力の指輪の前に復習。ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 解説&感想
め~め~。
王の帰還は、3部作の最後にあたる作品となっており、物語的にはラスボスを倒して大団円になる、というのは、王道であるからこそ当然といったところになります。
しかしながら、1部2部と、それぞれのキャラクターたちの成長。
そこで描かれているものの普遍性は、非常に興味深いものとなっていますので、そのあたりも含めて解説していきたいと思います。
アマゾンプライムによる新シリーズ「力の指輪」が始まることもありますので、ぜひこの機会に復習がてらみてもらえればと思います。
どんな話だったかうろ覚えだ、という人については、1作目、2作目のざっくり解説もありますので、そちらを見ていただいてから、ネタバレ全開の本記事をご覧いただければと思います。
改めて内容について
ロードオブザリングは、J・R・R・トールキンによって書かれ、その後のファンタジー作品に多大なる影響を与えた作品となっています。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」に描かれるのは、この世界のおける第三紀とよばれる時代となっておりまして、新シリーズ「力の指輪」は、3000年以上前を描く、第二紀という時代を取り扱っています。
ゲームでいえば、ドラゴンクエスト1と3の関係といったらわかる人しかわからないかもしれません。
(ドラゴンクエスト3のほうが、1よりも古い時代の話になっています)
誤解を恐れずに言いますと、すごい指輪を捨てに行く、というのが大きな流れとなっている本作品です。
第2部である「二つの塔」においては、3グループに分かれて行動したことにより、それぞれの成長や物語があるのもポイントとなっております。
フロドたちであれば、人間の心の弱さを描いていますし、アラゴルン達っであれば、圧倒的なスケールによって描かれる戦闘の数々を見ることができます。
ピピンとメリーについては、もっとも人間的な成長が描かれることとなっており、映画とはいえ、長丁場の作品であるため、最後まで見終えたときの感慨深さは一押しとなっています。
では、改めて、それぞれの物語に焦点を当ててみたいと思います。
アラゴルン
トールキン自身も、タイトルが王の帰還、だと、内容がバレてしまう、というので嫌がったという逸話もあるそうです。
人間の王としてアラゴルンが、再び王座につくというところがイベント的な見せ場になっているのですが、どちらかというと軽んじられていたホビットという種族の中で、その場にいるすべてのものが、彼らと頭を並べるようにしてひざまずくというシーンは、今までの流れをみていた観客からすれば、ぐっとくる場面となってます。
ロードオブザリングは女性がでてくる割合がかなり低い作品となっています。
そのため、男たちの友情がどうしても集中的にでてくるのですが、アラゴルンにいたっては、エルフやドワーフとの友情も含めて、指輪をめぐって断絶していた世界を再び一つにした、というところに物語のカタルシスがあるところです。
ピピンとメリー
ピピンに至っては持ち前のひょうきんさにより、パーティを危機に陥れたりと、お荷物的な存在となっていました。
しかし、二つの塔においては、エントの協力を仰ぎ、積極的に世界をサウロンから救う側になっていく姿が描かれました。
そして、王の帰還に至っては、ピピンとメリーはさらに別々の行動を余儀なくされます。
ピピンは、モンドールの兵士になります。
自分を守って死んだボロミアに助けられたという事実もありますが、常に仲間たちに守られていたピピンが、自らの意思で、兵士になったという精神的な成長が大きいものとなっています。
メリーについても、戦場に行けば死ぬかもしれないにも関わらず、友人や仲間たちの為に剣を取り戦いに赴きます。
そして、ピピンと戦場で出会えた時の二人の友情は、見ているものの涙腺を緩くさせるところです。
物語の序盤では頼りにならず、冴えない二人でしたが、ホビット庄に戻った時には、騒いだりおちゃらけたりすることなく、静かに杯を重ねます。
その姿だけで、二人がいかに成長を遂げたかがわかるところとなっています。
二人の主人公
さて、別記事「二つの塔」において、軽く触れたのですがで、サムやフロド、ゴラムの関係というのは、宗教における信仰の難しさについて語られているようにも解釈できます。
マーティン・スコセッシ監督「沈黙 サイレンス」においては、何度も裏切るキチジローという存在と、神の不在という点に関して描かれていましたが、「ロード・オブ・ザ・リング」においては、指輪によって惑わされるものたちを描いています。
特に、フロドは、指輪によって魅せられて、様々な者たちの本性を見せつけられたりしています。
エルフの姫もすごい形相になって、指輪を渡せといってきたりしますが、最終的には、その誘惑に打ち勝ちます。
力の指輪の圧倒的な誘惑に打ち勝つことができるのが、アラゴルンやその他の強い人たちですが、ゴラムやフロドは、その指輪の誘惑に翻弄されるものの象徴として描かれているのがポイントとなっています。
フロドというホビットが主人公にみえますが、ゴラムという怪物のような存在は、フロドと表裏一体の存在として描かれているのがポイントです。
ゴラムは、フロドが指輪を手に入れるまでの元所有者のようなものであり、指輪のことを、愛しいしと、と呼んで、長きにわたって蜜月を過ごしてきた人物でもあります。
