと呼ばれる手法を使っています。
正直言って、アニメを作るときの手法として適しているとはいいがたい手法です。
アニメは、絵コンテと呼ばれる映像づくりの設計図を元に作られます。
そこには、レイアウトと呼ばれる構図や、動きの指示や音楽やSE といったあらゆる指針が示されるアニメの設計図のようなものとなっているのですが、今回の作品にはそれがない、というのです。
その代わりにあるのが、プリヴィズによる映像です。
そのやり方としては、まず実際の人間にセンサーを取り付けて演技をさせます。
そして、モーションキャプチャーを使って実際の人間が演じた動きをCGキャラクターとしてトレースし、その動きにCGで肉付けをして画面を作ります。
人間が演じた結果できあがったCGキャラクターによる絵が、絵コンテの代わりとなっているのが、今回のエヴァンゲリオンの作り方の特徴です。
さらに、その映像をつかって、さらに人間が絵を描いていくという方法をとっています。ややこしいですね。
絵コンテがない、というのはまさにそういうことであり、構図を決めるために、徹底的に、頭の中ではない場所で、作品を作り出そうとしているのです。
こんな手間のかかる作業、手塚治虫が確立した手法がメインの日本のアニメ業界において、経済や合理主義とはかけ離れたやり方です。
しかも、膨大な量の撮影を行い、それを組み合わせていくことから始めています。
スタッフは困る。
先ほども書いたとおり、スタッフは庵野監督に何かを聞いても「分からない」と言われます。
「アイハブ、ノーアイデア」
というセリフが飛び出す場面もありますが、じゃあ、いったい監督は何をもって作品をつくっているのか。
ちょっと話はそれますが、実写の映画監督においても、大なり小なりそういった人たちはいたりします。
超有名どころで言えば、「2001年宇宙の旅」や「シャイニング」でお馴染みのスタンリー・キューブリック監督なんていうのは、スタッフや出演者をいいだけ困らせてしまう監督の代表といえたでしょう。
何度も何度も役者に演技をさせて、わけがわからなくなるほどリテイクを繰り返します。
本来であれば、監督の頭の中に正解があって、役者にそのような演技をさせて完成、となるのが普通です。
ですが、監督自身もまた正解が「分からない」中で、でも、演技をみていくうちに、正解を「見つけていく」というところがあります。
これじゃない、というのもわかるけれど、その中で、これだ、と思うものがある。それを拾い集めていったり、見つけていく作業こそが、庵野秀明監督のクリエイターとしてのやり方だ、ということが、番組を通してわかります。
「頭の中にあるものは、面白くない」
安野モヨコの存在について
「プロフェッショナル仕事の流儀 庵野秀明スペシャル」において、外せないのは安野モヨコ夫人の存在でしょう。
庵野監督との私生活については、「監督不行届」という漫画の中で描かれており、番組内においても漫画が使用されています。
肉と魚を一切食べない偏食家である庵野監督が、体調を壊さないようにと色々と世話をやいてくれる夫人。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版 破」から突然現れた、新キャラクターである真希波・マリ・イラストリアスが、安野モヨコ夫人のことである、というのは、かなり定説的に言われていることですし、事実その通りにしか見えないのですが、庵野監督にとってのキーパーソンであることは間違いないでしょう。
そんな夫人の、率直な庵野監督像が聞ける、というのは面白いです。
プロデューサーとしての庵野
NHKの番組スタッフによる撮影方針について言いたいことがある、と庵野秀明監督は言いだします。
「ぼくを撮ってもしょうがないときに、僕を撮ってもしょうがない。その人たちのとまどいを撮って欲しい。僕としては、作品が面白そうにとってもらわないと困る」
ある意味で恐ろしくもあり、庵野監督のプロデューサー気質がわかる場面でもあります。
曲がりなりにも、庵野秀明監督は、スタジオジブリで重要な時期を過ごした人間でもありますし、ジブリとの親交も厚い人物でもあります。
「あれは、宇宙人」
宮崎駿監督をして、そういわせる存在は、それだけで異質といえるでしょう。
ただ、庵野秀明監督は、名プロデューサーである鈴木敏夫氏の影響も色濃く受けており、番組の取材を受けたことについても「商売しようかな、と思って」と言っています。
そして、NHKのスタッフへも、番組をより面白くするためのアドバイスとして指摘しているのです。