ゴラムこと、スメアゴルは、映画の中で何度も葛藤します。
本能に忠実なゴラムと、良いスメアゴルは、フロドを信じるか信じないかでせめぎ合っています。
一度はフロドを信じることにしたスメアゴルは、二つの塔のときの、やむえないとはいえフロドに裏切られたと思っており、そのことがきっかけで、信頼が揺らいでしまっているのです。
フロドとサム。
ゴラムと、ゴラムが殺した友人は対比の関係にあります。
サムは決してフロドを見放しません。
傍からみていると、これだけひどい扱いを受けているにも関わらず、サムは、フロドを見捨てないのか。
男の友情がたっぷり描かれているという前提もあるでしょうが、指輪は圧倒的な力をもち、心を虜にしてしまいます。
事実、スメアゴルの友人は、あっという間に指輪をめぐって殺し合いをはじめてしまいました。
フロドとゴラムはともに指輪に運命を囚われてしまっていますが、二人に決定的に違うのは、サムのような友人がいたかどうか、という点になります。
その友人の差というものが、フロドとスメアゴルの運命を分けているのです。
フロドは基本的には主人公ですが、実は一番力のない存在です。
サムは、影をつかってオークたちをおびえさせてみたり、戦って勝利したりして、単独での強さを身に着けています。
フロドの責任を背負うことはできなくても、フロド自身を背負うことはできる、といいながら、疲れ果てているフロドまで背負いだします。
いったい何がサムを駆り立てているのはわかりませんが、その答えは、死を覚悟した瞬間にこそ表れているでしょう。
フロドは、結局、指輪を捨てられなかった
苦難を乗り越えて、指輪を葬ることができる火口まできたフロドですが、かつてのゴンドール王と同じく、指輪を捨てられません。
サムが、どれだけ叫んでも、フロドの耳には届かないのです。
指輪を付けて透明になったフロドに、ゴラムが襲い掛かります。
そして、醜いもみ合いの末、フロドとゴラムは火口に落ちてしまうのです。
あわや二人ともダメか、と思ったところで、フロドは崖っぷちを、ゴラムは自分の命よりも、指輪をとるのです。
サムがいたフロドは生き残り、ゴラムは指輪とともに落ちたわけですが、指輪を手に入れたときの、ゴラムの得も言われぬ嬉しそうな表情をみると、それが悪いこととは思えなくなるから不思議です。
指輪という存在が、映画の中においては、人の本性をむき出しにしてしまうマクガフィンとして機能しているわけですが、指輪が必ずしも悪いものという描かれ方はしていません。
事実、指輪が発見されるまでは、大きな問題は起きていなかったわけです。
実は、フロドとゴラムが、指輪に魅了された表裏一体の存在であった、ということが、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の肝といえると思います。
報われぬ英雄
死を覚悟してまでサムが助けたフロドですが、物語の終わりで驚愕の事実が発覚します。
サムは、旅の中で何度もフロドから拒絶されます。
船で川を渡ろうとするフロドに、溺死する気まんまんで近づいていくサム。
何度も何度も、サムは命がけでフロドを助け、一緒に旅をしますが、指輪戦争が終わった4年後、フロドは再びサムから離れて旅に出ます。
サムからすれば、フロドもまた、気まぐれな神のような存在です。
自分の近くにいてくれると何度も思ったのに、結局、裏切ってくる存在。
本来であれば一緒についていきたいサムですが、既にロージーというホビットと所帯をもっていて、一緒についていける状態ではありません。
フロドが続きを書いたホビットの冒険を手渡し
「続きは、お前が書いてくれ」
と言われると、一見いい話に思えますが、命がけで説得したはずのフロドが、結局、自分から遠く離れてしまうのですから、サムにとっては、圧倒的な悲劇であることは間違いありません。
指輪を葬り去ることができたのも、全てサムのおかげであり、世界を救った一番の立役者はサムなのですが、彼がもっとも欲したものは手に入らない、という強烈な皮肉で終わるあたり、ロードオブザリングの懐の深さを感じざるえないところでした。
(ちなみに、原作では、後になって結局フロドを追ってしまうんだから、サムの執着は異常です)。
終わりに代えて
「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズは、何度も書きますが、映画が一本一本が長く、見ごたえのある内容となっています。
剣と怪物のでてくる冒険ファンタジーとしてみるのもいいですが、そこに隠された人間の醜さや、自分の思い通りにならない事柄の連続。
キャラクターの成長や、あるべき姿の見せ方。
映像的にも、戴冠式のシーン以外は、ホビットの小ささにまったく違和感がありません。
合成技術や撮影技術の見事さも含めて、古びることのない大作映画となっています。
アマゾンプライムでの、新シリーズも含めて、まだまだ楽しみが増える作品となっていますので、動画配信も行われているのに合わせて、改めて見直すと、発見があると思います。
以上、「力の指輪の前に、復習を。ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 解説&感想」でした!
ちなみに、色々な補足情報などは、以下の記事も参考してもらえると、楽しみが膨らむはずです。
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