ただ、番組をみていて面白いのは、庵野秀明監督というのは、スタジオジブリでいうところの、宮崎駿であり、高畑勲であり、鈴木敏夫をまとめたような存在であると同時に、クリエイターとしての本質がでてきたときには、強く宮崎駿である、という点でしょうか。
原画あがりの監督
庵野秀明監督というのは、番組の中でも紹介されていましたが、そもそも有名な話として、「風の谷のナウシカ」における、巨神兵のビームによる爆発を描いたというところは、ファンの中でも知られているところです。
絵を描くことのできる監督というのは、こうしたらいいのに、と思ったらついつい手を動かしてしまい、しかもそれができる、というところに特徴があると思います。
「追い込んで追い込んで、こうなったらどうなるんだろう。自分で考えたものってそんなに面白くない。それを覆すほうが」
スタッフや、自分自身に対する創作の基本スタンスを語ってくれます。
「自分でやるより任せたほうがいい。」
といっている庵野監督は、どちらかというと、監督という立場ではあるのですが、途中から自分でカメラをかまえてしまいます。
番組の冒頭にあっては、駅の構内を走り出していってしまうほどです。
そうなった庵野監督は、クリエイターとしての自分を発揮して、自ら手を動かし始めてしまう。
でも、庵野監督の創作スタイルを考えると、正しいと言えるかと思います。
材料をスタッフに集めさせているうちに、自分の中で、何かがつかめそうになってしまうのでしょう。だからこそ、庵野監督の中のクリエイターが目覚めれば、その時点で次の段階に行ったといえるでしょう。
自分の外側に
「想像でやるなら最初から紙で書いたほうがいい。自分の外にあるもので表現をしたい。肥大化したエゴに対するアンチテーゼかもしれない。アニメーションってエゴの塊だからね」
「なんでそう思われたんですか」
と聞かれて、庵野監督は、愛嬌のある笑顔をして
「内緒」
と言います。
安野モヨコ夫人がいうところの、僕可愛いでしょ、という笑顔でしょう。
このあたりは、NHK スタッフが、いいところを突いた質問をしたからこそ、でた笑顔だったと思います。
クリエイターごとに、作品の作り方は違うと思いますが、こと、庵野監督にいたっては、神がかり的に降ってくるものであることがわかります。
正確には、さきほど書いたスタンリー・キューブリック監督のように、膨大な情報の中から、正解を選び出す、という手法によってつくっているのですが、その正解そのものは、エヴァンゲリオンにいたっては、庵野秀明監督自身の中にある、といったところでしょうか。
ただし、誰でも経験があるとは思いますが、自分でも思いもかけないことを言われて、はっとさせられることというのはあると思います。
思い込みを指摘されて驚いてみたり、言われると当たり前なのに、いつまでも気づけなかったりする事柄。
ここで詳しく言及はしませんが、ガイナックスが設立された理由である「王立宇宙軍オネアミスの翼」の時代より、クリエイター自身の内面や考えを前面に押し出していく、という作り方が伝統となっており、庵野秀明監督自身もまた、新世紀エヴァンゲリオンで、自分自身の内面を激しくだした作品として、結果として、世の中にムーブメントを巻き起こすこととなりました。
新劇場版においても、庵野秀明監督自身の私小説的な側面があり、NHKスペシャルをみて庵野秀明監督自身のことを知ることもまた、作品を理解するための、手掛かりになる、という点も、重要なところです。
異常事態の数々
番組をなんとなく見ていると、そこまで思わないのですが、正直、アニメ業界というのを少しでもわかっている人であれば、かなり物事が進んでから脚本を書き直したりすることが、いかに恐ろしいことかがわかります。
「いつものことだからね」
と番組スタッフは言いますが、アニメというのはとにかくお金がかかる商売です。
「ここが、デッドラインだと思う」
と庵野監督が言っていますし、「これしかない」っていう状態になるまで考えるっていうのが、クリエイターの恐ろしいところだったりします。
クリエイターとは無縁の商売をしていれば、ある程度そこそこ仕事をしていればいいのに、というときが何度もあるはずです。もちろん、仕事の対するプライドとかは大事ですし、給与以上の仕事をするという意識も大事ですが、庵野監督の考えは、さすがといったところです。
「作品は命よりも大事。作品至上主義なんだろうね」
自分が壊れても、作品のために命を懸ける。
事実、庵野監督はうつ病になったりしながら、なんとか回復しています。
ちなみに、作品から逃げたということをそのまんま映画にした「式日」については、岩井俊二監督を主人公として起用し、しかも、カントクという名前で、「明日は私の誕生日なの」と毎日言い続ける女性と暮らす二人の物語を撮影していたりします。これは、そのまんま庵野監督自身だろ、と思ってしまう、ファンでなければとっつきづらい作品となっています。
ちなみに、制作進行の人やスタッフが、とんでもなく苦労をしただろうな、ということがより分かりたい人は、再放送もやっているSHIROBAKをぜひご覧いただきたいと思います。
SHIROBAKOは、アニメーション会社での大変な現場をアニメーションで描くという意欲作であり、アニメ現場あるあるがふんだんに盛り込まれたすさまじい物語となっています。
ちなみに、どうみても庵野監督にしか見えない、カンノ監督というキャラクターもでてきています。
2回見てからの感想
録画をしておきましたので、改めて2回みたあとの印象の変化についても語って、本記事を締めくくりたいと思います。
一回目に見た時のイメージとしては、最初にも書いた通り庵野監督は「怖い」です。
アニメーションの現場を撮影したドキュメンタリーは、ジブリのものばかりだったこともあり、宮崎駿監督のクリエイターとしての厳しさをみる場面であるとか、高畑勲監督ののらりくらりとした感じのイメージしかありませんでした。
その中で、庵野監督は、声を荒げることもなく、飄々としていますが、
「こんなの撮ってもしょうがないよ」「分からない」「そのために、撮ってる」
とか、結構、怖い発言が多いように感じました。
熱海合宿においては、そんな殺伐としそうな現場を、樋口真嗣氏が、ひょうきんな感じにまわりを和ませていて、なんとかバランスが保たれているんだな、と思っていましたし、スタッフも、何一つハッキリしない監督にたいしていらだっているのかと思っていました。
もちろん、いら立ちや焦りはあるでしょうが、2回目を見てみると、庵野秀明監督の考えは一貫しています。
「分からない」
「終わるのは終わる」
庵野監督の創作スタイルというのは、自分の外側にあるものをつかって、自分の内面をのぞき込み、それをつかって表現する、というものです。
よく、材料となる物体を見ると、その中に彫るべきものがみえる、という彫刻家の話があったりしますが、あれと同じかと思います。
ただし、材料は、膨大な資料であり、それらをつかって、掘り出していく。
時には、その掘り出し方がいびつになっていて、誰も理解できない耐久度の低いけれど、美しいものができるかもしれない。
でも、それは、現実に顕現させたときに壊れてしまう(理解が得られない)かもしれない。その中で、削り方を変えたりしながら、自分自身の外側にあるものを形にしていく。
恐ろしく、俗な言い方をすれば、今何が食べたいのか、ということを知るときに、甘いものが食べたいのか辛いものが食べたいのか。多くの人はわからないまま口に入れて満足したりするものです。
でも、色々なものを見る中で、あまじょっぱいものが食べたい、こういう味が食べたいんだ、ということに気づいて、それが作り出していく、というのが、庵野スタイルといってもいいものではないでしょうか。
そうであれば、正解はあるけれど、自分自身の中ではまだ「分からない」。
あんたがわからなかったら、誰がわかるんだよ、というところですが、それを逃げ出すこともなく、ガイナックス時代からの超優秀なスタッフが庵野監督のもとを離れずに、今もついていっているということからも、庵野監督の人柄がわかりますし、その資質をみんなが信じていることがわかります。
ただ、それがプレッシャーになっていたりももちろんするでしょう。
「何年でも待ちます」
なんていう、ファンの言葉が、クリエイター自身にとっては重荷になったりすることもザラだと思います。
しかしながら、誰も食べたことのない料理だけれど、やつがつくるんだから、うまい、というその確信こそが、スタッフの多くから参加してよかった、といわせしめるものであり、安野モヨコ夫人も言っていた、作るのが好きなんだ、というクリエイターのもっと根本的な生きざまに通じるところではないでしょうか。
NHKスペシャルでありますので、油断すると、完全に見逃してしまうかもしれない番組でもあります。
ですが、「安易に手を出すべきではなかった」という番組スタッフの呪詛はごもっともですが、その呪いを超えた先に、我々に、創作者の強大なエゴの一旦を理解させてもらえる機会を与えてもらえたわけですから、スタッフのみなさんに感謝をささげたいところであります。
以上、プロフェッショナル仕事の流儀 庵野秀明スペシャルを、2回見てからの感想でした!
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